フィジカル派に対するサブスク擁護論的な話 .001

 藤宮はなです。まだ勝手が解らないけど、登録だけじゃなくnoteにも何かしら書いてみようと思います。どうぞよろしくお願いしますね。


アンチ・サブスクへの素朴な疑問

 今回はサブスク否定派に対して、いやそんな事ないよと個人的経験を話してみようかと。フィジカル回帰の流れは売り手には恩恵あると思うので、ビジネス面や音質などフィジカルの優れている側面を否定はしませんが。
 レコードの値段も昨今ドシドシ高くなって、磁気ディスクには寿命があるので、興味のある音楽全てを買う事も、保有して保存する事も庶民には不可能な訳で。
 著名な俳優のBD一万枚のコレクションとか凄いなぁと思うけれど、若者には雲の上の話だと思う。そのどれだけが再生不可能になってるか把握するのしんどそうだし。リスナーが出来るのは好きなミュージシャンの盤を所有して支援するくらいかなぁ。

記憶と記録、またはデータ管理

 まずサブスクを否定する人たちは、記憶に残らない、思い入れや愛着が湧かない、という意見が大勢を占めるのかなって印象。
 でも多分コレクションが大量にある人は、大量に戦利品と称して買ったけど一回聴いただけ、もしくはハズレと判断し、すぐにディスクユニオンに売ったなんて話もネットには転がってるので、物によりけりかも。
 
 第二に、ちゃんと一枚一枚記録を付けていれば、ある程度は数が増えても把握出来ると思いますし、愛着湧く掘り出し物も沢山見つかるんです。経験上それは確信アリ。
 でも蔵書目録とかレコードアーカイヴ目録を皆面倒くさがるんだよねぇ。データで整理出来る分、紙よりも分類も追加も楽なのに。

サブスクの恩恵、digの可能性

 実際わたしの感覚では、欲しいと思うニッチなバンドやアルバムほど流通していなかったりして、気長にリイシュー待ってる間に時は過ぎ、中古盤も見当たらないかプレミア価格のままが日常茶飯。
 それから購入ベースの視聴だと、内容気になってるのに予算の都合と自分の関心度合いで、聴きたいけどいつまでも聴かないまま放置、でも聴けば好きになれる作品って大量に眠ってるはずなんです。本も買ってる身だとCDって年間50枚も買えないんですよ。場所も凄く取るし。
 それがサブスクなら、真面目に聴きさえすれば、全然興味なかったジャンルにも親しめる確率上がるし、聴かず嫌いも偶に克服出来る利点が。
 dig文化の点で言えばこんなにサブスクの恩恵受ける旨みもないのに、大多数のサブスク契約者は一部のビッグネームの最新ヒット曲か、好みの曲だけリスト化して聴いてるだけらしく残念。
 サブスクにない盤は山ほどあるのは事実だけど、実際わたしの聴きたい音楽は古いプライヴェートプレスも追加されたり、購入してた時より視聴体験の多様性の面でも豊かになったと思います。権利関係は団体で作っている以上ハードル高いのが難点。

英詩読む訓練に

 後は洋楽だと対訳に頼らなくなるのも見逃せません。歌詞サイトやSpotifyに表示されるのを読んで英語の歌を理解する必要があるから、下手なりにワンクッション置かない苦闘で英語力も向上する副次的効果が期待出来る。
 これのお陰で苦手なヒップホップにいいアルバムがあるんだと気づけた。英文サイトを駆使すれば、情報収集や探索の解像度も上がる。探し方の下手なわたしでも昔より発掘がしやすくなった。

アルゴリズムはインプット次第でカスタマイズされる

 「Discovery Weekly」はかなり発掘の役に立ってるので、アルゴリズムを全否定はしたくないんです。プレイリストやアルゴリズムだけで事足りるとは思わないけど、メディアより拡張していくのに使える感触。
 もしかするとわたしの節操なく何でも聴く習慣で、固定のジャンルに偏らないバラバラなレコメンドになってるのかも。
 マジで聞いた事ないマイナなバンド以外に、そんな国にこんなバンドが!みたいな新発見もちょくちょくあるからなぁ。
 ガーナやザンビアのロックバンドなんて絶対普通に生きてたら無縁のままだったでしょわたし。精々フェラ・クティ辺り聴くのが関の山ですよずぶの素人には。

 多分生成AIへ出すプロンプトと似ていて、どれだけそのサーヴィスをユーザー自身が活用するかなんだよね。
 一つのサーヴィスで完結せず、他のアーカイヴサイトも活用して、人間のオススメもSNSやブログなどで検索、みたいな能動的なアプローチをする程に音楽体験は豊かになると思う。
 SNSだってわたしらより若いユーザーはそれぞれ使い分けてるんでしょ?
 まぁネットを無邪気に信じてそうだし、スマートフォンだけで賄えると思ってる人も増えてるらしいので、そこは怖い気もしますけど。

ディスクを触るのも下手な不器用限界突破

 音質が槍玉に挙がる件は、これわたしには実際にCDと聴き比べても違いが判断出来ないので、耳の良い質の高いリスナーには大きな不満点なんだろうなくらいで、凄く隔絶を感じるのよ。きっとわたしの本に対するこだわりだって、気にしない人から見たらそんな感じのはず。
 そもそも家族の所有レコード盤も、動画で紹介されてる汚さない持ち方無理で手に持てず、CD以上に傷つけないよう注意してストレス溜まりそう。
 多分ディスク時代に突入してからTVゲームが動かなくなるの増えて、不器用度が限界突破してるわたしは、データ移行で相当救われたと思う。
 何でニンテンドー64以前のソフトってデータは消えてもフリーズしたり起動しなくなったりしなかったんだろ。
 それがあってドラクエIVはPSリメイクが進行不可になり、わざわざファミコン版を近所の中古屋で買ってクリアしたんだもん。当時同級生に笑われたっけなぁ。

検閲と保存の課題

 いやまぁ突然削除されて聴けなくなる懸念は理解出来ますし、実際に書籍や漫画ではそういう修正を強制されてますからね。映画もそうかな。音楽だとパティ・スミスさんの曲で相当炎上してた記憶が。

愛着はフィジカル優位?

 愛着があるかどうかと、作品の細部を記憶してるかは別物とも思う。
 好きでもない曲を口ずさめるのに、めっちゃ好きな組曲なのに全部ソラで再現出来ないの、素人リスナーには納得してもらえるんじゃないかな。
 しかもサブスクはディスクで見る映画より記憶に残らないって記事も、結局それを言っちゃえばわたしの親世代の時代、記録媒体がまだ市販されてないから、映画館か洋画劇場で見るしかなかった時の方が定着する、というソクラテスの主張みたいなものに戻っちゃうだけなんですよ。
 ヴィデオがなかった時代→高価なテープ発売の世代。
 レイ・ブラッドベリ「華氏451度」で、一つの作品を一人が全部暗誦して検閲を逃れたみたいな話ではないけど。

 これも記憶が精確かを軸にすると途端に破綻するという。結末が印象とは違うなんて再視聴でしょっちゅうらしいし、その時のエピソード記憶と紐付いちゃうと先入観や落差で純粋に楽しめないケースもある。我々一般人の愛着ってかなりいい加減。
 絶対音感があれば一度聴いたら記憶しちゃうらしいじゃないですか。大体わたしなんて日本語の曲でも大抵歌詞なんてうろ覚えですよ。大半のTVアニメに歌詞の字幕が出なくなって久しいですが、一番だけ覚えてるとかざら。
 何回聴いても覚えられない複雑な曲は、好きで好きでずーっと聴いてても口で再現出来なかったりするし(長い間奏やインストでも口ずさめるケースもある)、同じように読んでても家族はジョジョのスタンドほぼほぼ覚えてない上に結構ストーリーもざっくりな把握だし。

 すみませんこれは愚痴ですね。
 わたしがそういう傾向のあるASD・ADHDだから、音楽や映像より活字や漫画の記憶定着が負荷少ないだけか。
 感想もそんな気の利いた事言えないから、音楽って結局聴いて楽しめるか好きになれるかに還元されていくなぁって。
 音楽理論知らなくても変なアヴァンギャルドが引っかかってくれるし、高度なジャズも感覚だけで楽しめたりする。
 人の好きや社会的評価と自分の感覚が一致しなくていいと吹っ切れてスッキリしたのも、サブスクで大量に聴ける環境になったのが大きいと思う。

ジャケットデザインやアルバム概念はどうなる?

 ジャケットやブックレットの味わいは課題かも。それもこれからの音楽文化では重視されないのが普通? アルバムの概念が廃れ始めてるよね。
 でもクラシックはマジで宝庫。これはガチ。
 同じ作曲家を演奏者ごとに聴き放題とか凄い。クラシックマニアじゃないからそこまで深掘りしてないけど、オーケストラ違いの聞き比べが一般人にも容易になった。

おわりに――ボートラ対策?

 最後に個人的サブスク的ライフハックを。
 リスト機能を使えばボートラ省いてオリジナルの曲目通り聴ける裏技、取り込んだCDで同じ作業するより作るのも消すのも楽。
 もうボートラ地獄なんて怖くないの。

 それでは今回はこの辺で。はなでした。

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