南京江寧上坊東呉大墓

(内容は2011年の覚書を2020.02.02修正) 

 南京で現在唯一、墓室を完全に保存している六朝墓が、2005年に発見された江寧上坊大墓。南京市博物館が発掘調査を実施した。以前、発掘調査後の保存工事中に4,5回見学に行った。その調査成果はここでは詳しく分析して述べることはできないので、関心のある方は報告原文を参照してもらいたい(南京市博物館・南京市江寧区博物館2008「南京江寧上坊孫呉墓発掘簡報」『文物』2008年第12期)。
 江寧上坊大墓は墓主の個人名こそ特定できないものの、東呉の皇族墓とみられる最高級の六朝墓だ。墓室長20.16m・幅10.71mで江南六朝墓中最大級の規模を誇る(蘇州虎丘路新村土墩M1、安徽省馬鞍山天子墳に次ぐ)。 
 墓室構造は正方形に近い墓室を2室連結した前後室墓で、前室と後室の両側に1つずつ耳室がつき、後室奥壁には2つの壁龕がある。さらに注目したい特色がいくつかある。前室・後室の墓頂は「四隅券進式」の構造で、江南に特徴的な墓頂架構法である。現存するこの型式の墓頂を実際に見られるのは馬鞍山東呉朱然墓とこの江寧上坊東呉大墓、馬鞍山天子墳、蘇州虎丘路新村土墩M1だけ。墓頂中央は覆頂石(藻井)があり、墓室内側に獣像が彫刻され、外側に4つの把手状の耳がついている。墓室にユーモラスな石雕獣像形の棺台が設置されているのも珍しい。棺台上には木棺が残存しており、馬鞍山朱然墓とともに東呉の木棺の形状と構造がわかる重要な資料だ。
 出土した隨葬品に多数の青磁があるが、とくに青磁俑のセットがあるのが注目だ。これらの俑は個別ばらばらに配置されたのではなく、どうやら主人を中心に演芸・近侍するひとつの情景を表現したもののようだ。墓外で多数の東呉の瓦が出土しており、外表施設の陵墓建築が存在した可能性がある。
 上坊大墓はもともと道路建設の開発工事の際に発見され、その重要性のため急遽保存と修復が決まった。現在は一般公開されておらず、史跡整備と修復作業が進められている。また近辺で発見された六朝磚室墓2基が上坊大墓の敷地内に移築されている。将来はこの敷地に東呉古墓博物館を建設し、一般開放されることになっている。考古学的成果が非常に豊富で、今後研究しなければならない題材がたくさんある。今後も注視していきたい古墓だ。
 近年は河南省安陽で見つかった西高穴M2大墓、つまり曹操墓が日本でも話題だけれど、南京とその周辺の呉の陵墓にもちゃんと注目してもらいたいものだ。この墓の規模と構造を見れば、呉と魏の陵墓の違いはもちろん、安陽西高穴M2大墓が少なくとも考古学的には曹操墓であるに違いないことも、理解できるのだ。

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