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自戒 外野の物言いに取る姿勢

こんにちは。ふじきむです。

今朝は早起きしてしまったために久々にnoteを更新するかとせっせとパソコンとにらめっこしているのですが、調べれば調べるほど自分の浅薄さが際立ってしまい中々まとめるに至りません(炎上についてのnoteを作っているのですが...もし完成したら出します)。


そうして考えている中からふと思ったことをまとめたいと思います。


炎上や社会問題などがあったとき、その解決策として「政府が~」「企業が~」など自分の関与していない主体に対策を求めたり、「教育を変えて~」「制度をよりよくすれば~」など、現在の欠陥を修正することを期待し発言をする方がいます。

もちろん、その考えは考えの一つとして尊重されるべきだし、私自身も幾度となくそういう考え方をしていました。

ただ、最近思うのは自分が行うこと、支援することに対してでないものに、「かくあるべき」の主張は危険なのではないかということです。

これはあくまで自戒の話なので、他人に対してどうこういう話ではないです。他人がどう考え何を発言するかはその人の勝手なので良いも悪いもありません。好きにすればいいと思います。



自分がどうあるか、自分には何ができるか、といったことにフォーカスしないと、偉そうな外野の物言いになってしまうし、無責任な発言になってしまうように思います。

それは当事者の事情を無視していることであり、当事者は制度、予算(コスト)、時間労力、費用対効果、役割などの前提条件を知って判断をしていることを度外視しているからです(もちろん観測点が近いからこそ誤る判断もあるとは思います)。


当事者はその前提条件を理解した上でその対策をしない判断を取っていたのかもしれません。見立てが甘かったとしても常識や推測を超える事態が起こることは稀だとしてもないとは言えません。


また、実施する現場で生じた問題だとしても、その設計をしている部門は別部門/別組織であることは往々にしてあるので、改善の声が届きにくい(現場や外野の声が入りづらい、改善インセンティブに繋がりにくい)などの問題により解決がされていない場合もあるかもしれません。

そうしたときに注目を集めている現場に対してああだこうだといったとしても現場サイドは「そんなの分かってるよ」と逆鱗に触れかねません。


何はともあれ、「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」というわけではないですが、状況を解っている人、対応する立場にある人が行い外野は支援するか見守ることが大事なのだと思います。

善意は時に盲目的に傷つけてしまうので。


話は若干それますが、
当事者(プレイヤー)のマインドで考える、ということであれば神イチローさんの発言のひとつひとつが大変参考になります。

先月SMBC日興証券さんの企画で「イチロー先生」というものが公開されました。是非ご覧になってください。


本日はここまでで。ありがとうございました。





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