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独立国家 ネオ岡山

「甲??ロトはあなたを見ている!」
そう書かれたポスターの文字は消えかかっており、その一部は読めなくなっているが、革ジャンを着てひどく痩せた男の目だけは、今でも真新しいインクで刷られたような色をしている。その目は大きく見開かれていて、月のように白く輝いている。その写真は誰がどの角度から見ても目が合うように細工されているものだった。
甲??ロトはあなたを見ている。

ネオ岡山に雨は降らない。最後に梅雨が来てから二十年が過ぎた。海が季節風に乗せて送るラブレターは、北と南にそれぞれ横たわった山脈による厳しい検閲の末、乾いた風として我々の手元に届く。そこに記されていた文字は風化してもう読むことは出来ない。そして人々はその手紙を名残惜しそうに焼き捨てる。
そういった二十年間だった。

どうやらヒトというのは雨を見ないでいると狂ってしまう生き物らしい。雨に飢えた人々は、ゾンビのように群がると、駅前の広場にある噴水の周りを取り囲み、まばたきもせずに何十日もそれを眺めている。その間誰も何も喋らないし、何も口にしない。当然やがて人々はそこに突っ伏したまま餓死する。それでも見つめていたいのだろう、美しく噴き上がる水を。

噴水は高度なホログラフィック技術による立体映像である。たとえ誰かが噴き上がる水を掴もうとしても、そこにはいつも通りの渇いた無があるだけだ。噴水に集まる人々が、それに手を触れようとしていないかどうか、常に上空から“キジ”の連中が監視している。私が所属しているのは“サル”というところで、彼らから連絡を受けると現場に向かい、実際的な物事の処理をするのが主な仕事である。先月は30人ばかりを北へ送り、さらに18人を瀬戸大橋から突き落とした。

ここには娯楽が無い。国外から入ってくる読み物は検閲によってほとんどが黒塗りにされており、タイトルすらわからないことが多い。政府が発刊している児童向けの絵本を一度読んだことがある。とてつもなく長い一本のうどんを辿って香川へ亡命しようとした男が酷い目に合うという話だった。子供達の盲目的な愛国心を育むために書かれたくだらない物語だ。

しかしこういった試みは児童へ向けたものだけに限らない。大人達は週に一回イオンシネマへ詰め込まれると、十時間もの間、「相席食堂」をリピートで見せられる。千鳥のふたりがボタンを押すのと同じタイミングで、席に備え付けられたスイッチを押さないと身体に電気が流される仕組みになっている。観客達が眠らないようにと設置されたものだ。

ネオ岡山をネオ岡山たらしめる政策のうち代表的なもののひとつが密告制度だろう。反政府的な思想を持つ者を密告するとスタンプカードに日付が入った判をひとつ押される。スタンプがいっぱいになると「マルゴカフェ」でフレッシュなスイーツを使ったジュース一杯と交換することができる。密告をしたとしてもされたとしても、ストロベリージュースを得るか労働を得るかの違いでしかない。そこには差と呼べるほどの何かは存在しないのだ。

今の仕事に就くまで私は、倉敷でデニム製造へ従事していた。ネオ岡山における最も人気の高い職種である。ここでは持っているデニムの本数によって自分の価値が決まるからだ。毎朝、始業のベルが鳴るとまず1人につき1つ特製のきびだんごが配られる。それを食べるとどこからともなく沸々と元気が湧いてくる。日の光がやけに眩しく感じ、空がどこまでも突き抜けていくような感覚をおぼえる。まるで神が宿ったかのような集中力を発揮できるし、まさに百人力とも呼べるエネルギーが体中にみなぎってくるのだ。しかしある日工場を経営している男が逮捕され、彼の容疑を知ることすら出来ないまま私は職を失った。今の仕事に就くのはそれから1年後のことだ。

地下の一番街を歩く途中、四人もの“イヌ”とすれ違った。彼らがこうして表に出ているのは珍しいことだ。私は一抹の不安を覚え、少し早歩きで地上へ出た。ギラギラと光る陽射しが目に突き刺さるように痛い。太陽は日に日にその大きさを増しているように感じる。私は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。肺が熱い大気を吸い込んでジリジリと音を立てている気がした。
ネオ岡山に雨は降らない。

かつて誰かが「ハレとケ」と言った。
「ハレ」は非日常、「ケ」は日常という意味らしい。我々が生きているこの日々は果たして日常と呼べるものなのだろうか。日常はもうとっくに雨雲と一緒にどこかへ消えてしまったのではないだろうか。我々は引き延ばされた非日常に、ただ茫然と浮かんでいるに過ぎないのではないだろうか。

しかし仮にそうだとしても、我々に出来ることなど何もない。私は私であり続け、ネオ岡山はネオ岡山であり続ける。人々は梅雨という非日常を待ち侘びながら、静かに死んでゆく。ネオ岡山に火葬というシステムは無い。人が死んでも外に丸一日も出しておけば灰になってどこかへ飛んで行くからだ。それが確固たる我々の日常である。

ここはハレの国、ネオ岡山















この文書は検閲の結果 破棄されることが決定しました。

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