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映画「くじらびと」感想~生と死のはざまに~

最高の映画を観た。

皆さん、日本で毎年どのくらいの映画が公開されているかご存じだろうか。

答えは、2013年以降、毎年1100本近い映画が公開されている(年平均で1157本)。洋画と邦画の割合は半々くらいだ。

映画の公開は基本的には週末になる。一年は52週のため、すなわち平均して毎週22本も新作が公開されている計算になる。かなりの数である。

その中で「ドキュメンタリー映画」と的を絞った場合、途端に少なくなる。

2019年のデータだと、公開された映画は1292本に対し、その中でドキュメンタリー映画は「126本」とかなり少なくなる。わずか「9%」程度だ。

対するアメリカは「16%」に上る。欧州ではなんと「36%」という凄い数字である。特に近年伸びてきているのもあるが、ものすごいシェアである。なお中国も「5%」程度とあまり芳しくない。

さて、そんな「126本」に「日本人の製作した」を加えると「71本」とかなり少なくなる。それでも、年間通してみれば毎週1本以上は公開されている計算になるのだが、まあ馴染みの深いジャンルでは無いのだと思う。

かくいうわたしもドキュメンタリー映画を製作しているが、ニッチな市場であることは十分に理解している。商業的に成り立たせるには、アーティストやタレントなど著名人のドキュメンタリーでないとかなり難しいように思う。

さて、そうした状況ではあるが、今回はそんな「日本人の製作したドキュメンタリー映画」についての感想を述べたいと思う。

内容にも多少触れているが、ネタバレとかそういう概念もあまりない内容だと思うので、未見の人でも読んでもらって差し支えないとは思う。先入観を得たくない人は避けてください。

くじらびと。

あらすじ

インドネシア・ラマレラ村。人口1500人の小さな村。
住民は互いの和を最も大切なものとし、自然の恵みに感謝の祈りをささげ、言い伝えを守りながら生活をしている。
中でもラマファと呼ばれるくじらのモリ打ち漁師たちは最も尊敬される存在だ。年間10頭獲れれば村人全員が暮らして村人を食べさせるために命を賭けて鯨に挑む男たちとそれを支える女たち。
ラマファを夢見る少年エーメン。おとぎ話のような平和な村に、ある日大事件が起こった。 –公式HPより抜粋–

インドネシアという同じアジアの国で、まるで別世界の中に生きているかのような生活をしている人々の“営み”を、村人たちを通じて伝えてくれる映画である。

クジラ漁自体がかなり歴史のあるひとつの文化であるのだが、それについて記述しだすととんでもないことになるので、これはまあ興味ある方は調べてほしい。日本でも縄文時代頃から始まったのではないか、という歴史がある。

ラマレマ村のあるレンバタ島は、火山の影響により作物が育つ環境ではないため、漁をしないと生きていくことが出来ない。そういう背景からクジラ漁を続けている。

人類はこれまでもずっと、自然の恵みに支えられて生きてきた、という言葉を聞けばなんとなくしっくり来る方も多いのではないか。

現代においてはそんな自然や環境についての保全活動は盛んで、これからの人類の課題ともいえるのだろう。

東京に住んでいると、都市化しすぎた社会にうまく適応できず、自然の恵みや癒しを求める方も少なくない。森、海、空、大地、風。そういた力にあやかるために観光地に出かけていく。

中には「自然に近いものが最も健康的だ」という論調を、現代文明の極みであるスマートフォンで発信している方も珍しくない。

自然は「慈悲」があり、我々人類を支えてくれていると。

そんな感情を抱く人ほど、どうかこの映画を観てほしいと思った。とんでもない、自然は「無慈悲」である。残酷で、けたたましいものだ。

そしてなにより、我々人類もそんな「自然の一部」であり、人間だけが「慈悲深い」などというのは、まったくの思い込みだ。

精霊と共に生きる人々。

冒頭しばらくすると、村の長が「精霊」に祈りをささげるシーンがある。

この時点からかなり秀逸なのだが、ここ“ラマレラ村”は極端に生活様式が前時代的ではないように思う。しかし、同時に「精霊」のような目に見えないもの、非科学的なものを信仰している様子がうかがえる。

彼らは、我々と同じような衣服を着ていたり、中にはスマートフォンなどを使用するものもいるし、インターネットは十分に普及していないが、wi‐fiスポットがあったりはするみたい。

一方で電気が夜だけしか使えないなど、まだまだ近代文明に遠い一面も見受けられるのだが。

村人の中には都市に出たことがあるものもおり、文明から遠ざかっているという訳ではない。近代的な文明に対し、決して懐疑的なわけでは無いのだと思う。

漁に出るための船にも電動のエンジンが積まれている。便利なものは取り入れる姿勢であるし、学校に行くことを優先するように子供を説得する親もいる。

そういう文化圏の中において、未だ伝統的に「精霊」を信仰している様子は、どちらかとえば「様式美」を感じるものであった。

そうした存在がいようがいまいが、彼らにとってはその祈りを続けていくことが、自分たちの存在を確かめるための営みなのだろうな、という印象を受けた(あくまで私が感じた印象であるが)。

我々が故人を偲んで墓を参るような感覚に近いように思う。そこに故人がいないことは自明だが、それでも私たちは祈りを捧げ、言葉を送ったりするように。

村人たちが、亡くなった人を偲んで行うある儀式にもそれが表れていた。彼らは無意味と分かっていても、それでもなお、人は人を思う生き物なのだということを、決して捨てようとしない。

それを続けることが、人間であることの証明のようだった。

そんな生活の中で「クジラ漁」を続ける理由は、果たしてどこにあるのだろう。当然飢えを凌ぐためではあるのだろうが、見進めれば見進めるほど、それだけが理由では無いと感じてくる。

そんなことを考えながら、作品は進んでいく。

知らない視点。神でも見えない構図。

さて、ここは技術的な話になるのだが、本作品ではかなり多くのドローン撮影によるシーンが出てくる。

タイトルが出てくるシーンも、ドローンで撮影された出漁のシーンなのだが、広大な海原に出ていく船を“あのような構図”で観る機会は、存在しないように思う。

そのためには高台や山などが必要になるのだが、それでも“あのような構図”にはなり得ない。ヘリコプターやセスナでも、難しい距離感だと思う。

さらに途中に出てくる“捕鯨を真上から観るシーン”は、間違いなくドローンでないと不可能だ。

ゆっくりと鮮血に染まる海の色や、クジラと人間の大きさの対比、クジラの巨大な魚影や動き、どれもこれも、どんなに経験豊富な人でも観ることが出来ない景色である。

セスナやヘリで見れば見れるよ、と思う方もいるかもしれないが、特有の“揺れ”が無い。ドローン独特の“揺れなさ”が、その映像に大変な美しさを生んでいる。わたしはその映像だけでもかなり没入出来た。

まあこれは「この映像はどこからカメラを構えているんだろう」みたいな技術的なことを疑問に思うからこその反応なのかもしれないのだが、それでも“人間が目にしたことのなかった景色”は、心を揺さぶるのではないだろうか。

監督の石川氏も、この作品が映画化するにあたってドローンの存在は非常に大きかったとインタビューでは語っていた。

和をもって尊しとなす。

映画の途中で非常に印象的なシーンがあるのだが(いっぱいあるんだけどね)、それは村の人々が“”を尊重している所である。

村人の命の糧であるクジラを発見したときでさえ、ルールを破ることはしないのだ。取り分で揉めるような条件の時には、例え目の前にクジラがいても、そのルールを守るのである。

飢えることよりも、我が乱れることの方が、危険だという。現代社会において、とてもじゃないけど難しい発想なのではないか。

我々は食物に対する飢えを知らないだけだ。仮にそれが訪れた時、果たしてこの村の人たちのように和を尊重出来るだろうか。

SNS上で別に争わなくてもいいことでやたら争ってしまうほどには心が飢えている人々に
、それが出来るとはあまり感じなかった。

また「漁に出ている期間中は家族と問題を起こさぬように」というルールも存在している。なぜならば感情が乱れてしまい、漁に影響が出るからだそう。クジラ漁は命がけの真剣勝負で、感情の乱れが命取りだという。

大げさに思うかもしれないけれど、実際にそれで命を落としてしまう漁師が作中に出てくる。そして何より、クジラ漁のシーンを観ればどれほど命がけであるかは一目瞭然である。

彼らがそこまで“”を尊重出来る理由は何なのだろう。

人間は欲望が存在しており、それがやがて暴走していく生き物だと、わたしは思っていたりする。

しかし、村人たちが400年位以上も伝統的な捕鯨を続けている所から見ても、その考えは大切に続いているようだった。なぜなのだろう。

映画後半で、クジラを解体して分けていくシーンも、まさにその象徴のようだった。クジラを捌くという貴重なシーンというのも相まって、非常に感慨深いシーンになっている。

未亡人となってしまった漁師の奥さんに、優先的にクジラが与えられていた。

リアリティダイナミクス

また少し技術的な部分になるのだが、捕鯨のシーンの迫力がとにかくすさまじい。カメラマンも命がけである。

途中、ドキュメンタリー映画であることを忘れてしまうほどの迫力があり、これはどんな怪獣映画やSF映画にも勝ると感じた。

というのも、なにせ“現実世界”なのだ。

こういうものがあったら怖いなあ、こういうものがいたらヤバいよな、という我々の想像力により訪れる恐怖とはまた違う、確実に存在していることが分かっている恐怖というのは、肉体からより現実的に想起されるものだ。

音や映像の流れの編集がうまいことも勿論あるのだが、とにかくクジラの声が迫ってくるシーンや、尾びれ攻撃のシーンでは、心拍数が明らかに増すことが分かった。わたしは生きているということが、明らかになるほどに。

これを撮っている人も、村の人々も、もっともっと強烈な“生の実感”をしているのだろう。死ぬかもしれない、というその瞬間には同時に強烈な“生の実感”が湧いてくるものだ。

現代社会において訪れる“死に対する意識”というのは、どうにも“生の実感”を伴うタイプのものでは無いように思う。

むしろ“生の実感”を根こそぎ奪われてしまい、“生きていたくなくなる”のだろうな。

そこにはむしろ“リアリティのある死”が不在なのかもしれない。

自然と共に生きること。

彼らのクジラ漁は、いまなお伝統的な木造の船によって行われる。持つ武器は槍一本のみ。それを飛び込みながら突き刺していく。

クジラに限らず大型の魚介類を仕留める時はその方法である。そしてそれによって命を落とすものもいれば、大きな怪我を負うものもいる。

クジラは非常に頭が良いらしく、船の弱点を確実に攻撃してくるらしい。転覆したり、船が破損したり、事故も珍しくないそうだ。

にも関わらず、なぜいまだに「木造の船」や「伝統的な方法」で捕り続けるのだろう。危険を犯してまで。

便利なものや安全なものがあることを知らないわけではなさそうなのに、それを持ち込まれている様子はない。

何故なのだろう。

しかし、その答えは映画の後半にあった。

後半についぞクジラを捕獲するシーンがある。本当に息を吞む瞬間が続く映画でも最も盛り上がるシーンなのだが、そこで非常に印象的なシーンがある。

クジラは、仲間が襲われていると必ず助けに来るらしい。それを“ケア”と呼んでいるそうだ。そして確かにクジラが助けに来るのだ。自らの危険も顧みず、その命を賭して守ろうとする。

その様が、非常に美しく、同時に儚くもある。自然とはそういうものだ。命の交換が絶えず行われている。

その中で自らの命を賭せるクジラの姿はまさに“”そのものであった。また、村人たちがそれを“ケア”と呼んでいることも、感慨深かった。

本来はインドネシア語であろうから、正確な意味とはずれるのかもしれないが、“妨害”“邪魔”というような人間主体の言語ではなく、クジラ主体の言語でそれを説明している所に、この村の人たちのクジラに対する尊敬を感じざるを得なかった。

なるほど、彼らはクジラを、食うために捕ろうという、飢えないために必要という、単なる捕食者としての態度で向き合っているわけでは無いのだ。

いまだに危険を犯してまで伝統を崩さないでいるのは、それがクジラに対する誠実な向き合い方であり、命に対する敬意の表れなのだろう。

そんなことも分からないくらいに、わたしの思考も感覚も、すっかり自然の中にはいないのだ。自然と共に生きるなんて、軽々しく口にするのは辞めなければなと思ったほどに。そもそも、共に生きるという時点で傲慢な考えなのだろう。

まあ都市で生まれ、都市で育ったのだから、簡単に獲得出来るものでは無いのだけれど、それでも色んなものを観たり触れたりすることが出来るようになった情報社会において、そんな当たり前のことは殆ど獲得出来ていなかったのだと気づかされてしまった。

とてつもない映画である。よくぞ制作してくださった。
もちろん、村人や、クジラにも、同じようによくぞ今日まで営んでくれたと、感謝したい。

なんでも与えらるのが当たり前になった社会で、この命さえも与えられたもののように振舞えることは、幸せではあると同時に、実に虚しくもある。

つまらないことで言い争いをすることが出来る時間さえも、与えられた恩恵の中で出来ることでしかない。

海に浮かぶ灯の向こうに

まあそんなわけで、非常におすすめの映画である。

ドキュメンタリー映画ではあるが、軽快な編集と、美しさ、貴重さのある映像の数々のおかげで、殆ど退屈しない。是非見てほしい。

村人たちは、年に一度、海に向かって蠟燭に灯った火を流す儀式を行う。海に眠る全ての命に対しての感謝と敬服を込めた灯篭流しのような儀式だ。

海風が強いであろうその中で、蝋燭は殆ど消えることなく、海に流れていく。そこには確かに“精霊”が存在しているのかもしれない。

立川 直樹氏(プロデューサー、ディレクター) 魂のこもった美しい映像と選ばれた言葉で紡がれていく鯨で暮らす村の人々の物語。
ここ数年、ドキュメンタリーの秀作が続々と発表されているが、「くじらびと」はその中でも全ての面で群を抜いている超一級の映像作品だと思う。
スクリーンの前で僕達は映画の魔法に酔う。
 (映画「くじらびと 」に寄せて)※HPより抜粋

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