「機械に使われたいのか、機械を使いたいのか。どっちだ?」
職場のパソコンが新しくなった。
前まではWindows7だったのが、来年にサポートが切れてしまうということで、一斉にWindows10のパソコンに交換されたのだった。
朝、職場の自分の席について、まずその本体の小ささに驚いた。
B5ノートより一回り小さいくらいだろうか。
今までは隣の席との間に壁のように置くことができたけれど、もう壁にすることができない。
午前中は想定していた通り、パソコンの設定やら、ケーブルのとりまわしやらをしてたので、ほとんど仕事はできなかった。
職場のパソコンはリースらしいので、パソコン本体とあわせてマウスやキーボードも一式新しいものに交換されている。
で、このキーボードなのだが、左Ctrlキーの反応が鈍いことにものすごく往生した。
ショートカットキーで、コピペしようとするとまず失敗する。
コピーしようとしてるのに「c」って打たれたり、貼り付けようとしてるのに「v」って打たれたり。
しっかり・ゆっくりやると一応できるのだが、そんなのんびり打ってられるかって話で。
自分のだけかと思ったら、どうも同じこと言ってる人が他にもいるので、おそらくこういう仕様なのかもしれない。
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身体から一次的に接触するインターフェース(道具)というのは、自分の身体の延長として扱うことができると考えている。
身体性の拡張である。
たとえば絵を描く人がペン先まで神経を張り巡らせることができるように、パソコンのブラインドタッチも、即意的な入力操作が可能だ。
つまり、(一次的に接触する)道具の扱いに対して、意識的な操作というノイズを排除することが可能であって、無意識に扱えるようになることで、身体性が拡張されるのである。
私は一次的に接触する道具は、そうあるべきだと考えているし、いかにしてそのように扱えるようになるかということを考えている。
なので、今回の職場のキーボードは、非常によろしくない。
交換かもしくは自分のキーボードを持ちこむかを検討している。
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ちなみに常々思っているのだが、この身体性の拡張という観点でいうと、スマホはそれに逆行している。
ガラケーのときは、ボタンを押すという操作で入力がなされていた。
これは大きな制約ではあったが、シンプルかつ確実なアナログ感のある操作であった。
ボタンを押しさえすれば、押したことによる結果は得られる。
なので、全く見なかったとしても、触覚で操作ができた。
対してスマホは、ほぼすべての操作は画面タップが入力となっている。
これは、入力個所を特定し、操作し、その操作結果がどうなったか、というところまでを、視覚のみで確認しなければならない。
非常に集中力がいるのだ。
五感のうち、視覚から得られる情報量が最も多いというのは聞いたことがあって、それでいくと、スマホの操作においてリソースを多く割いているっていうことにならないだろうか。
デジタル偏重になっていく世の中において、視覚頼りのものが増えていってしまってるんじゃないだろうか。
それによってどんどん使う人が無意識のうちに疲弊していっている、ような気がする。
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――とまぁ感覚で適当なこと書いてるわけで。
結局何を言いたかったかというと、
道具を使いたいのであって、道具に使われたくないのだ。
機械に使われたいのか、機械を使いたいのか。どっちだ?
――カウボーイ・ビバップ(Session#19 ワイルドホーセス)by ドゥーハン
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