「勝つ」ということ

元阪神タイガースの鳥谷選手のロッテに入団がきまりました。
その時、監督か球団関係者がこんなコメントを出していたのが印象に残っている。
「若返りも大事だけど、一番大事なのは優勝すること」 
多分、こんな感じだったと思う。これはすごく大事なことだけど、現代人が忘れていたり、本当の意味で理解していないマインドだと思う。
久しぶりにそんな話を書いてみたい。

「とにかく勝てばいい」
これは、私がスポーツに取り組む上で何よりも大事にしていることだ。
“勝てなかったけど力は示した”とか“みんなの力を出し切れてよかった”なんて負け犬の戯言は全く理解できない。
しかし、結果の出なかった努力を美談とする風潮がこの国では強い。泥臭く小汚い勝利よりも、泥臭い負けのほうがみんな好きなのだ。

それの最もたる例が1992年夏の甲子園の明徳対星稜だろう。
かの有名な松井秀喜5打席連続敬遠である。当時マスコミに大々的に取り上げられ大きな社会問題となった事件である。しかし“勝つ”ということを第一に考えるのであれば仕方なかったことともいえるのではないだろうか。もし、松井選手に一発浴びることになれば試合の流れを一気に持っていかれるかもしれない。だからこその敬遠策だったのではないだろうか。
この試合においてだれもルールを破ってはいないのだ。ルールに乗っ取った作戦で試合に勝利したのだ。これを批判するのは負け犬の戯言なのだ。

相手が自分よりも強いとわかっていたら、負けてあげるのだろうか?
小兵力士ががっぷり4つで相撲をするのだろうか?

結局はみな綺麗ごと並べているだけなのだ。
スポーツは清く精錬であるべきと、きれいなものだと、決めつけているだけなのだ。持てるすべてを出し切っても勝てない奴は正々堂々と負けるべきだと決めつけているのである。スポーツとは一部の才能あるものがその他を踏みつぶしていく様を見るためのものなのだということだ。
勝つことを最優先にするということはある程度の犠牲を払わないといけないときがある。その犠牲の先につかみ取ったことは、世間一般の人から見れば少しズルをしているように見えるのかもしれない。キャッチャーのささやき戦術であったり、隠し玉であったり様々なプレーがあるが、すべてルール内の作戦である。弱いチームにとってそういったプレーのアウト一つは大変価値のあるものなのだ。

少しだけ相手のほうが総合力の勝っているチームと対戦するときあなたはどうしますか?
※自分の力が90、相手の力が100ぐらい

大半の人は何もしないのではないだろうか。何もしないまま負けて、試合後に誰かがこう言うのである。
「今日は負けちゃったけど、惜しかった。今度はもっと練習して勝てるように頑張ろうぜ」
なんて、くその役にも立たない言い訳と、ふわっとした目標みたいなものを述べる程度で終わるのだ。
はっきり言っておくが、こんなマインドのやつに次なんてない。
今、目の前の試合に勝つための最善の手を打たない奴に次のチャンスなんて二度と訪れたりはしない。
これが、明徳の馬淵監督であるならば、相手に100の力を出させないように作戦を立てるのだろう。まずは4番を敬遠することでチームの力は90くらいには簡単に落ちるだろう。そしてそのフラストレーションによってチームの力は70よりは下になってしまうのではないだろうか。
90対70。勝算は十分にある。選手たちは勝つためのチャンスを見事つかんだのである。

これは勝つために当たり前のことなのだ。サイン盗みやドーピングなんかはルールの外側だから当然認められないが、ルール違反にならないのであれば、どうすれば勝てるのかは当たり前のように考えるべきだろう。

その2に続く




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