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赤坂、再来。

「縁のある土地は?」と聞かれたら、間違いなく赤坂は5本の指に入る。

大学を卒業して入社した会社が赤坂5丁目にあった。

蒸し暑い梅雨の6月、その会社の採用面接に行った。千代田線赤坂駅の7番出口を出て、5丁目交番を右折、汗を拭きながら三分坂を上がって、赤坂パークビルヂングを通り過ぎたところに、その会社のオフィスがあった。

わりと急斜面の三分坂

その会社は外資系で、募集ポジションは「英文契約担当」。新卒で契約書なんて読んだ経験も無く、しかも英検2級しかない私が合格する可能性は低かった。しかし、選考が進む途中で、総務部で欠員が出たため、そちらのポジションで採用になった。縁のある会社だったと思う。

入社後、1年ぐらい経った時の組織改編で、社長秘書をすることになった。「英語もろくにできないのに、大丈夫なのか?」と家族中が心配をした。

その時の社長は、豪快でちょっと変わっていたというか、それまで会ったことのないタイプの方だった。義理人情に篤いところがあって、社員との関わり方は、社長の方から踏み込んでくる、という感じ。私が秘書になった時も「今の君は何もできないけど、英語ができてITが分かれば、一生の財産になる。3年、ここで社長秘書をしたら一人前になれる。だから頑張りなさい。」とまで言って下さった。

秘書になったはいいけど、最初からうまくは行かず…。その会社は技術系のソフトウェアを扱っていて、飛び交う用語は意味不明、英語も分からず、社長からの指示も次から次へと来るので、毎日が「吐きそう」な状態だった。今思えばこんな私を使う社長も大変だったと思う。

終業後や週末は、英会話学校に行って、とにかく英語の勉強をした。英語ができれば人生が開ける、ぐらいの勢いだった (…かな、笑)。

それほど規模が大きくない会社だったので、秘書といえどもとにかく色々な仕事が降ってきた。例えば、アジア地域の現地法人の社長と営業を対象にしたセールスミーティングの企画と当日の運営。開催場所は沖縄。新卒2年目の社員に、数百万円の予算を割り当てて、こういう仕事をさせてもらえるのは、今から思えば貴重だったと思う。

また交際上手だった社長は、お客様やパートナー会社の方が来社されると、赤坂のいい感じのお店で食事をよくされていた。営業担当者だけでなく、私も同席させて頂くことがあり、そのおかげで多少、敷居が高そうなお店でもあまり躊躇せずに入れるようになった。

とにかく毎日が必死だった。あの頃、社会人としての基礎体力が一番伸びた時期だったと思う。できなくて悔しかったこと、それを乗り越えた時に喜んだこと、学生の価値観が見事に砕かれたこと(笑)、色んなことが自分の中で揉みくちゃになって、怒涛の時間が流れた。

社長秘書になって3年目、大きな決断をした。1年間、ロンドンに留学をするためにその会社を退職。秘書として一人前になれたかは分からない。でも、秘書業務が回せる程度の英語が身に付いて、「ロンドンに行こう!」という勇気が持てるぐらい成長をした。この社長に出会わなかったら、今の自分は無かったと思う。

で、ロンドンから帰国後、マーケティング職でその会社に再就職。しばらくしてから、オフィスが西新宿に移転することになった。あまりにも濃すぎた赤坂の日々は合計で8年ぐらいだったと思う。こうして私にとって赤坂は、過去になった。

土地の縁というのは不思議なもので、毎日通っていた赤坂も、オフィスが引っ越した途端に行くことはほぼ無かった。何かの用事で1~2回、行ったぐらい…かな。

時はかなり流れて2020年冬。お世話になっているダンスの先生がスタジオを移ることになって、新しい勤務先の連絡があった。

先生:「fujikoさん、新しいスタジオ、赤坂なんです~。」
私 : 「え?赤坂?」

送られてきた写真には、とても広くて明るいスタジオの様子が写っていた。

「こんな素敵なダンススタジオ、あったかな…?」

赤坂見附駅徒歩1分 岩倉ダンススクール

ホームページで調べたところ、そのスタジオがオープンしたのは2011年。私がオフィス移転とともに赤坂を去って数年後のことだ。

「そうか、、、あの頃にはまだなかったスタジオなんだな~。」

そんなことを思いながら、超久しぶりに赤坂に足を踏み入れた。多分、15年ぶりぐらい…?

スタジオに行く前に、赤坂の街を歩いてみた。とにかく変わっていた。

TBS周辺の再開発が進み、千代田線の赤坂駅構内もきれいになっていて、やたらホテルが増えている。きっと、東京オリンピック需要を狙っていたのだろう…。

赤坂見附駅直結の駅ビル「ベルビー赤坂」は、ビックカメラになってるし。その当時、ベルビーはオシャレな専門店ばかりが入っていたのに…。そして赤坂見附駅を出て右斜め前の角のお店、以前は「Subway」だったけど、今はもう無い。時の流れを感じる。

でも、赤坂の街の自体は変わっていない。以前からのお店もたくさんある。赤坂見附駅を出てすぐにあるパチンコ店、エスプラナード通りのEsquireやLe Connaisseur、みすじ通りにあるコヒアアラビカ、一ツ木通りの専門店、そして通りを繋ぐちょっと入った道にある色々なお店。お洒落と雑多な感じが同居している街の雰囲気や匂いはあの時ままだ。

エスプラナード通り

赤坂、再来…である。

一度過去になった土地に戻るのは、私の人生の中で珍しい。2021年の2月から、赤坂にあるそのダンス教室に通っている。「新しい」赤坂にもだいぶ慣れた。

しかし、行っていないところがある。それは昔のオフィスがあった5丁目界隈。一ツ木通り入口付近から5丁目方向を見ると、以前は、高層ビルは赤坂パークビルヂングぐらいしかなかったのに、今はTBSの背中越しにいくつか背の高いビルが見える。きっと5丁目も変わったのだろう。

一ツ木通り入口付近から赤坂5丁目方面

自分の人生が大きく動き出した頃を過ごした赤坂は、そのまま過去の記憶として残しておきたい。今でもあの頃の光景を思い出す。オフィスで飛び交う会話、仕事ができないのが悔しくて半ベソかきながら帰った坂道、先輩方とテーブルを囲んだお店…。行けばその思い出は、今の赤坂5丁目の風景に上書きされてしまう。

きっとこの後も、5丁目には行かない…と思う。


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