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スニーカーの印象を引き延ばす行為

2023年1月20日。
NEW BALANCE スニーカーの底の一部が剥げた。歩くとペラペラする。
以前にも剥がれ「靴ピタ!」という商品をドンキで買い接着した。
しかし、また剥げて、また直している。
たぶんまた剝げるだろう。
捨てた方がいいと思っている自分がいる。
けど直す。まだ履きたいらしい。
修理には出したくない。なぜなら、新しいのが欲しい。
直す行為のおかげで、おそらくこのスニーカーのことは3-4年ほど忘れないだろう。
忘れないために修理している節がある。

いつかの別の日。
昼飯にナンが食べたくなり、ネパールインド料理屋を見つけて入った。
14時ぐらいのまばらな店内。
途中から男性客が1人入ってきて席に着く。
ネパール人の店員さんが「イツモノ?」と声をかける。
『いつもの』は、こんなところでもあるのか、と感心する。
「イツモノでごじゃいます。」と言ってランチセットを置いていた。

しかも、このネパール人の店員さん。感じがとても良い。
お水を率先して注いでくれ、ナンを食べ終わりそうになったのを察知し
「オカワリは?ハーフ?フツウ?」と聞きに来てくれた。おかわり無料。
食べ終わる頃には、ネパール人の友達に何かを熱心に話している。
お会計の時も、その話を割って、すみませんと言うのが憚れ、少しレジ前で待った。
友達にお会計を促され、レジに来た。「ゴメンナサイ」と一言言った。
「気にしてないヨ」と心で返し、「大丈夫です」と口から発した。
オカワリは、ハーフで十分だった。

そんなことを思い出した。
おそらくこのネパール料理店の常連にはならない。別のお店に行きたい。
しかし、日常の些細な事柄として忘れ去るには少し寂しい。別に忘れてもいいことだが。
いい思い出に、ランクインするわけでもない、中途半端な記憶なわけだが、嫌いな記憶でもない。
気持ちが波立つこともない、静かな出来事として好きなのだ。