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能登2011-24日本一の海藻と山菜 珠洲市仁江町ほか

 能登では冬から春にかけて海藻が食卓をいろどる。その多様さは全国でも1、2位を争い、約30種類を食べている。山菜も約100種を口にする。魚介類にくらべべて地味なイメージだった里海と里山の「草」が健康ブームもあって見直されつつある。(年齢は2012年当時)

海苔で稼いでお年玉 「日本海銀行」に感謝

できあがったノリに小石や砂がまざっていないか点検する

 珠洲市仁江町の皆戸昭利さん(71)と洋子さん(69)夫妻の家を訪ねると、居間にはコナ(カヤモノリ)という海藻でつくったノリがつみかさなり、部屋中に磯の香りが満ちていた。
 冬、頬に紫のしもやけをつくりながら「米粒をひろうように」、磯で摘みとって水で洗い、型枠で水を切って簾の上にのせる。風が吹き抜ける縁の下でひと晩乾燥させ、1枚あたり5分かけてはさみで小石などをとりのぞく。10枚1500円(イワノリは3000円)で売れるという。
 輪島市と珠洲市の境の「八世乃洞門(はせのどうもん)」が1963年に開通するまで、仁江は珠洲中心部からのバスの終点で、輪島側に抜けるには山道を歩くしかなかった。皆戸さんの家は3反(30アール)の田をつくり、伝馬船で漁をいとなんできたが、海が荒れる冬場は魚も野菜もとれない。コンカイワシ(イワシの米糠漬け)をダイコンと煮たり、乾燥や塩漬けにした山菜が中心の食事だから、海藻は貴重なビタミン源だった。
 乾燥した海藻は、女性が背負って内陸の集落で売りあるいた。とくに正月の雑煮に欠かせないイワノリ(ウップルルイノリ)は12月中は生で、1月以降はノリに加工して売る貴重な現金収入源だった。「千畳敷」と呼ばれる磯で、手袋が高価だった時代は、かじかんで感覚をうしなった手を岩にたたきつけながら摘んだ。家にもどって食器を洗おうとすると、傷ついた手はカミソリで切られたようにいたんだ。
 昭利さんは珠洲市中心部の会社に勤めていたが、洋子さんは息子3人をかかえて、働きにでられない。イワノリが2月に終わると収入源がないため、家で食べるだけだったコナを、イワノリ用の型枠や簾をつかってノリに加工することにした。イワノリにくらべれば風味が落ち値が安いから「そげなもん、お金にしようとして!」と笑われたが、まちでは飛ぶように売れた。
 コナを1枚1枚、簾に張って「1枚○円だ」と言うと、3人の息子は真剣な表情で枚数をかぞえ、「母ちゃんがもうけたら、ぼくたちはうまいもんがあたる!」と作業を手伝った。
「子どもに食わしてやりてぇって一心だった。人間というのは困るとそれなりに考えて知恵がでてくるんもんだにゃあ」と洋子さん。
 いま、イワノリなどの海藻の売り上げは年間100万円ほど。
「年金だけだったら孫にお年玉もやられん。お年玉をやる時分にちょうどイワノリがあるし、入学や卒業のときにお祝いやれるさかい、助かるがです」
 必要なときに現金をもたらしてくれる海を「日本海銀行」とよぶ。
 仁江も年々高齢化が進み、約30軒のうち今も海藻を採取しているのは6、7軒になった。
「手間もかかるし、厚さを均一にするのも大変だし、今の人はまねできんだろうね。私らの世代で終わりやね」
 昭利さんは話す。

春のワカメはおいしい

 

30種を食べる日本一の海藻文化

 日本海に面した能登半島の外浦は、冬は海が荒れて漁にでられず、畑は雪に埋もれるため海藻を食べる文化がそだった。
 のと海洋ふれあいセンターの池森貴彦専門員(45)は1997年のナホトカ号の重油流出事故を機に県内の岩礁の動植物の調査をはじめた。能登半島の季節ごとの海藻量も計測してきた。
 海藻は秋に芽吹いて冬に成長し、春先には全長10メートルにものびてジャングルのようにおいしげる。5月の連休が終わると一気に枯れてながれ、夏は陸上の冬枯れのようになってしまう。
 調査の結果、能登の海にはホンダワラ類を中心に約200種の海藻が確認された。単一の草が密集する太平洋岸と異なり、雑木林のように雑多な種類が混生していることもわかった。
 全国的に磯焼で藻場が激減し、能登でも面積あたりの海藻量は1975年から半減した。それでも全国トップレベルだという。
「北はキタムラサキウニ、南はアイゴという魚の害がある。能登はその中間にあって被害が少ない。さらに、きれいな海でそだった海藻は環境の変化にたえる力をもっているのでは」と池森さんは推測する。
 200種類のうちどれだけ食用にしているのだろう? 珠洲市仁江町の皆戸昭利さんに1年間で食べる海藻をあげてもらうと、ウミゾウメン、ギンバサ、カジメ、ノリハバ、アオサ……、たちどころに12種類あがった。池森さんによると、能登半島全体で約30種にのぼり、「伊勢志摩とならぶ海藻文化」という。

6種の海藻を味わえる庄屋の館の「海藻しゃぶしゃぶ」

 日本一の能登の海藻だが、地元では長らく、粕汁やみそ汁に入れる「あたりまえの食材」でしかなかった。
 珠洲市真浦町の「庄屋の館」は20年ほど前、冬場のメニューとして海藻の活用を思いついた。家で食べる粕汁をヒントに、酒粕をトッピングした独自の「海藻しゃぶしゃぶ」を考案した。
 酒粕入りだし汁に海藻をくぐらせると、鮮やかな緑に変化し、鮮烈な香りを発する。磯の香が舌にとろけるアオサ、メカブのようにぬるぬるしたダイズル(アカモク)、気泡がプチプチとつぶれるギバサ(ホンダワラ)……。冷凍保存することで、1年中6種類の味を提供できるように工夫した。いまや「海藻しゃぶしゃぶ」は珠洲市内の飲食店や旅館の冬の定番メニューになっている。
「海藻でも山菜でも能登は金沢などよりはるかに食材が豊富です。でも高齢化で漁師が減り10年後が心配。世界農業遺産で海藻が見直され、漁師の生活がなりたつようになってほしい」
 和田丈太郎料理長(39)は期待する。
 珠洲市中心部では2012年冬、「海藻」を主役にしたイベントがはじめてひらかれた。金沢市での出張イベントで、海藻が想像以上にめずらしがられたのがきっかけだった。「海藻祭り」では海藻の粕汁をふるまい、「海藻おしば」教室をもよおした。「奥能登B級グルメ選手権」で海藻をつかった料理をつのると11品が集まり、牛すじと海藻を具にした「荒磯牛すじラーメン」がグランプリを獲得した。
 「海藻は魚介類のようなインパクトはないが、ほかと組み合わせると存在感を発揮する名脇役です」と市の担当者は話す。

食べる山菜は100種 ワラビ栽培も開始

いちはやくワラビの苗づくりをはじめた岩谷さん

 能登は山菜王国でもある。
 広々とした草原と雑木林が広がる穴水町旭ケ丘の丘陵は、昭和40年代の国営農地開発で開拓された。ススキがおいしげる土地がめだち、ガラス窓がわれクモの巣がはった廃屋もある。同事業による町内の開拓地500ヘクタールの半分は利用されていないという。
 そんな一角に2010年春、3つの観光ワラビ園がオープンした。雑草を刈りはらった斜面に薄紅色のワラビが芽吹き、6月末まで1キロ1000円で収穫できる。
 岩谷秀二さん(75)は20歳で入植し、2・2ヘクタールの農地で葉たばこやコメをつくってきたが、8年前に葉たばこをやめてワラビ(1・1ヘクタール)とウド(0・2ヘクタール)にきりかえた。山で自生するワラビの根を畑に植え、3年間試行錯誤して出荷にこぎつけた。4年前からはワラビの苗を近隣の農家に販売している。
「若い時みたいにきつい畑仕事はできん。ワラビは虫がつかんから農薬はいらん。手がかからんからたすかります」と話す。
 岩谷さん宅の隣では、東京の物流機器メーカーが2008年に設立した「三栄農工」が、荒れていた17ヘクタールの農地で野菜づくりを手がけ、ワラビの観光農園もひらいた。今年(2012年)4月、民家を改装した農産物加工場も完成し、能登の海洋深層水をつかった塩漬けワラビの生産をはじめた。
「周囲の農家からも仕入れ、『能登』にこだわって付加価値の高い商品を生み出したい」
 元役場職員で現地責任者の近藤充夫さん(68)は意気込む。

 2010年の石川県の調査によると能登の人々は約100種の山菜を利用していた。金沢などの飲食店が「ほしい山菜」にあげたのは39品目にのぼった。
「能登の山菜文化は想像以上に豊か。こだわり食材や旬をもとめる飲食店が増えており、能登の山菜はまだまだ伸びしろがある」
 中出吉彦・県奥能登農林総合事務所農業振興課長は話す。

 穴水町大町の谷口藤子さん(80)は50年前から県内の山の植物観察をつづけ、能登に生える200種類の山菜を試食してきた。谷口さんによると、穴水ではワラビやミズブキを糠に漬けて冠婚葬祭の煮しめ料理などにつかっていたが、コゴミやカンゾウ、コシアブラを食べるようになったのはここ数年だ。山菜を商売にする農家も少なく、富山県などの業者がマイクロバスでのりつけて大量に採取してきた。
「四国の山ではイタドリやシイタケで祭りのすしをつくるが、穴水は魚が豊富だから山菜にこだわる必要がなかった。最近やっとお金になることがわかり、山菜の価値にめざめてきたようです」と谷口さんは説明する。
    
 能登の里山里海は世界農業遺産になったが、穴水には千枚田のような観光資源がない。そこで町は「山菜」に目をつけた。林野庁の外郭団体に働きかけて2011年、「山菜アドバイザー」の研修会をひらいた。町民のアドバイザー10人(県内は22人)が誕生し全国一の人数になった。
「山菜は自然環境や農地の保全につながり、高齢化した農家の収入源にもなる。世界農業遺産の理念にぴったりです」
 宮下謙二・町産業振興課長は胸を張った。(つづく

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