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自己紹介!noteで書きます

はじめまして!!

静岡県富士市の合同会社富士みらいクリエイションの代表、増田和芳(ますだかずよし)と申します。よろしくお願いいたします。

今まで、自社のHPに付けているブログで記事を書いてきています。ざっと数えて690本近くです。noteでは、コミュニケーションに特化した記事を書こうと思い立ち、書くことにしました。東京オリパラ2020の開幕の日に、新しい挑戦をしていこうと決意、行動に移したということです。

では、私、増田和芳(ますだかずよし)のことを紹介します。


最初の挫折・部下から「ちゃんと仕事してください」

私は静岡県の富士市に生まれ育ちました。富士山の真南にある工業都市。東京の大学を出て就職します。

最初は大手の信販会社に就職しました。その後、もっと人に関わる仕事がしたいと思い、28歳のときに東京の法人向け教育研修サービス会社に転職しました。約10年間、法人営業として、顧客に徹底的に寄り添った営業スタイルを貫きました。営業の仕事では順調に成果を上げました。「増田さんに研修のことをまず相談します」と言われる存在にまでなれたのは、顧客に対しての仮説立てとそれを踏まえた徹底した傾聴、様々な人を巻き込んでいくことができたことが要因だったのかもしれません。

その後、多くの新規社員研修案件の受注を果たし、トップセールスとして表彰を受けた経験を評価され、33歳で営業課長に昇格。4人の部下を持ち、課長としての期待に応えるべく仕事にまい進していました。

2人の部下は、私の言うことを受け止めて、結果も出してくれました。ところが、もう2人の部下とはうまくいきません。私の指示を聞かずに、勝手に部長に相談して、私の指示と違うことをするような部下にいら立つ日々が続きました。

営業課長になって4年ほどたったある日、疲れが抜けない、耳が聴こえない、鼻水が止まらない、そして、やる気が出ないという状況になりました。そんな姿を見た、私の指示を聞かない部下から、「増田さん、ちゃんと仕事してくださいよ」とまで言われてしまう始末でした。

もう仕事ができないという状況になり心療内科にかかったところ、自律神経失調症と診断され3週間会社を休むことになりました。「期待に応えるように、ちゃんとやらなければならない」というプレッシャーがあったのです。そのプレッシャーから逃げ出せると思うと、ほっとしました。

数か月の休職に

2014年に、営業ではなく、自ら研修講師としてお客さんと関わりたいと思い、とあるコンサルティング会社に転職しました。入社してみると、先輩からは、「会議室にこもって一日中テレアポするもんだ」と言われ、行動を見られる日々でした。上司からは、「目標予算を達成しなければいけない」と結果を強要され、さらには、プレゼン資料について細かなところをネチネチ言われることなどがありました。やがて、入社して7ヶ月ほどたって、喫茶店で少し休憩をとっていた時に、妙に疲れる、やる気が出ない、そして、「会社に戻りたくない」という気持ちに強烈に襲われました。

翌日から3日間、会社を休みました。休み明けに、会社に行った途端、上司から呼ばれました。

「大丈夫?ところで、休んでいる間、ブログ更新していただろう?なんで、そんなことするの。そういうこと、するもんじゃない」

先輩に、私のことを知ってもらうために、ブログをやっていることを話していたのです。その話が、上司に伝わっていたのです。

「なんで、ブログを更新していることをもらしたんだ!休んだ人間に、なにも気づかいもないのか!」

先輩や上司に対して、憤りと同時に、強烈な不信感に襲われました。

「信じてもらえない、わかってもらえない、自分の居場所はない」そういう想いにかられると、急に不安になって自信もなくなり、絶望しかありませんでした。やがて、二度目の自律神経失調症を発症し、約3ケ月の休職。毎日、不安におびえる中で暮らすことになりました。

信じることが欠けていたと気づいた

休職中、外部カウンセラーの方に「このような状況で環境を変えることはまちがっていますか?」と質問したところ、「それも一つの選択肢ですよ」と言ってもらいました。「ここから逃げ出せる」と思うと、エネルギーが出てきて、再度転職活動を開始しました。30社ほど面接して、その中の1社の営業コンサルティング会社で、素直に自律神経失調症で休職中であることを話したところ、「素直に話してくれてよかった」と採用になりました。

ところが、社長から「できる人のように振る舞え。自信を持って振る舞わなければいけない」と言われることが多くなり、苦痛になってきました。

入社してまもなく1か月というある日のこと。社長が、私の隣の若手の同僚に対して怒鳴り始めました。

「おまえ!何回もおれに、同じこと言わせんな!」 言葉以上に、社長の怒りの表情が恐怖でした。「バカはバカなりにやるべきことやれ!」と、私のすぐ横で怒鳴り散らし、怒りが収まらないのです。その言葉は、まるで私に向かって言っているように聴こえたのです。恐怖でぶるっと体が震えました。

「またかよ。ここにいることが、つらい」社長への不信感と同時に、強烈なストレスに襲われました。

「このままここに居たら、また同じことが繰り返される・・・」

このとき、やっと気がつきました。「信じてもらえない」「わかってもらえない」と思い込むと、相手を信じられなくなる。 人の期待に応えなければならないと思えば思うほど、プレッシャーで自分を信じられなくなる。 強要されればされるほど、相手への反発から相手のことを信じられなくなる。 本当は、自分がやりたい!想いがあることを自分自身が信じていないことを。そうなんです。私には、自分や相手を”信じる”ことが欠けていたのです。

使命「自分も周りも『信じる』」

2019年、静岡県富士市に戻って、人材育成コンサルタント。キャリアコンサルタントして独立、合同会社富士みらいクリエイションを設立しました。やっと、様々な心の葛藤から開放され自由を手に入れました。両親のいる富士市に戻ることにしました。父が、「大変かもしれないけど、しっかりやれよ」と言ってくれたことが、とてもうれしかったです。

やがて、地域の高校の同窓会で偶然高校の先輩に会い、「うちの会社の社員研修をやってくれる?」とメールが来ました。私のブログやfacebookの投稿を読んでいてくれていたということです。

【信じる】ことを使命に掲げることで、いままでにない言葉を言われるようになったのです。先輩の会社の研修が終わったあと、先輩である社長の言葉にとても勇気づけられました。

「前から、地元で研修をやってくれる会社があったらうれしいと思っていたので、とても頼りになる」「ほかのコンサルや研修講師とちがって、自分の考えを押し付けないところがすごくいい」

「社員が、外部の人と一対一で本音をさらけ出して話したのは、初めて。自分に話してくれないことも、社員が増田さんに話してくれたこと、とてもうれしいし、会社にとって大きい」

この言葉を聴いたとき、「やっと、わかってもらえた。信じてもらったんだなぁ~」としみじみとうれしくなりました。今では、どんな立場の人に対しても「信じる気持ち」を忘れずに、何よりも自分を信じて研修やキャリアコンサルティングの仕事に取り組むようにしています。

研修や人材育成コンサルティングで取り組んでいること

「仕事で結果を出せる人材になる」をモットーに企業で多くの研修(コミュニケーション、営業力強化、ハラスメント防止、マネジメント、キャリアなど)を担当しました。

■某情報システム会社では、ビジネススキルの基礎研修を半年間実施。若手社員の行動定着(メモ取りの励行、報連相の迅速化など)につながりました。

■観光業では、管理職研修を半年間実施。会議の進め方の見直しや、部下とのコミュニケーションのとり方に幅が広がって、問題の解決が図られました。

■某一般廃棄物処理業では、リーダー社員の意識変革を研修を通して実現。昇格者1名が誕生しました。また、リーダークラスのコミュニケーション力が向上し、意欲的に仕事に取り組むようになりました。

■通信業界企業では、営業力強化の一環で、「プレゼンテーション研修」「ヒアリング力強化研修」を実施。ある会社では、全社員のヒアリング主体の営業力強化に取り組んでいます。

「自分も周りも信じること」を使命し、関わる人たちの可能性を拡げるため、オーダーメイドで研修をつくりあげて実施していくスタイルを貫いています。

コミュニケーションの課題解決を通して組織の成長に貢献!

信じる事が出来ずに「コミュニケーション」で苦しんだ経験が多かった私です。私は、コミュニケーションのプロではありませんが、キャリアコンサルタント、産業カウンセラーとして、徹底的に一人一人と向かいながら、コミュニケーション力を高めてきました。私と同じ失敗をしないためにも、若手や中堅社員、管理職の方々のコミュニケーションスキル強化に努めていきます。このnoteでは、主に等身大の私を素材にしながら、「コミュニケーション」を題材にして、いろんなことを書いていきます。そうならないかもしれませんが・・・

以上、これからよろしくお願いいたします!!

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