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何もない日が美しいと思えるように

コーヒーを飲みながら文章を書くいつもの朝。部屋は少し散らかっている。額装をしているため、大量の額がリビングを占拠中なのだ。展示会の準備もいよいよ大詰め。でもそのわりにはだいぶのんびりしている。いつもならもっと切羽詰まって必死に準備をしているのに、今日はどのタイミングで海を見に行こうかなどと考えている。準備に必要なものを買いに行かなければならないから、午前中に海へ行きがてら買い物することにした。

いつものようにクロスバイクで坂を降りて行くと、店先でしらすを干している人がいた。見覚えがある。じわじわと近づいてみると、先日のお祭りでしらすのお裾分けをいただいた漁師さんだった。船に乗せてもらえるらしく、いつでもいいよと言ってくれた。すごく楽しみだ!船酔いが心配だけど…。この旗が立っている時は生しらすを買えるよと、買いに来ていたお客さんが教えてくれた。しらすを卸している場所で、直に新鮮なしらすを買えるのは漁師街の特権。子供の頃はよく食べていたけど、大人になってからめっきり機会が減ってしまっていたから、これからはここへ買いに来ようと思う。

それから海岸に沿って、ずーっとクロスバイクを走らせていく。横目にビーチが見えてきた。海の家が建ち並び、賑やかになっている。すると通り過ぎる車の窓から顔を出してる少年たちに大声で、こんにちわああああ!!!と言われた。私も咄嗟にこんにちはー!と返したけれど、言い終わった頃には車は遥か彼方でおそらく届いていない。世の中は夏休み中。海へ遊びに来たのか、旅行なのか、とても楽しそうだった姿に私もなんだか楽しくなる。この街へ来る人たちは皆んな、穏やかな空気をまとっている。急いで仕事へ向かう人たちや、疲れて家路に着く人たちはおらず、心と身体を休めに来る人たちばかり。そもそもそれを売り物にしている場所だし、私もそのためにこの街へ来た。周りが穏やかだと自分も穏やかになる。だから理由も分からず切羽詰まっている時は、自分だけのせいではないのかもしれない。人はこんなにも周りの環境に左右されるものなのかと改めて感じる。私はもうすぐ展示会だと言うのに、以前とは別人のようにのほほんといるしね。

買い物を済まして、午前中の暑さを舐めていたと汗だくになりながら登り坂でクロスバイクを押していると、また見覚えのある人がいた。こちらも先日のお祭りでお裾分けをしていただいた干物屋さんだった。お祭りで一気に知り合いが増えて、本当に参加できてよかったなあと思う。お祭りの映像と、新聞を見たよと言われた。なんだか恥ずかしい。自分から教えていないのに映像を見てくれている人がわりといて、これぞ小さい街あるあるなのだろう。

家に着き、八百屋さんで買ったスイカを冷やして食べた。夏って感じがする。来月から展示会で色んなことが起きるのだろうけど、このなんてことのない日常が好きだ。というよりも好きになったのだろう。何か特別な日を作らなくても、ただ流れて行く日常が今は面白い。でもただ流れているだけだから次第に慣れていき、いつも側にあるのを忘れてしまう。私もいつか慣れて忘れてしまう日が来るかもしれない。慣れとは時に苦痛を忘れさせてくれる味方であり、面白さを持ち去ってしまう天敵でもある。そんな慣れていく中でも、面白さを忘れないでいられる工夫ができないかと今日も文章を書いている。何かがある日ではなく、何もない日を美しいと感じられる自分でいたい。ここはそんな風に思える、日常が美しい街だ。

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