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自分に飽きた

どうして突然、風景画なんて描き始めたのかが気になっていた。今住んでいる街の美しさを伝えたかったり、坂口恭平さんのパステル画に影響されたりなど理由は色々ある。でも1番の理由は、自分に飽きたのだと思った。私は週刊少年ジャンプの連載漫画家になりたいと思った小学生の時からずっと、頭の中で物語を妄想していた。現実世界より、自分の中で作り出す世界観の方が楽しかったのだろう。だから日常生活の記憶はほとんどなく、どんな妄想をしていたかの方が覚えている。こうして文章を書けているのも、自分との対話時間が長かったのが影響していると思っている。

その妄想は、音楽活動を始めてからも続いた。紙の上ではなく、藤森愛という空想の人物を作り出して、現実世界で物語を描き出したのだ。それは一度も完成させられなかった、読切30ページを描き上げるよりは簡単だった。もちろん始めた頃にそんな意識はない。だけど確実に自分の中には私と藤森愛の2人が存在していて、私が舵を切り、藤森愛がステージに立っていた。藤森愛なら何でもできたし、逆境もチャンスだと思えていたのは、まさに漫画の主人公だったのかもしれない。その連載はおそらく10年目で一度完結した。進撃の巨人ですら11年半だったのだから、わりと長い方だ。ナルトがボルトの連載を始めたように、10年目以降は藤森愛リターンみたいな連載を始めようとして、作者の私はネタ切れしていた。また同じ物語を描くのか?と。私は私の頭の中の狭さに限界を感じていた。

その時から、私の妄想は一度止まったのだと思う。最近は現実世界に戻ってきた感覚すらあって、日々外の世界の広さに感動している。ある日突然、海や山が現れたり、鳥が鳴き始めたり、物が3Dプリンターのように作り出されたわけではないのに、それらは初めて見るような感覚すらある。ずっと前から側にあったにも関わらず、私には見えていなかったし、見ようともしていなかった。でも私からしたら突然出現したに近く、VRゴーグルを外した途端にガラリと景色が変わるあの感じに似ているかもしれない。これからの人類はVRゴーグルを付けて、真逆のインターネットという空想の世界へ行くのだろうけど。

今の私の興味は、自分の中にはなくなった。興味が外へ向いたことで作品も妄想から、現実世界にあるものへと変わっている。風景画なんて、すでにこの世界にあるものをそのまま描いて、一体何が楽しいんだろうとすら思っていたぐらい。言い換えれば、日常の何が楽しいんだろうと思っていたのだろう。曲も自分の感情を表現するものから、この世界にあるものを表現するものへと変わっていっている。またそのうち飽きて、妄想の世界へと戻っていく日が来るのかもしれないけれど、それまではこの日常を存分に楽しんでいきたい。

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