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ご近所さんたち

海の街へ来て4ヶ月が経った。生活のルーティーンができてきて、大体の場所は地図を見なくても行けるようになり、新しい道を散歩する余裕もできてきた。ご近所さんたちとお話しすることも増えてきて、この街での暮らしを実感している。ある日、この地区での集まりに誘われた。コロナ禍に入ってからはしばらくやっておらず久しぶりに再開するとのことで、カラオケをしたりなんやかんやするらしい。カラオケ…。私はそこで少し身構えた。人前で歌うのを控えていたため、全く知らない人たちの前で歌うのは今の私にとってハードルが高かった。しかもシンガーソングライターというのを知られているから、そのプレッシャーもある。行きたい気持ちと、歌えるかどうかの不安がせめぎ合う。迷った挙句、新参者だし、ひっそりこっそりしていればいいだろうという結論に至り、せっかく声をかけてもらったから行ってみることにした。

当日、区の会館へ向かうと、表にはすでにたくさんの人たちがお喋りをしていた。皆んな知り合いなのだろう。自分は完全にアウェイなのは百も承知。でも実は、このアウェイ感はそんなに苦手ではない。むしろ居心地の良さすら感じる。ツアーをしていた時も全く知らない場所へ飛び込んで、知らない人たちと出会っていくのが好きだった。それは一人っ子だったがゆえに、常に遊び相手を探しては仲良くなって遊んでもらうというスキルを身につけたからだと思っている。中へ入ると集まりに誘ってくれた主催陣が、私が来たのを喜んでくれた。やっぱり来てよかったなあと思った。私は一番後ろの一番人が少ないテーブルへ席に着き、斜め向かいに座っている方に話しかけた。どうやらこの地区の人ではないらしく、友達に誘われて来たそうだ。そうなんですね〜と話していると、区長さんが来て、その人は社会福祉法人の会長さんだと言う。私はいきなり偉い人にペラペラと話しかけていたのだと知り、そーいうとこだぞ!と心の中で叫ぶ…。そしてやはり区長さんからカラオケを誘われて、私は覚悟を決めて曲を予約した。最後に一人でステージへ立ったのはいつだろうか。この街で歌を披露する日が来るなんて思ってもいなかったし、何も準備をしていない。準備をしていないステージは初めてだ。区の中でもさらに3区分に分かれているらしく、私が住んでいる区分の席へ案内してもらった。皆んなが優しく声をかけてくれて、緊張はすぐにほぐれた。

まずはこの区で行われていたお祭りの映像を見た。大勢の人たちが裸で神輿を担ぎ、冬の海の中へ入っていくかなりスパルタな祭り。漁業の街だから豊作を願うためにやっていたらしく、人が足りなくなったため数年前に終わってしまったそうだ。実際にこの集まりに来ているのも高齢者がほとんどで、急激な過疎化が進んでいる。これも日本の氷山の一角にすぎないのだろう。そのお祭りは終わってしまったものの、この地区の横の繋がりは他の地区と比べて特に残っているらしい。どおりで普段からご近所さんたちの仲がいいわけだ。

その後カラオケコーナーが始まり、一人ずつステージへ上がって歌っていった。全員演歌で、結構本格的。でも談笑している人も多く割とラフな雰囲気で、発表会というよりはアメリカのミュージックバーな感じ。これなら大丈夫かもしれないと気を抜いて、自分もお隣さんとお話ししていると、なぜか自分の歌声が聞こえてきた。なんでえええ?!?!と驚きステージを見ると、さっきまでカラオケの歌詞が映っていたプロジェクターに自分のMVが流れていた。

えええええ!?!?と取り乱す自分。なんと区長さんご夫婦がYouTubeでMVを探して、それを流してくれていたのだ。今日はプロのシンガーソングライターが来てくれていますと紹介され、楽曲も映像も自分一人で作っていることまで話してくれた。新しい街でそこまでしてもらっている嬉しさと、恥ずかしさと、ハードルが上がったヤバさを胸に、自分の番でステージへと上がった。

松任谷由実さんの「やさしさに包まれたなら」を歌った。大きなスピーカーを通して自分の歌声が聴こえて来るのは久しぶりで、全身にステージでの感覚が蘇ってくる。1番はその蘇ってくる感覚を確かめるように歌い、2番からは完全に吹っ切れた。そして歌っているのを楽しく感じた。ちゃんと身体が覚えている。私はやっぱりステージマンだった。歌い終わると大きな拍手と共に、予想外のアンコールをもらった。何も準備していない。私は咄嗟に中島みゆきさんの「ファイト!」をお願いした。しばらく歌っていないけど、もうノリで行っちゃえ!と勢いで歌い出す。2曲目はステージの感覚を取り戻し、完全に私は藤森愛だった。いや、でも前の藤森愛ではなく、どこか新しさを感じる。ただ内側の自分を押し出すのではなく、外側にある何かを伝えたいという気持ちだ。再び大きな拍手をもらい、この街での初ステージは無事に終わった。

帰り際に役所の福祉担当の人に歌がよかったと褒めてもらい、どうしてこの街へ引っ越してきたのかを聞かれた。この質問はよくされる。どうしてと聞かれてもただこの街がいいと思ったからなのだけど、過疎化が進み出ていく人の方が多い中、30歳で引っ越して来る人は本当に珍しいのだろう。この街へたくさんの人が来てほしいなんて大それたことは思わないけれど、皆んなが気付いていないこの街の良さをもっと伝えていきたいと改めて思った。自分がこの街を選んだことも、今の家がある区を選んだことも、早いうちに地元の人たちと繋がれたことも何か運命を感じる。気のせいかもしれないけど(笑)これからその運命が何なのかを覗きに行ってみたいと思う。

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