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キリンジ「愛のCoda」は松田聖子の「蒼いフォトグラフ」のアンサーソングだと思う

高樹氏と同世代の私にはぴんと来まくるフレーズ満載の曲。気になるフレーズを検証しまくると1980年代から90年代前半の時代の空気がふんだんに盛り込まれた作品だと改めて気づく。

メインテーマは「青が散る」  隠れテーマは「地球の歩き方」


50代以上の人が歌詞を見れば1983年放送の宮本輝原作、石黒賢、二谷友里恵主演のあのドラマだとすぐ気づくだろう。テーマ曲は松田聖子「蒼いフォトグラフ」。1980年代のバブル期の大学生の青春群像劇である。当時中学生の私にはちょっと上の世代すぎて原典(小説、テレビドラマ共)に触れなかった為ぴんと来てもそれをしたり顔で語れない。これを期に小説を読んでみようかとも思うのだけど、いまだ手は出せていない。

歌詞から思いあたる項目を箇条書きしてみると80年代の歌謡曲黄金期が垣間見える。


中森明菜 北ウイング 
中森明菜 ミ・アモーレ
テレビドラマ 青が散る
宮本輝青が散る
松田聖子 蒼いフォトグラフ
リオのカーニバル
地球の歩き方
いろは歌
フォルクローレ
アルゼンチン
高野太郎(日本のフォルクローレ歌手 )

そして考察を重ねて気づいたのは高樹氏はあの頃なりたかった自分の姿をリアルタイムで体現してる人ということだった。高樹氏は1969年生まれの早稲田大学第Ⅱ文学部東洋文学科専攻。
女子が多数派の文学科(Ⅰ文なら恐らく国文科)を選ぶ時点でかなりの読書好きとわかる。彼の作品に文学の要素が盛り込まれてるのは国語の教科書レベルの私でも気づくのだから読書好きな人が見ればドーパミン出まくりのはずだ。

高樹氏が間違いなく影響を受けたであろう人物。ドリアン助川

ドリアン助川氏は早稲田大学文学部東洋哲学専攻卒の7才上の先輩である。樹木希林主演映画「あん」の原作者で明治学院大教授である。高樹氏の大学在学中の1991年より「叫ぶ詩人の会」を主宰し、マスメディアにも取り上げられていた。サブカルチャー牽引者のひとり。

1990年代前半は平成の夜明け。新しい価値観を模索するポストモダンと称したネオカルチャーの時代

  私がドリアン助川氏を知ったのは94年NHK教育で放送された「ソリトン金の斧銀の斧」MCの大塚寧々が90年代サブカルチャーの先端をゆくゲストを迎えるトークバラエティ。第1回目ゲストは小山田圭吾という現在のEテレのぶっ飛び番組の原型である。
わずか半年の放送だったが、ここではない何者かになりたくてもがいてた自分に多大なる影響を与えた番組だ。ドリアン氏は言葉の持つ力を泥臭く見せてくれた。1997年にはドリアン氏に触発された詩のボクシングなど言葉の表現活動が盛んになった時期である。
高樹氏の言葉の遊びの連続技には間違いなく彼の存在が影響してるはずだ。(ポストモダンなんてもはや死語である。あぁ現代用語の基礎知識1冊だけでも残しておくべきだったなぁ)

1990年代前半、都会の路上にペルー人のアンデス音楽バンドが多数出現

1990年代前半はワールドミュージック全盛期である。米ソ冷戦が終わり海外旅行が盛んになると非英語圏の文化にアイデンティティをもつ音楽やファッション、料理などいわゆるエスニックブームが巻き起こった。

そんな頃、都会の街角で日本人が大好きな「コンドルは飛んでゆく」の物悲しいケーナの音色が響き出した。当時は珍しかった路上ライブである。赤いポンチョをまとった彼ら奏でるリズムに心の奥底を突き動かされた。彼らは恐らく好景気の日本に出稼ぎに来たペルー人だろう。ペルー音楽が珍しくなくなった頃バブルとともに彼らの姿も消えてしまった。

メロディーはアルゼンチンのフォルクローレ。孤独を友とするガウチョの生き様。

昨年の秋頃のKIRINJIの公式サイトに高樹氏の弾き語り版が期間限定で公開されたが完璧にフォルクローレ風アレンジであった。

「遥かなるアルゼンチン」      愛のcodaの第2のテーマ


バブル絶頂期だから実現できた珠玉のドキュメンタリー番組
1993年の春にフジテレビで放送されたこの番組を私はビデオ録画し何度も見た。一般人には全く無名の日本のフォルクローレ歌手の高野太郎氏が馬に乗ってアルゼンチンを横断し、コスキン音楽祭というフォルクローレの祭典に出演するという長期密着ドキュメンタリー。今では考えられないほど地味でお金の掛かる番組を制作できるほどフジテレビもスポンサーの芙蓉グループもバブルで金があったのだ。

ガウチョとはアルゼンチンのカウボーイのことである。馬にまたがり牛を追って放牧の旅をする。旅の相棒はマテ茶。ギターを背に村々を渡るパジャドールと呼ばれる吟遊詩人もいる。アルゼンチンのアイデンティティで誇り高き孤独を愛する男達である。

愛のcoda(終焉)=孤独の放浪旅

青(青春?)が散って全てを失ったと思い込んでいる主人公は逃げるように日本を発つ。あなたと出会った桜の時期をやり過ごす為。

青は青春を表すとともにピカソの若かりし頃の「青の時代」も表しているはずだ。
青一色でメランコリックな絵ばかり描いてた時期を経て彼はその後明るい色調の「バラ色の時代」に突入する。その後キュビズムを発明し、やがて極彩色へと変貌を遂げる

無様な塗り絵のような≒ピカソの青の時代の名作

自分の心の内をピカソの青の時代の数々の名作に例えてるなら少々おこがましくもあるが、メランコリックな内面を例えているならそれもアリともいえなくもない。

愛のcodaも日本を発つときは雨模様のモノクロームの景色である。景色はグレー、翼はシルバー、心は青一色のモノトーンだったのでろう。それがいきなり地球の真裏のブラジルの極彩色のカーニバルと出逢えばギャップに面食らってしまう。逃げるようにアルゼンチンへ移動。桜が散る頃には新学期のオリエンテーションが始まるのでそれまではガウチョ気取りで落ち込んでいるわけだ。

バックパッカーのバイブル「地球の歩き方」を手に学生は世界へ旅び立った

1979年に個人旅行者向けのガイドブックとして「地球の歩き方」が出版されると(特に偏差値の高い系)大学生は長い春休みを片道航空券(あるいは格安往復航空券)を手に秘境(=地の果て)を目指すようになった。その頃のHISはパッケージツアーなど扱ってなかった。

歌の主人公は帰りのチケットは持っている。そして破る意気地はない。

胸の傷から夕陽が溢れて
きしむ列車を追い駆けて
赤に浸す 青が散る 夜に沈む

キリンジ 愛のcoda

リオのカーニバルの喧騒から逃れる為に夕刻の列車に乗るが心の傷が出血多量で日没の闇に飲み込まれてしまう。追いかけてくるのだから西へ行こうとしているのがわかる。

リオデジャネイロの西はサンパウロ。
しかし夜行列車があったのかは検証できず

ここの部分が気になり本屋で地球の歩き方を購入し調べてみる。広いブラジルの移動は飛行機か長距離バスが一般的。ガイドブックは最新情報の雑誌であるのでなるべく古いバックナンバーも探して2006年版のブラジル編を入手するも情報に大差はない。リオデジャネイロ〜サンパウロ間の高速鉄道計画は入札者がな無く頓挫したままである。長寿番組の「世界の車窓から」のDVDで探せばあるかもしれないが。

「青が散る」のオマージュ≦「青いフォトグラフ」のアンサーソング

まあ、どっちもだよね
もし、この歌が青が散るのオマージュだとしたら彼女は婚約者のいるテニス部のコーチである御曹司と駆け落ちして、結局捨てられ再び彼の前に現れる。(この歌ではまだ駆け落ち中か?)

醸し出されることのない美酒=成就することのない恋愛の構図である。

いろは歌にある
浅き夢みしゑひもせすん
浅き夢=儚い夢
ゑひもせす=酔うこともない
ほらね
醸し出されないお酒では酔うこともできない。
もちろん浮気した彼女を許せない男がいるのは構わない。
お前なんか二度と現れるな!とキレてとっとと次の恋愛を探せば良い。なのにこの主人公は酔から醒めた彼女を受け入れられず、浅き夢から酔いが覚めないまま彼女を忘れられないでうじうじが止まらずいる。
「今はただ春をやり過ごすだけ」なのに。

青が散るの著者の宮本輝氏は1947年(昭和22年)生まれの作家なので彼の青春時代は昭和40年代前半。その頃の感覚で描いているのならこのような価値観でも仕方ないかもしれない。

一方、蒼いフォトグラフは松本隆作詞、呉田軽穂(松任谷由実)作曲の黄金コンビ。
青が散るのテーマ曲なのである程度ドラマの内容に沿った歌詞であり、結構苦くて酸っぱい。聖子ちゃんのキャンディボイスに中和され心地よいレモネードな曲に仕上がってるが

写真はセピア色に褪せる日が来ても
輝いた季節忘れないでね蒼いフォトグラフ

次に誰か好きになっても
こんなピュアに愛せないわ
一番きれいな風にあなたと吹かれてたから
……
いつか何処かで遭っても変わらないねって
今の青さを忘れないでね蒼いフォトグラフ

松田聖子 蒼いフォトグラフ

って元カレにしれッとドライに歌い上げるとはかなりの強炭酸だ。
真に受けたらこみ上げるゲップで胸焼けするぞ

アンサーソングで有名なものに
沢田研二の「勝手にしやがれ」と
山口百恵の「プレイバックPart2」がある
ジュリーが歌う強がりの男に対して
百恵は自立した強い女を歌う

それに対して聖子の蒼いフォトグラフ
はある意味あざとい?無意識ならかなり軽やかな魔性である。
しかしこの主人公は元カノの言葉を真に受けている。
「あなたの孤独 そのすがしさに」とか
「雨に負けぬ花になるというの?」(←宮沢賢治かよ!)青色のまま、困惑したまま格安航空券を手に日本から飛び出した。
大御所によるレモネードな名作のアンサーソングは苦いマテ茶の味である。専用の茶器のストローで喉に流しこめば熱湯で火傷してしまう。喉元過ぎれば熱さを忘れるんだけどね。

高樹氏はインタビューで、もうこのような歌は作れないと語ってるようだ。そりゃそうだと思う

最後に高野太郎氏「遥かなるアルゼンチン」がYou Tubeに上がっていたので個人のアカウントではあるが埋め込んでみた

動画を見て気づいたのは高野太郎氏を知らないのは一般庶民であって六本木界隈でブイブイ言わしてる業界人にとって彼は「六本木カンデラリア」というタンゴが聴ける老舗店のオーナー兼歌手として有名人だったのだ。

インターネットの無い時代、庶民に手の届かない最先端のサブカルチャーの中心(六本木界隈でブイブイ言わす)の彼らには逆立ちしてしても敵わないのだ。
だって終電過ぎても余裕なタクシー券使い放題なギョーカイやワンメーター帰れるような都会に住んでいない者にとって電車で帰れる時間でしかも連日連夜飲み歩くお金も馬鹿にならないそんな余裕のない者にとって六本木はとても不便な街だったからである

参考動画「遥かなるアルゼンチン」前編

参考動画「遥かなるアルゼンチン」後編


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