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芸術への境界線

この歳になって美術館に行くようになりました。子供の頃はなんてつまらない所なんだと思っていましたが(笑)静かに、自分のペースで、限られた情報量の中を自由に解釈できるあの空間は私の処理速度に合っているらしい。そして毎回自分の普通さと、表現の幅の狭さと、不自由さを思い知らされるのがいい刺激になります。


パブロ・ピカソの考え方が好きなわりにちゃんと生で絵を見たのはここが初めてでした。ピカソの基礎となっているデッサンはやっぱり素晴らしいクオリティーで、何がどうしてこうなった?!ってくらい段々と世界観が変わっていく。いや、変わっていっているのではなく戻っているのかもしれない。「子供は誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。」というピカソの言葉があるように、いかに大人になって身につけた固定概念を外せるかをどうかを追求しているように感じました。


アンリ・マティスの作品を見た瞬間、脳がフリーズしたのを覚えています。「色彩の魔術師」と呼ばれていることもありそのカラーバランスに惹かれたのかもしれませんが、それに加えて何とも言えない不安定な描写に心惹かれたのです。美術館で見た後、気になりすぎて調べまくったほど。私だったらきっちりかっちり見えたままに描いてしまう。マティスも色んなブロックを外して、思うまま感じるままに描くことができた人なんだろうなと思いました。


フィンセント・ファン・ゴッホが長らく精神的な病に苦しんでいたというのはこの展示会を見に行って知ったのですが、それを知る前に美術館で見ていて、ある時期を境に闇を強く感じる作品から光を強く感じる作品に変化していくのが見えました。光と言っても単純にただ明るいのではなく、闇の中に光が垣間見えたり、闇さえも光のように美しく描き出している感じでしょうか。それが恐らく多くの人が言うゴッホの狂気なのかなと。人間の暗い部分を美しく表現する作品が個人的には好きなので、闇と光の間で命を揺さぶられながら描いていたゴッホからは共感するものも多かったです。


クロード・モネの作品はシンプルに、パッと目に入った瞬間一気に惹きつけられるような洗練された美しさを感じます。なんと言っても光の表現が秀逸。それでも40歳頃まで売れずに自殺を図るほどだったというのは信じ難い。温もりがあって、見ていてどこか安心感さえ覚えるのに。


理解されてたまるもんかと言わんばかりの絵を見ると、理解できるような作品を作っている自分はまだまだだなって思いました。そもそも分かろうとするのが間違っている気がする。他者の作品も、自分の作品でさえも。

皆さまやはり基礎を経た後にそれを崩しにかかっていて、自分だけの世界観を確立している。それを見たある人は芸術だと言うし、ある人はただの紙切れだと言う。境界線はないに等しい。ただの紙切れを誰よりも信じて作り続けられた人だけが辿り着ける場所、それが芸術なのかもしれない。


レジェンド作家の感想文を書いた後で大変恐縮ではありますが…(笑)

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