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余談「漫画を描いていたときのこと」

なぜか描くことになった

今はアニメ会社の正社員であり脚本家などを生業としている自分ですが、その昔、漫画をちょっとだけ描いていた時期がありました。

一応、商業誌というかアンソロジー本です。

本の名前が『SDクラブ』

バンダイのBクラブ別冊のSDガンダムなどを中心に扱ったホビーマンガ誌と言えばよいのかもしれません。

対象年齢は間違いなく小学生。

隔月刊で僕が描いていたのは五回程度。

一度のページ数は8ページくらいなので単行本になるようなものでもなく、いい経験程度に考えて受けた仕事だったりします。

あの頃はまだアーケードゲームを作る会社のアルバイトで、
昼はドットを打って夜は漫画を描くという二重生活。

締め切り近くなると三鷹の会社に道具と原稿を持ち込んで、ドットの仕事が終わると同時に机を借りて原稿を描くという流れ。

編集プロダクションがあったのが高田馬場だったこともあり、当時住んでいた国分寺に戻って描くよりも、東西線一本で編プロまで行けることと電車代が浮くこと、更に言うならば狭い部屋よりも広い会社でやったほうが気分が良かったという感じで、アルバイトなのに徹夜で原稿を描いて朝になるとそのままドットを打つ仕事をし、夕方定時に完成原稿を持って編プロに向かうということもしてました。

今思えば二十代故の無限の体力があった頃だったので無茶も聞いたのでしょう。
楽しい時間だったことを覚えています。

ガンダムじゃないんだ

この仕事を受けるまで、僕は友だちにいつか漫画家になりたいと言いつつも、持ち込みもしないし、なんとなく人に頼まれて同人誌の原稿を描く程度だったのでやる気があるのかないのかわからないままに二年くらいドットを打つバイトをしていた感じで日々を過ごしていました。

やや尖っていた時代のこともあり、一緒にアルバイトで入った年上の人に向かって「やめちまえ」とか普通に言っていた時代でもあったので僕にとっては黒歴史の時期でもあります。

この会社の先輩から「バカになったほうが楽だよ」と言われたことをきっかけに今みたいになってしまうのですがいい意味で柔らかく慣れたのではないでしょうか。

それはさておき、この仕事が来たのは、代アニ時代に同級生だった友人がアニメーターとなり所属していたスタジオの社長さんから「誰か漫画書ける子いない?」と言われたことから僕を推薦したことが発端でした。

二年ぶりくらいに連絡を受けて、話を聞くと、高田馬場の編プロが漫画家の卵でもいいから連れてきてほしいといっているということで、いい機会だしやってみるかとその船に乗ったわけです。

それが高田馬場の伸童舎でした。

行ってみて落書きと同人誌を見せただけですぐに仕事の話になり、僕が描く本が先述の『SDクラブ』であり、

「あー、ガンダムか……。描けないこともないけど……」

と思っているときに言われたのが――、

「キョンシーの漫画を描いてほしいんです」

「は?」

「いまキョンシーが流行ってるからガンダムと絡めて」

「……は?」

無茶振りでした。

まあSDガンダムを扱う雑誌とはいえ対象年齢は小学生。
更に言えばあの頃は『霊幻道士』とかやってて、キョンシーがなんとなくブーム。

その頃の僕自身のガンダムに対する思い入れはガンプラを作っていたことぐらいだったので、せっかくのチャンスということもあり、ガンダムじゃないんだという気持ちもありましたが、一応絡めてもいい感じだし、自由な感じでいいと言われたので、

「やります」

と言って高田馬場からの帰り道、キョンシーのムック本を買って帰ったことを今も覚えています。

その結果、生まれてきた漫画が『キョンシー始末人Q&Pマヨネーズ』となるわけです。

一応、藤咲姓はそのままに下の名前だけ変えてペンネームで描いたりしてましたけど。

『キョンシー始末人Q&Pマヨネーズ』

今、考えてみるとこの頃から僕の仕事のスタンスというか発想方法はほとんど変わっておらず、与えられたオーダーに対して自分の興味の向いているものをひとまず乗せていくというスタイルでした。

ちょうど『逆襲のシャア』がやっていた頃で、νガンダムのファンネルかっこいいなあとか思っていた頃でもあったし、女の子描きたいなぁとも思っていた時期だったので、エルピー・プルとクエス・パラヤ出しとけばガンダムっぽさは保てるだろ、という同人誌的な安易なノリだけであの漫画が生まれたのでした。

キョンシーに関してはなんの工夫もなく、まんまキョンシー。顔に札を貼って飛んでればキョンシーくらいの気持ちでデザインしました。

ちなみに今でのあの御札の文字は描けたりします。

ただやっぱりガンダム感をいれたい。

そんなわけで言葉遊びで

「あー、ジェガンならジェガンシーでキョンシーっぽくね?」とジェガンをキョンシーっぽくするという馬鹿なこともやりましたが、まあなんでもありのノリの本だったので特に文句もつけられることなく通ってしまいました。

勢いとは実に恐ろしい……。

はじめてのアシスタント仕事

伸童舎にはそこまで多くの回数、通ったわけではないのですが、ネームを描いてゲームの会社からFAXで送り(今思えば職務規定違反なんですけど)、そのまま高田馬場にいって打合せ。
OKならばそのまま締め切りだけを決めて一気に原稿を描くという流れでした。

当然、僕は自分ひとりの仕事の仕方しかわからないので、我流で漫画というものを描いていましたが、高校時代から愛読していた小学館の『まんがカレッジ』で培った技術をつかい、なんとか漫画を描いていました。

そんなときです。

いつもどおり締め切り前に伸童舎に原稿を持ち込むと、編集の方から急に

「今晩、時間ある?」

「あります(翌日は休みだった)」

「じゃあ東中野にいってほしいんだ」

と、ある漫画家サンのアシスタントをしてほしいという依頼でした。

締め切り前でまだペン入れの段階という話で、とにかくひととおりできるアシスタントさんがほしいということで僕を薦めたようでした。

言われるままにいってみると、昭和何年に経ったのかわからんような古いアパートにその漫画家サンはいました。

きむらひでふみさんです。

丁度、きむらさんがSDクラブで描きはじめた頃で、僕が初めて触れる漫画家サンの原稿が彼のものでした。

「すげー、これが漫画家の原稿か」

と自分も描いているのにそんなことを思ったわけです。

確かにすごかった。

僕が描けないような線をすいすい描いていく。

なんでこんな長い線ひけるんだ?とか見ていて思ったりしましたが、僕自身もとりあえず指定通りの処理をしていかなくてはなりません。

幸い、トーンをどうにかするテクニックと、ベタフラとかカケアミに関してはひととおりこなせていたので、大きな指摘を受けることなく淡々とふたりで原稿を進めていきます。

背景を描いたり、ホワイトいれたり、初めてのアシスタント仕事がこれなんだなぁとか思いながらやっていたわけです。

途中で食事ということで青梅街道沿いのデニーズにいった記憶があります。(たぶんデニーズ)

「いまなにやってるの?」

「ゲームのドット打ってます」

「漫画はいつから描いてるの?」

「小学生くらいから。ちゃんと描いたのは最近です」

とそんな雑談をしつつ、同じアパートの隣に住んでいた漫画家さんを紹介されたり。

とにかく夜も泊まりで仕事をし、最終的な段階で僕は先に仮眠をさせてもらい、きむらさんは凝り固まった背中をゴリゴリ鳴らしながら仕事をしていたのが印象的でした。

朝になり無事に原稿を終わりが見えたところで僕は「ご苦労さま」とアシスタント料をもらって会社に向かったのでした。

そのときのアシスタント料が一万円。

勉強させてもらったり、楽しんでこれは悪いなぁとも思いましたがこれが漫画の世界なのだろうと思ったわけです。

早朝の東中野から三鷹に帰るときに、目の前に座っていたお姉さんがスカートなのに足を開いて座っていたことも記憶の残るくらい、僕にとっては勉強になった夜だったのかもしれません。

その後も、原稿を伸童舎に持っていく度に、そこに詰めている漫画家さん(というかアニメーターさんもいましたが)のアシスタントを一晩していくということをさせられたのでした。

あるアニメーターさんが漫画を描いているのを手伝ったときはまたもや徹夜で帰りは自分のうちの近所まで車で送ってもらったのですが、スクリーントーンをかなり削っていた状態のまま、その袖で目をこすってしまい地獄のような痛みで目を真っ赤にしていたことを記憶にしています。

別の漫画家サンは右腕を骨折していたので、かなりいろんな部分を手伝ったこともありました。たぶん四分の一くらい描いたんじゃなかろうか……?

連載していたのはわずかに五回。

人気はあったのかなかったのか――。
(アンケートで三位だったよと聞いた記憶はありますが)

一年にも満たない漫画家というかドットのバイトの合間に漫画を描いていただけですが、自分ひとりで物を作り完成させて対価を得るという仕事を初めてきちんとしたことが今の自分を作っているような気がします。

そして随分と時間が経って、伸童舎の企画で『火星ゾンビ』という小説を書いたことはなんだか不思議な縁を感じずにはいられませんでした。

以上、本日の余談でした。
では次回の余談をお楽しみに――!


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脚本家、作家、ときどき絵コンテや監督をしています。 アニメ制作会社勤務(25年目)。 主な参加作品『攻殻機動隊SAC』『BLOOD+』『ポケットモンスター・サン&ムーン』など。 専修大学(シナリオライティング)兼任講師。 デジタルハリウッド大学(アニメシナリオ概論)非常勤講師。

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