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さあて、アニメでさいごまでやるかなあ

 私はアニメから見始めたので、毎週楽しみに見ている。
 かなりえぐいアニメで、同じチャンネルの「SPY FAMILY」とは対極にあるアニメだが、それでもとても面白い。不思議なことに、SPYとの共通点もある。
 えぐいアニメがえぐさで売れるということは、実はなくて、重要なことはえぐいだけではなく、もう一つの要素が必ず必要になる。
 もし正義の主人公が、正義だけでえぐく殺しまくると、単なる狂気でしかない。しかし、同じように殺しまくったとしても、そこに視聴者の心に届く理由があるとちょっと違ってくる。その理由とは、「寂しさ」だ。
 しかし「甘え」を強く感じさせるのはだめ。
 その辺は淡々として、現実を受けいれざるを得ない「哀愁」があって、その上で、誰もが心の奥で感じたような「寂しさ」が存在することが決め手。
 主人公のデンジは、ひどすぎる育ち方をして、「パンにジャムを塗って食べる」というあまりにもひくすぎる野望しか持っていない。でもこの彼の心情が、意外と現代にマッチしていると感じた。
 しかも、ポチタというチェンソーの悪魔を仲良く暮らし、もし自分が死んだら、自分の体を乗っ取って、おまえは幸せになってくれと言うほどの愛情を示す。しかし彼にとってそれは自分を癒やすポチタに対する、何でもない感情でしかなく、深い愛情を注いでいるという意識すらない。
 デンジの、生い立ちから来る、あまりにも控えめな生き方が、結果的に彼のとんでもないえぐい行動を肯定してしまう。それにデンジがチェンソーマンになるのは、いつも誰かのため。彼自身はチェンソーマンになると自分自身が切り刻まれ、出血がひどくなるので、あまりなりたくない。なれば無敵だが、やりたくない。しかし誰かのために、自分の周りにいる誰かのためなら戦いに行く。しかも動物の勘のような意外なクレバーなところがあって、それがまた、「誰かのために命を賭ける」という、ベタすぎる設定を、ちょっと新鮮に見せている。

 

原作のラストはすごく興味がある。

 原作は読んでいないのだが、どういう結末かはネットを見るとちゃんと出ている。それを見て、益々興味がわいている。このラストだと、本当に最後までアニメでやれるんだろうか。という気はするが、このラストありきの作品だったのだから、それは承知でアニメ化したのだろうし、当然そのつもりでやっていると思っている。
 映像的にも、ラストは意外とえぐいシーンは描かなくても表現できる。何をしているかを気づく人は気づくでいいわけで、デンジ1人の食事は、この物語全体を貫いている、彼の哀愁という重要なポイントをちゃんと表現している。
 それをアニメでどう料理するか、すごく興味深い。

オープニングは全体ストーリーの予告

 昔からあった手法ではあるが、こうした設定が複雑で、ストーリーが奇想天外なアニメほど、オープニングにすべてを語らせるという手法が使われやすい。悲しいかなオープニング見ると全部わかってしまうときもある。
 それでも、アニメのオープニングはとても大事で、これがいいアニメは期待大だし、かなりできがいい場合が多い。
 今回の「チェンソーマン」のオープニングは、米津玄師が作曲、歌唱しているだけでも力の入れようがわかるが、作画も素晴らしい。
 そこにはあらゆるメッセージが盛り込まれている感ありありの映像だったが、始めからちょっと気になったシーンに、デンジがマキマさんに膝枕してもらっているシーンがある。そこでマキマさんから「あーん」でひとくち食べさせてもらう、あのシーンに、目(触覚)が異様に大きくなったカタツムリが歩いている。目のところが虹色にネオンみたいに色が動いている。
 このカタツムリは、奇想天外な想像の産物ではない。
 実際のカタツムリが、これと同じ状態になることがある。
 その映像を見たことがあるが、カタツムリの目が本当に太くなって、内部がうねうね動いているように見えて、かなりえぐい。
 どうしてこんな姿になっているかというと、このカタツムリは、ある虫に寄生されているのである。
 寄生されたカタツムリは、寄生虫に行動をすべて支配されてしまう。そして、より高い枝の葉っぱへと進み始める。当然カタツムリの思考としては、天敵の鳥などに見つからないように、葉っぱの裏に隠れたりしたいわけだが、規制されたカタツムリは、ひたすら葉っぱの上へ上へのぼっていき、そして葉っぱの上に乗る。
 だがこのとき目立つのはカタツムリ自身と言うより、カタツムリのうねうねした目である。
 上空を飛んでいる鳥は、この目を見て、「あ、虫だ」と思って降りてきてぱくっと食べてしまう。
 実はカタツムリに寄生した虫にとっては、カタツムリが鳥に食べられるのが目的である。というのは、この虫は鳥の体の中で生きている虫で、そこが安住の地。ところが繁殖の時にいったん鳥の体から外に出なければならないので、その後、また鳥の体の中に戻るために、カタツムリを利用している。
 カタツムリには迷惑な話で、寄生虫を鳥に運ぶだけの役割で、自分は喰われて消化されてしまうだけである。

 ここまで書けば、チェンソーマンのラストを知ってる人なら結構納得してくれるのではないだろうか。私は原作を知らなかったので、このカタツムリが何の暗喩だろうかと思っていたが、原作のラストを知って、なるほどと思っている。つまりアニメ制作側は、始めからあのラストへ向かっているのではないだろうか。
 さらに現在連載中の「チェンソーマン」の原作に含みを持たしているように思う。いずれ現在連載中の話をアニメ化できるとしたら、カタツムリがどうなったかを見ることが出来るかもしれない。

 いずれにしてもデンジの将来から目が離せない。


第一期終わりましたね。
マキマ飯は二期以降の話になりますが、果たして出来るかどうか。
でも一期でも後半戦、総攻撃を受けるあたりからの映像表現は、かなりしびれました。毎回どきどきしてしまいました。
単なるスプラッターではない、美しささえ感じるような戦闘シーンで(まあ血みどろではありますが)特に悪魔の表現が結構すごいなあと思います。
姫野が契約していたゴーストが、早川に対して、沢山ある手のひとつを伸ばして、その中に姫野のたばこがあったシーン。
じーんとしてしまいました。

続編出来ることを期待します。

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