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日常の視点を変えてみると

この街へ来て5ヶ月が経った。生活のルーティーンもできてきて、街へ私が馴染み始めていると感じる。この暮らしは老後の夢だったから、叶えてしまったら落ち着いてしまうんじゃないかって心配だったけど、実はかなり忙しい毎日を送っている。でも前より時間はゆっくり流れていて、一つ一つの出来事が丁寧に過ぎ去っていく。忙しいのにゆっくり流れて行くのは、矛盾しているように聞こえるだろう。これは多分、日々の捉え方が変わったからだと思う。朝起きて、家事をして、仕事をして、夜寝てという当たり前の日常を惰性で過ごしているのと、その当たり前の日常を充実させているのとでは時間の感じ方は変わる。新しい出来事の連続で時間が長く感じる子供と、過去の出来事で得た知識や経験で慣れてしまい時間が短く感じる大人の、この感覚の違いを知覚時間差異というらしい。初めて通った道より、2回目に通った道の方が早く感じるみたいに。私はもしかしたら子供の頃に戻っているのかもしれない。何もかもが新しいと感じて、毎日が忙しい。1年後には学習して新鮮さが失われてしまうだろうから、この感覚は今だけなのだろうけど。できたらこの状態で真空パックしたい気持ちだ。

つまり新しい出来事を入れていかないと、人生はあっという間に過ぎてしまう。皆んな同じ24時間を過ごしているのに、それをあっという間に感じてしまうのはもったいない。だからと言って新しい出来事を増やしていくのは難しい。旅行やライブへ行くのはお金がかかるし、予定も合わせなければならない。頭を強く打ちつけて毎回記憶喪失になるわけにもいかないし。私の生活はツアーミュージシャンをしていた頃と比べたらとても地味で、刺激的なイベントは何もなく、誰もがやっていそうなごく普通の生活を繰り返している。それでも新しい出来事のように感じて、時間の流れが遅く感じているのは、出来事に対しての視点を変えることを覚えたからだと思っている。南から見ていたのを、北からも見てみるように。いつも同じ料理ばかりだから違うのを作ってみようとか、いつも同じ道を通ってるから遠回りしてみようとか、そうやって飽きてきたら小さなイベントを増やしている。最近は八百屋さんに世間話をしてみるという地味なイベントをしている。この出来事を増やすのって、実はわりと面倒くさい。慣れてくると何も考えずに済む楽な方へどんどん流されてしまい、つまらない日常だと思い始める。新しい出来事というのは増やすのではなく、自分がどの角度から世界を見てみるか次第なのだ。側からしたらずーっと同じことしていて何が楽しいのか分からないような人も、きっと360度色んな角度から見て楽しんでいるのだろう。私が慣れて忘れてしまってもまた思い出せるように、この文章へ落とし込んでおくとする。

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