余談「チャンス」
チャンスは突然に
前のnoteで僕が「漫画家を描いていたころ」を話題にしましたが、あれはひとつのチャンスといえばチャンスだった思える。
あのまま漫画家という道に進んでいくこともできたのだろう。
だが僕がアーケードゲームをチームで作るということのほうが漫画家以上に魅力的に思えたのでそちらに進んだわけで、漫画に関わることは同人という形でしかないのかもしれないな――と思っていたわけである。
けれどその道を進んだのであれば、おそらく今こうして脚本を軸とした活動というか、アニメーション制作会社に所属していろんな方と仕事をしていたかというと、たぶんその可能性はないに等しいだろう。
(違った可能性はあるかもしれないけれど)
あれはまさしく僕の分岐点だったのだ。
そして今の会社に入り、アニメーションの脚本に携わることとなった。
それが2001年のこと。
『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』
第二話「暴走の証明 TESTATIO」
自分が書いて最初に世にでたのが2002年夏頃の発表試写。
そこからが僕のアニメの脚本家としてのスタートであり、2020年の今、キャリアは18年くらいになる。
よくも続いたものである。
このときも、何度か書いているのだけれど、社長と押井さんに言われたからで、自分から進んで「脚本家になりたい」とは一言も言っていない。
けれど今思えばこれもチャンスだったのだろう。
チャンスというものは突然やってくる。
本当に。
ただやってくるのだけれど気づかないと通り過ぎていくものでもある。
気づくために必要な準備。
それができていなければ、チャンスはただ通り過ぎていくだけなのだ。
電車の中でいつも出会う素敵な女の子がいたとして、
その子の名前もわからぬままにただ時を過ごしていれば
時間とともにそれは通り過ぎていくだけの存在でしかない。
声をかける気持ち。
その行動がチャンスを呼び込むかもしれない。
もちろんチャンスにならないこともあるけれど……。
チャンスとは、気づかない限りチャンスにはならない。
ただ気付いたとしてもそこに応えるだけの準備がなければそこから先に進むこともできない。
準備していること
僕自身、チャンスが来たならばそれをできるだけ逃さないようにチャレンジしたいと思っている。
けれどそのチャレンジが力不足故に空回りすることもある。
そのときに考えることがある。
全ては準備している手札でなんとかするしかないということ。
脚本の仕事が来た時の手札が以下のとおり。
・ゲームでシナリオのようなものは書いていた。
・漫画を描いて物語を完結させることはできた。
・小説を出版しており、一応文章描写はなんとかなるはず。
アニメで使える脚本かどうかはわからないけれど、人に見せられるものを作る自信が上記の3つの経験で補えると踏んで、受けることとなった。
結果、ある程度、見様見真似で脚本らしいものにはなったわけだけれども。
ただあの頃はまだ柱もト書きもセリフも意味がわからないままに書いていたので、人の脚本でそう書いてあるからそのとおりの形で書いていただけで、今見れば無駄も多いし、そのくせ描写は足りてないし、勘違いもあるし、脚本としての体裁はひどいもんである。
ただ中に忍ばせてあるエンタメ性や、おもしろくしようという「なにか」は入れ込めたのである程度の評価は受けたのかもしれない。
脚本の力っていうよりも演出の力であることは間違いないんだけれど。
その後、『BLOOD+』の監督を受けたときもいろいろと迷った。
(まだこのサイトが残っていることがすごいよな……)
初めてのアニメの監督。
初めてのシリーズ構成。
しかもテレビシリーズ4クールなんてなかなか来ないわけで、普通は回ってくるはずもないビッグチャンスといえばビッグチャンス。
当然、自信なんかあるわけなく、この時も自分は懐の手持ちのカードを探ってみることにした。
・攻殻で脚本は書いた。
・ゲームの総監督はやった。
・BLOODは企画から携わっている。
・エンタメにはなるような気がする。
・お伽草子では後半、半分構成みたいなことをしていた。
・別の案件で一度、監督やってみないかという話もなくはなかった。
・演出はPS2版BLOODで近くでみていたのでなんとなくわかるけど怪しい。
――くらいである。
普通、アニメの監督であれば絵コンテを書いたり、演出をしたりとやるべきことが多いはずなのだが、そちらに関しての手札はまったくといって持っていない。
代アニ時代に仲間内でつくった未完成の作品の絵コンテはきっていたけれど、その程度でしかない。
いわば現場未経験の状態でどう現場をまとめればいいのか?
不安しかない。
でもこのチャンスにチャレンジしなければたぶん自分は一生、アニメなんて作らないのだろうな――と思ったので、飛びついてみることにしたのだ。
無謀である。
頼んだほうも不安だっただろう。
なのでできないことはできないとはっきりと示し、そこを補強するための策を講じてもらうこととなった。
演出チーフに入ってもらい、演出に関しては全面的に任せて、ある程度、そこの呼吸がわかってきたら手伝おうと考えていた。
シリーズ構成の仕事と、絵コンテの直しのみでほぼ演出に手を出すことはなかったけれど、第45話と4期OPだけは自分で手掛けることとなった。
今見ても未熟さがにじみ出ているので自分自身の反面教師として今もときどき見直している。
やれるべきことはチャレンジし、やった経験を手札として加えていく。
だが無謀なことはしない。
そうして実績を積んで、今に至る。
手札がまったくない場所
ものを作ること、人に見せるもの関しては分野が違えど物怖じすることなくチャレンジすることができると思う。
実際に実写もやれば舞台も経験してなんとか形にすることはできた。
漫画の原作も書いてきたし、小説もなんとか続けられている。
アニメに至っては子供向けから大人までをカバーできるのではなかろうか。
(まだまだ気付かされることが多いので日々勉強中ですが)
という感じである程度の世間的な信用も得られているとは思う。
だが今、会社から与えられている業務は全く違う分野での要求だった。
いわゆる管理職。
人と数字を見る仕事である。
ものを作る現場での管理職なので経験が活きないこともない。
人間関係やなんとなくな動きは読める。
ただ数字がまったく読めないのだ。
売上とか粗利とかまったく気にしてこなかった言葉が自分の上を飛び交っていく。
なにをなにに置き換えたら今の仕事ができるのだろうか?
最大限に想像力をふくらませ、思考を繋ぎ、論理的に形を作っていく。
――あ、これ、脚本と一緒じゃん。
そう気付いたのはつい最近のことで、自分らしくクリエイティブな頭で業務に挑むことにした。
ただものを作るときに動かす主観の視点以上に、客観視点を保たねばならないことがちょっとややこしいけれど。
とりあえずは脚本や演出などの業務と、この管理業務は二足のわらじで進めつつ、与えられた会社にとって利益をあげる構造をどうクリエイトするか、スタッフを作品として見立てて構成していくしかない。
ただ作品と違って人間は思わぬことをしでかすもので、ほんとそこで折れそうになることもある。
そのときは自分の手札をじっと見つめ、チャレンジしていくしかない。
これもなにかのチャンスなのだろう――と。
以上、本日の余談でした。
やや脚本の主旨からはずれてますが。
では次回の余談もお楽しみに――!
サポートしていただけることで自信に繋がります。自分の経験を通じて皆様のお力になれればと思います。