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挫折が人を強くする…はずである【高校受験・前編】

自らの経験や人生を「挫折」とか「波乱万丈」とかいう大げさな言葉でさも悲劇的に表現するのは好みではないが、先の自己開示『お仕事をいただきたいので私のスペックを公開します。』でも書いたとおり、客観的に見ても、この40年弱でまあ色んな経験してきましたわね、よくぞご無事で…と感慨深くなることもある。

で、そんな私の、人生の諸先達方には到底及ばないながらも割と濃厚な経験を顧み、「挫折から学ぶ」を試みたい。

まず思いつくのが、高校受験での挫折である。

都会とは違って石川県は今も昔も県立至上主義だ。私もその波に乗って(家庭の事情も含めて)県立高校を第一志望にしていた。受験を決めたのは、県立2番手の二水(ニスイ)高校。旧制の金沢第一高等女学校の流れを汲む、伝統の名門校である。旧制金沢第一中学校(イッチュウ)を前身とする県立No.1の泉丘(いずみがおか・通称「イズミ」)高校に次ぐ格付けである。また、英語教育に力を入れている点も、中学で英語の楽しさに目覚めた私にはうってつけだった。馬の好きな母は私にニスイの馬術部に入ってほしかったらしく、父は自分もニスイの卒業生だからと上機嫌だった(ただし定時制だということを娘は知っていた)。

学校の成績は良いほうだった。学級委員や生徒会活動的なことにも率先して関わり、先生からの信任も篤い、いわゆる優等生タイプだった(ある意味問題児だったが←追い追いお話しします)。 思いっきり自賛になるが、昨今の言葉で言えば「地頭が良い」んでしょうね、えぇ。母は幼少期の私を見ながら「この子は頭が良いから県外の大学へ行きたいと言い出すだろうな」と思っていたらしい。6歳上の姉の宿題を姉が解く前に解いてみせ、得意になっていた。イヤミな妹である。そんなわけで、ひとつ下の親戚の子と、「一緒にイズミ行こうね!」と約束していた(あれっ)

中学へ進んで、その得意気はへしおられる。ぎりぎり2クラスという少人数の小学校でのびのび過ごしていた少女は、いきなり人数が増えてビビッてしまった(といっても3クラスしかなかったが)。小学校までは教科書に書いてあることぐらいはすべて理解できていたが、学年が上がり、学習が進むにつれて、特に理系科目でついていけなくなる場面がしばしば生じた。すっかり消極的になっていた思春期真っ只中ちゃんは、先生に質問することもできなくなっていた。そして迎えた3年の数学の授業。鬼の女教師が担当になると聞いて、みんな恟恟としていた。「あの先生は定年直前でしかもコーネンキ障害だから、いつもイライラしている」と悪口をいう者もいた。その鬼教師に「廊下に立っとれ!」と言われたのである。

その日、私は風邪をひいて声が出にくかった。先に申告するなり教壇に近づくなり黒板を使って筆談するなりすればよかったのだが、中学生の私にはそこまで気がまわらなかった。そこへの「声が小さい!廊下に立っとれ!」である。何度も大声を出そうとした努力は、評価すらされなかった。教師を睨み付けたまま、私は黙って廊下へ出た。そのまま帰ろうかとも思ったが、そんな度胸もなかった。教室から出てきた教師は私の言い分も聞かずに再度怒鳴りつけた。反論する気も起きずに黙っていたら涙が出てきた。それを見てさすがの鬼もちょっと怯んだのか、諭すような口調に変化した。完全に数学への熱が冷めてしまった。数学自体は嫌いではないのだ。むしろ、好きだし楽しい。みんなが選択授業に美術や体育を選んで受験勉強の気分転換をする傍ら、私は数学を選んで嬉々として魔方陣を解いていたくらいだ。それなのに。

帰って母にチクった。母に知恵付けされて担任にも鬼教師の理不尽さを訴えたが、うすうす感じていたとおり、3年時の担任は面倒事の嫌いな、ただの中年だった。十数年後の同窓会で再会した時に、「君は僕のクラスだったか?」と言われたぐらいだから。担任ではなかった他の先生方でさえ、覚えていてくださったというのに。

それまで5か4しかなかった通知表に、はじめて「3」が付いた。ニスイを受けるのに主要5科目に3があるのはさすがにマズい。あの鬼教師のせいだ…

件の担任は模試の結果を見て「このままの調子で伸びれば、充分狙える」と言った。素直に嬉しかったが、無責任なこというな、とも思った。その時の模試の伸び方は自分でも驚くほど奇跡的なものだったからだ。しかも私は典型的な「学校の成績は良いけど模試では力を発揮できない」生徒だったから。

無責任教師は続けて「桜なら受かる」と言った。県立3番手の桜丘(さくらがおか・通称「サクラ」)高校である。イズミ、ニスイと同じく伝統ある良い学校だが、私にとっては全く魅力がなかった。まず、立地が悪い。市中心部に近い我が家からみて、北東部に位置するサクラへの通学は「下り」になる。周囲に面白い娯楽もないし、学校帰りにマチ(当時の金沢一の繁華街・片町)へ行くには自宅を通り過ぎなければいけない。「帰りに寄り道する」感覚が味わえないのだ。「高校デビュー」を決めていた私にとって、サクラなんてまっぴら御免だった。


しかも、いくら拮抗しているとはいえ、当の本人からすれば ―地元民の感覚からしても― ニスイとサクラでは雲泥の差がある。そもそも、安全パイで妥協するなんて、受験の醍醐味がないではないか。

そんなわけで、イチかバチかのニスイ受験を決めた。


 【高校受験・後編】へ続く



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