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「色んな価値観を持つ人と出会えたらいいね」はゴメン!きれいごとでした! 夫婦子育て価値観の違い。

夫は、7歳息子が
「色んな価値観を持つ人と出会って、話が出来たらいいね」
と言うのだけど。
「そうだねぇ」
と私も言ってはいたのだけど。

ゴメン!
私の場合、それは完全に建て前なのだ!
なにせ私、偏ったニンゲンなもので。
自覚はある。
私の学校の不信感はひどい。
ハハによる息子への影響も危ぶまれるのは確か。

しかし!
担任の悪影響を受けて他者を見下す発言をする7歳息子をほおっておくわけには。
こんなにも素直に(単純に)影響される息子だから、
接する大人を選びたくなるわけです。
権威的差別的排他的な考えに染まって欲しくないなぁ。


困ったことに夫と私では
こどもに対する思いが違うのである。

夫は
「なるべく傷付かないように世の中を渡る術を身に付けてほしい」
って感じ。
世の不条理に対してうまく交わす方法とメンタルを獲得せよってことか。

私は
「世の中の間違いに気付き、声をあげ、自分や仲間が住み良い場所を自分で創る」
人間になって欲しい。
かなり大きく出てますねぇ。
重い?
はい、子どもにやらせようとせずに自分が取り組まねばならぬことではあります。

夫は「うまく社会に溶け込め~」で、
私は「間違った社会であるならば変えよ~」ですな。

…価値観違うな。

例えば先日のエピソード↓

担任は昨日、リレーの練習でみんなと同じことをしなかった(アンカーが戻ってきたら全員座る)子を前に
「○○君と同じチームになると失格になりますよー。
○○君と同じチームになりたい人、手を挙げてくださーい」
と言ったらしい。

そこで手を挙げられる息子であるならば心配はしないのだけど、
「(担任に)何言われるかわからない・・」
だって。

これを聞いた夫は
「下手に手を挙げてたたかれてこの先何も言えなくなってしまうより、いい。」
と言う。

私は
「今疑問を持たなければこの先そんな想いを持つことすら出来なくなるんじゃないのか?」
と思う。
実際に息子の性格を加味すると「手を挙げられない」ので、
私も口に出してこう言ったりはもちろんしない。
けどこれは「考え方」だから。
学校生活は担任のおかしな言動を容認する訓練になっているからね。
たとえ手を挙げられなくても気持ちは持たなければいかんのでは。

…ハハは反骨精神を求めすぎか?

でも夫だって常々
「日本がもうダメだとなったら海外に飛び出せる人間になって欲しい」
って言ってるんですよ!
常々!!
「うまく現社会に溶け込んで」て「いざというときに日本を捨てられる」人間になりますかね!?

ふー。
クールダウン。

息子よ、ごめんごめん。
我らがなんだかんだ言っても子は親の予想を超えてくるのだろう。


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