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僕の、好きだった、壊れた家族。

小さいころ、自信が無く、誇れるものの少なかった僕は、その対象を、他者や、外側や、属性に求めることに躍起だった。

【クラスで人気の“〇〇君の友達”の僕】
【勉強が“みんなよりも”出来る僕】
【ルールを人一倍守れる“真面目な”僕】

そこに“僕の僕らしさ”は介在せず、結果的にそういうものばかり目についた。RPGゲームでいうところの“強い装備”のように友達を作り、“すごい職業”のように属性を身に着けた。

だからこそこだわりが強く、より自分にとって“価値を感じるもの”が魅力的だった。

そんな属性の中でも、ひときわ輝いて見えたのが“家族の存在”だった。

僕の家は大家族で、当時は曾祖母、祖父母、両親、兄妹6人が同じ屋根の下に住んでおり、なんと11人という大所帯だった。

食事の時間には全員が揃う。ものすごい光景だった。
毎食毎日一人で準備していた祖母の苦労は、計り知れないものがある。

その属性はそう簡単に抜かれることは無いし、まして同じ年齢の友人が超えられることは無い。

だから“勝ち誇れる要素”だったし、それゆえに僕は大家族を誇りに思い、それを築き上げた両親を誇りに思うようになっていた。

“僕の僕らしさ”など見つからなくとも、僕はそれを杖に歩くことが出来た。

両親は高校生の頃から交際しており、お互いに初めての恋人という馴れ初めだった。そのことも、僕の誇りに繋がる。

両親が不仲の家を見て、うちの両親は優れていると確信できた。
親と仲の悪い子供を見て、うちの両親は優れていると確信できた。
浮気や不倫をするよその親を見て、うちの両親は優れていると確信できた。

僕は心の中で勝ち誇り、うちの家族は、愛し愛され恵まれているというバイアスを強め続けた。

だから、ほんのわずかに生じ始めていた父、母、それぞれの持つ“違和感”から、誤って目を逸らし続けることが出来た。

うちの兄妹は長男と次男の僕を除けば、2年ごとの規則で生まれている。しかし6人目が生まれて以降は、それが無かった。

7人目もわずかに期待している僕がいたが、母親の体力を考えても、中々難しいのだろうとは思っていた。それが体力が原因でないことを知るのは、ずっと後のことだが。

その頃くらいから、徐々に家族で出かける頻度が減った。

さらに曾祖母、祖父母が亡くなり、やがて大家族ではなくなった。それでも多いとは思うが。

属性としては“6人兄妹”であることに変わっていた。しかし“仲の良い両親”が誇りであることは変っていなかった。

そんな両親も、年々会話が減っていく。

父は仕事ばかりで家におらず…といっても自営業なので、逆にずっといるのに家庭に入らず、母は見る見るうちに老け込んでしまい、笑顔も少なくなっていた。

それでも僕は“誇りを守る”ために、その原因を“別の場所”に置いていた。無意識に。しかし確実に。彼らの問題に気が付ける位置にいながら、自分のために目を背け続けた。

もちろん、子供の自分に何が出来るだろうという考えは、あったのだとは思うけれど。

ある日、兄がキッチンでわめいている。

俺たち家族はいつから会話をしなくなったんだ?!このままではバラバラになってしまう!みんな孤独死するぞ!

殆ど泣きながらそう訴える兄を、僕は滑稽だねと笑っていた。母は、怒りをあらわにし、うちの家族はバラバラになんかならない、と反論していた。

僕も、母も、自分を支えるために、あるはずの現実を無視し、無いはずの理想に溺れた。それしか、出来なかった。

いつからか、僕たち家族はそろって食事を取らなくなっていた。

ある日を境に、ついに父が家にいなくなる。健康ランドのサービス券のようなものが、父の私物入れの棚に溜まっている。

どうしているのか?」と母に尋ねると、「どっかで寝てるんじゃない?」と返ってくる。父は奔放なところがあるから、そういうもんだよ、と諭される。

何十年も父と寄り添ってきた母が言うなら、間違いないだろうと僕は“思いこんで”いた。一言、父に聞くことさえも放棄した。

兄はしょっちゅう家を空けていたし、戻ってくるときは側にいつも恋人がいた。家にはいたが、家族の中にはいなかった。僕より幼い兄妹たちが、この頃何を思い、感じていたのかは、今も分からない。

いつしか、父の私物入れにサービス券は溜まらなくなっていた。けれど父は、やはり家にはいなかった。どこで寝ているのか、まったく分からなかった。

そのころ僕は父の会社にいたので、顔を合わせることも多かったが、そのことには触れられないでいた。

いや、触れたくなかったんだろう。その違和感…いや異常から目を背けたかったのだろう。向き合うことの方が辛いから。

この頃に母は、前よりも笑うようになっており、やりがいや生きがいを見つけたようで、活気にあふれていた。また父の営む会社に勤めるようになり、その仕事も熱心に執り行っていた。

母が元気になってくれたことが嬉しく、そこに父本人が不在であることなど気に留めなかった。

それでもまだ僕にとっては“仲の良い両親”であってもらわないと困るからだ。空っぽの僕の杖に、折れてもらっては困るのだ。

しかしその亀裂は間違いなく進行しており、もう目を背けることは難しくなっていた。

父には明らかに別の相手がいるようだったし、母が見つけたやりがいは高額な情報商材の販売であった。

その頃には僕は“未来”を抱けなくなっていた。空っぽの僕が現れても一人では立てないし、頼りだった“仲の良い両親”はすでに偶像となっていた。

それでも認めたくない僕は、“僕は両親と違って家族や恋人を愛することが出来ない属性なんだ”というバイアスを強めていった。だから恋人のことを好きになれないという、不思議な悩みを抱えているように“振舞った”

勿論、無意識に。振舞っていることに対して、無意識に。

そうして僕は預金通帳にあった100万円をすべてギャンブルに溶かした。

残高が0円になり、持ち出しのお金も遂ぞ底をついたときに、その日はやってくる。

母さん、給料を前払いしてほしいんだけど

曾祖母が頻繁に通っていたパチンコ屋から、その電話をかける。普段ならしぶしぶ払ってくれていた給料だが、その日は払えないの一点張りだった。

前払いといっても、すでに日払いでもらっていたので、たかだか数千円だった。それが払えないというのだ。

そこまで会社がやばい状況だとは思わないし、何がそうさせているのかまるで分からなかった。

とにかく払えないから!

そう母に怒鳴られたのを最後に、母はしばらく姿を消す。

あんたのお母さんはとんでもないことをしたよ

叔母にそう告げられ、何があったのか全く分からず、そんなことより日払いの金を渡せと、頭は唸っていた。もうとっくにギャンブルが僕の杖になり代わっていた。

叔母の側では、それまで見たことないくらいに憔悴した父がいる。

何かがあったことは確かだが、まったくわからない。それはそうだ。ずっと目を背け続けてきたから、もう正しく見ることは叶わなくなっていた。

あんたの母さんは会社の金を横領したんだ

なんだ、そんなことか。僕はそう思った。そのくらいは、してると思っていたから。自営業なんて、どこもそんなものだろう。

しかし現実はそんなに甘くなかった。母の横領した額はとてもではないが、その辺の社会人が稼げるような額でもなかったし、返せるような額でも無かった。

ついに壊れたのだ。家族が。僕の杖が。

その日のうちに、両親は離婚することが決まった。僕は19歳。まだ下には幼い兄妹もいる。

子供たちが成人するまでは、少なくとも離婚はしない。いつからか二人の馴れ初めよりも口癖になっていた母の言葉は、この瞬間に嘘になる。

あっという間に用意された離婚届に、兄と僕は判を押す。「何か言うことはあるか?」と父に問われたが、何が言い返せるだろうか。

僕が19年間大切していた“幻想の家族”は、紙切れ一枚で壊れた。しかし、その大切に思っていた気持ちさえも、始めから紙切れ同然だったのだ。

その日の夜、風呂場で一人泣いた。悔しさと、悲しさと、寂しさと、怒りで、感情がぐちゃぐちゃになる音がした。僕がその時、強く思ったのはたったの一つ。

もう二度、この家族で普通にご飯を食べることが出来ないんだな

僕らはずっと家族では無かった。たまたま偶然同じ屋根の下に住む、別々の人間だった。何も広げようとはせず、深く対話をすることも無い。

聞く耳を持たない者もいる。それでも語ろうと歩み寄れるものはいない。どちらかが悪いのではなく、どちらがそのポジションに付くかというだけで、間にある問題を先送りする手段に過ぎない。

閉ざされたまま、それぞれが都合よく乗り合っていただけの集団。不健全を煮詰めたような関係が、崩れる瞬間を待っていただけだ。

僕は、死ぬ気で働き、崩れた会社だけはもとに戻した。わずか2年で。

けれども家族を戻すことは叶わなかった。儚くも僕が離婚の際に父親に提案したのは、「月に一度でいいからみんなで食事をしてくれ」だった。

それも半年もしないうちに開かれなくなる。

・・・

やはり父には別の女がいた。母にも別の男がいた。2人はそれぞれ、一番側に誰かいてほしい時に、別の相手を選んでいたのだ。

父は言う。母は「わたしは実家から出たくてあなたと結婚した」と言っていたそうだ。そのことが許せなかったらしい。

母は言う。父は六人も子供を授かっておきながら、出産に立ち合いをしたのは六人目が初と。それから母を抱かなくなったのだと。そのことが許せなかったらしい。

僕には、関係が無いな。その話は、僕には関係が無いんだ。

ある日、母が別の男に綴ったであろう手記を見つけた。そこには生々しい、男との思い出が記されており、そしてだんだんと突き放されていく様子が記されている。

日付があるので時系列が追えた。突き放されたころには、会社の金もなくなっていたようだった。

何の因果か、その男は、僕と同じ名前だった。

父も、母も、僕とは違う別の人間だ。僕の抱いてた“仲の良い両親”の姿は紛れもなく“空っぽの僕が僕のために作り出したもの”だ。

だから彼らの気持ちを尊重するならば、親としての役割を放棄してでも自分の苦しみから逃れることを選んだ両親を、責めることは出来なかった。

そうやって自分に言い聞かせた。彼らを許し、そして僕はその悲しみを代償に捧げた。

また“大きな過ちを許すことの出来る寛大な息子”という属性を手に入れることにも成功する。結局僕は空っぽだ。

僕はどこにもいないのだ。

・・・


それから10年が経った。

色々あった10年だった。ここを語るには少し時間が足りない。

ただ僕は長く続くギャンブルへの依存に、終わりを告げていた。もう、どこからも金を借りることが出来なくなったからだ。底が見えた。

人生は短いようで長く、これから空っぽの心をどう埋めるべきかまるで分からなかった。

そんな時、両親から連名で手紙が来る。そこには「和解をしたこと」と「僕たちへの謝罪」が書かれてあった。

10年間かけてようやく謝れるようになりました。わたしたちの勝手であなた達の人生を大変なものにしてごめんなさい。

そのようなことが書かれていたと思う。

僕は「遅すぎだ」と返した。

・・・

大切なことがある。

僕はこの不完全な両親、不器用な父も、身勝手な母も、とても好きだ。人間として、愛すべき存在に感じられる。

でもそのことと、僕を傷つけたことは、別の事柄だ。

僕を傷つけたその行為を、決して許してはいけない。許してしまえば、僕の傷も悲しみも代償に消されてしまう。

2人の不貞行為が、まるで絆を深めるためにしかたなかった行為になってしまう。そんなことは断じてあってはならない。

僕は両親に対しても、当然ながらその相手に対しても、怒る自由があるし、悲しむ自由もある。一人の人間として。

僕の怒りや悲しみは、僕だけの大切な感情だ。

僕が僕自身を、ちゃんと愛し、傷つき、抱きしめて、両親を許す準備が整うその日までは、その行いを許さなくてさえいいのだ。

同時に僕も、空っぽの自分を認めなければならない。その空虚を、誤った方法で埋めてはならない。ほしかったものを、ちゃんと、見つける。

僕は僕に、嘘をついてはいけない。

その嘘は僕を守るための盾では無いし、両親への優しさですらない。むしろ残酷な裏切りだ。

だから僕は許さない。相手のことを思ってではなく、僕のために。


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