わからないけど…好き。


わからないけど好きなもの、もある。

例えば私の場合、宇宙の話が好きだ。先日の、月の内部に空洞を発見したというニュースには心踊った。しかもJAXAが!10年前に打ち上げた探査機で!

普段、人間ごときが神の領域に踏み入れることはけしからん!的なことを散々言っておきながら、月の内部は結構快適、という話を聞いて、じゃ、月に別荘でも買うか…とふと思ってしまった。

以前から、衝動的に雑誌『Newton』や『Nature』を買ってみたり、宇宙に関する講演会に出かけてみたり、物理学専門の友人から積極的に話を聞いたりする。そういえば学生の頃、塾のバイト仲間男子に「ブラックホールには毛が生えてるんだよ」と教えてもらったが、未だにそれが宇宙の真理なのか艶かしい冗談だったのかの区別がついていない。(おそらくホーキングの情報の話あたりかとは思うが)

恩師の計らいで山崎直子さんにお会いしたこともあったなぁ。小柳ルミ子並みにめちゃめちゃウエスト細かったのが印象的だった。(ルミ子に会ったことすらないけど)

しかし、しかしだ。彼らの話の内容については、さっぱりわからない。その証拠に、ここで彼らの話を再現することすらできない。ある程度の理解力は持ち合わせているつもりだが、聞いても聞いてもチンプンカンプンなのである。しかし、それでも、非常に楽しいのだ。夢があるのだ。すごく納得できるのだ、聞いている間は。モノとココロは表裏一体だ、なんてことが、ストンと腑に落ちるのである。まさに『般若心経』の「無」の境地に至れるような気がするのである。―ちなみに、ここでの「無」というのは「無」が「有る」ことであって、なにも「無い」ことではない。―

きっと偉大な科学者ほど、研究に研究を重ねるほど、そうした境地に近づいていくに違いない。宇宙は神であって、神は宇宙であって。私たちは神の夢の中でしか活動できていないのかもしれなくて。いや、神の掌の上で踊っているだけなのかもしれなくて。広大な宇宙の歴史に比べたら塵芥以下の、所詮、繋ぎ目でしかない私たちひとりひとりの存在は、今を生きることにおいては、関係する特定の人々にとっては、私自身にとっては、こんなにも大きくて影響的で。

そもそもどこから生まれてどこへ還っていくんだろう、私たちは。 小学生の夏休みに祖父母の家の畳の上でゴロンと天井を見上げながらふとそんなことを思い、深淵すぎる宇宙や自分のちっぽけさにものすごく怖くなり、茶の間の祖父母の間に潜り込んだ経験も、まざまざと思い出す。

怖いのに、考える。わからないけど、好きになる。

いやよいやよも好きのうち、っていうのも、こういうことなのかな。(ちょっとちがう気がする)


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