文化の立ち位置

文化とは何か―なんて所謂カタイ話は別の媒体で存分に語ることにして、「文化」と聞くと、いつもセットで思い出す単語がある。

 ――必要無駄――

あの震災直後、文化芸術活動を生業とする友人知人は、存在意義を揃って自問自答していた。美容という文化に携わる友人も、真っ先に煽りを受けると嘆いていた。公的団体で準公務員として勤めていた私でさえ、人間の生死に直接関わる仕事―食や健康や医療に携わる仕事―でなければ、人間の職業として意味がないのではないか、と考え始めた。そんな最中だから文化に触れる気分も余裕も持てなかったし、他の多くの人々も、文化的な趣味をこぞって“自粛”した。

そんな中で一つのカルチャーに救われた。災害現場の映像と、金太郎飴のごとく繰り返される当たり障りのないCMの反復のなか、最初に復活したのはお笑い番組だった。
すっかり仲間内の自己満足に成り下がったと思っていた番組や芸人たちの、くだらない笑いに大いに救われたのである。無意識に「こんな時に笑うなんてとんでもない」そう思い込んでいた私たちに、彼らはおそらく命がけで、笑いを提供してくれたのだ。そこにプロ意識や意地や根性やプライドといったものを垣間見た気がしたし、一方で彼らなりの命の叫びのようなものも感じた。

歴史においても、合戦の陣中で白拍子の舞に一時の癒しを求めたり、戦後の焼け野原に歌姫の美声が涙を誘ったりしたのも、やはり私たち人間には、文化というものが生きていく上で必要だという事実を突きつけてくる。それは不可欠ではないけれど私たちにとって必要なもので、一見ムダなようでいて、それを得た私たちは生きることを「活きる」ことに変えていくことだってできる。

2年前に乳がんを患い、死というものを目前に感じたとき、生きてさえいれば他には何も要らないと、心の底からそう思った。もう誰かの文句も言わないし、贅沢も言わないから、どうか命だけは助けてください、と、神に仏に医師に縋った。しかし人間なんて嘘吐きで恩知らずなもので、治療が終わって元気を取り戻したら、それはまあ色んな欲が出てくる。病室の窓から見える山々の彩りで満足していたのが、実際に間近で見たい、あちこちに出掛けたい、この手で触ってみたいという願望に変わるし、心配してくれるだけで有難いと思っていた人物に、あれやこれやと注文をし始める。

私の商売道具は「言葉」ということに(表面的には)なるが、言葉を必要としない方法や作品で人の心を動かせる人物には正直、嫉妬のようなものを感じることがある。先日も術後の定期検診を受けにいったとき、待ち時間にはじめは文章を読んでいたのが、だんだん文字を追うのが疲れてきてしまって、ある人が撮った写真の数々を眺めることにした。そのうち、自分の部屋で写真集をめくっているような感覚になってきて、公衆の面前であるにも拘わらず、うっかり涙を流してしまった。それを作家本人に伝えたところ、最近そういった感想が増えてきて、驚くとともに喜んでいるのだという。

人に涙させる作品を生み出す人物を作家論でみたとき、その背景は苦悩に満ちた複雑なものであることが多い。歴史に名を遺す芸術家や文豪にもその傾向は顕著で、だからこそ深淵でどこか神秘的な作品が出来上がり、それは時代とともにいつまでも成長し続ける。

作者の手を離れ、作り手の意図を超えたところで、作品たちは力を持ち始める。それはある意味怖いことでもあり、望まないことであったりもする。

しかし、健康の上に成り立つ(健康でない場合にも時として求められる)文化というものが必要かつムダな存在であり続けるためには、身勝手な人間たちのこころの動きの繰り返しが、不可欠なのかもしれない。



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