博物館学?

「博物館学」への違和感

 僕は大学で「キュレーション分野」、つまり博物館学芸員課程を単なる資格取得課程としてではなく、ミュージアムについて学ぶ正規の分野として独立させた専攻に所属し、「博物館概論」「博物館経営論」「博物館展示論」の科目を教えている。もともと研究分野は考古学だけれど、大学教員として採用された専門分野は「博物館学」ということになる。この「博物館学」というのは、いったい何なのだろう。
 「博物館学」という名称は研究分野名なり書籍名なりとしては一般に流布している。しかしながら、僕自身は「博物館学」と言いながらいつも引っかかる。違和感があって、できれば「博物館学」を使いたくないのだ。だからと言って、「博物館〇〇論」と「博物館△△論」と…と列挙するのも会話の中ではまどろっこしすぎる。なので、上記の通り、僕自身も日常は使わざるを得なくて使っている。

博物館現場にいたときは

 僕は最近までいた前職は自治体の学芸員だった。博物館現場のやりがい・面白さ、重要性、課題・問題もある程度知っている。でも、「博物館・美術館とは~」「今の日本の博物館制度は~!」「こんな運営のやり方は法的に~!」…などなどのように、社会学的・哲学的とも取れる、大上段から振りかぶったようなことは考えたこともなかったし、その意味で「博物館学」の専門書や論文を真剣に勉強したこともない。もちろん博物館制度の枠組みとか基本的なことは知っていたし、比較的大規模の館で現場学芸員としてプロ意識を持って取り組んだ知識・経験と実績は持っているつもりだけど、博物館業界の人たちの考えから外れることを批判したり、逆に利用者の側の「正論」を振りかざして博物館のあり方を問題視したりするような、「真剣」で深刻な思考というのは持ち合わせてこなかった。自分の卑小さを他人にまで敷衍するのはナンだけど、概して博物館現場にいるときには博物館学的な思考なんて深く考えない人の方が多いんじゃないかと思う。

えっ、そういうこと?

 いまは立場が変わり、学生に授業をするために、目についたものや自分が興味を持ったテーマに関わるものなど、「博物館学」関係の本や論文を読むことが多い。それらを読んでいつも感じることは、個別のデータの提示はなるほどと受け止めることができるけど、それを踏まえたという各著者の考察や主張の内容はきわめて属人的なもので、僕には「?」なことが多い。でも、著作物、学会・集会、SNSでの言説を見ていると、博物館業界の皆さんにはそれらは共通認識なのか、「そうですよね」「同感です」「それ、ほんとに」という共感の盛り上がり、さらには「だからみんなで声を挙げよう!or活動しよう!」みたいなものまで目にする。
 僕は、自分がおかしいのか?自分がわかってないだけ?勉強不足とかそういうこと?…という自分に対する疑問や自信の揺らぎを感じてしまうのだけれど、やっぱりそうじゃない気がする。
 そもそも日本の「博物館学」は、「学」と呼べる一つの学問分野と認め得るほど、ミュージアムに関する学問体系が確立しているとは僕には思えない。僕が担当する科目の各「〇〇論」だって、実際の博物館現場を踏まえて論じれば重複部分が大きすぎて、よほどテーマを絞らない限り個別の「論」として成立しない。「博物館学」に関する専門書や論文はたくさん出ているけど、書いてあることはだいたいみんな同じようなことや抽象的なこと、しかも拠って立つのは「学史」で、棚橋源太郎と伊藤寿朗あたりが持ち出され、ミュージアムの「新しいあり方」を標榜する人も棚橋や伊藤の各論や枝葉の部分修正ぐらいだ。あとは、自分またはどこかの館がこんな取り組みやった、その特徴は!意義は!みたいな自慢?宣伝?な内容だったり。いずれにしても、ほとんど各研究者の個人的主張に近い。博物館業界の既往の思考と枠組みを墨守するために、理論武装が目的化しているのではないかとさえ感じてしまう。

学問として

 他の研究分野の目から見れば、「博物館学」が「学史」と呼んでいるものも、学史にすらなっていない。研究者個人の一連の著作や制度の変遷としてはもちろんつながった流れがあるだろうけど、学問としてみればその個人なり制度なりという「点」がいくつかあるに過ぎない。蓄積・継承・批判・発展・展開がそれほどされていない。なのに、それらを、学史と呼び、前提とし、一方で周辺の法制度を金科玉条振りかざすようにさえ見える。過去の研究や思考、博物館法及びその他の関係法制度を知り理解するのは大事だけれど、それらに縛られ、破れたところに当て布するような継ぎ接ぎ議論で、本当により良い新たなミュージアムのあり方は構築できるのかな?
 学問とは、現在直面している課題・問題の修正・解決という目先の事柄だけのために思考と議論をするのではなくて、数十年以上の計として真っ新な体系を構築するものだと僕は思っている。その構築に向けて、これまでの背景・経過、成果・実績を踏まえるための材料として、既往の研究や制度変遷などがあると思う。

「学」目指してイチから

 であれば、ですよ。過去に〇〇という研究者がアアイッタ・コウイッタ、この分野の第一人者の△△に拠るならば、みたいなことに拘泥せず。そして、現行法・制度に声を挙げようみたいなデモ活動的な議論もそれはそれで一度脇に置いて。イチから「学」の体系作ろう、そのための実践活動や研究しよう、ていう自由な発想と勇敢さがある人はいないんでしょうか。僕はそういうことやりたいし、大学とか「研究者」を名乗る人の大きな存在意義はそこにあると思うですよ。
 それに本腰入れて取り組んでいないのに、博物館「学」なんて、博物館業界による自己保身と自己満足でしょ。むしろ日本では、他の学問分野に比べれば、博物館「学」は歴史も成果の蓄積も浅いから、チャラにするのはそれほど大変じゃないと思う。
 僕の大学、予算も設備も体制も整っているというには程遠いけど、新しいことを模索する意識の高い、そして現場や実践の経験値の高い教員たちがいる。すでに確立した組織体制と実績を享受したい人には向いていないけど、教員たちと一緒に自分たちが新しいスタンダード創ってやるという意識と積極性がある人には、自由な開拓性と創造性がある良い環境だと思う。ぜひ、学生さんでも、外部の研究者の方でも、一緒に何かやりませんか。

…こういうこと書いてると、どこかで吊し上げられるんだろうなあ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?