書くこと

小学生のとき、作文を書く時間が1番嫌いだった。
まわりがスラスラ書いている中、1文字も書くことができなかったことを覚えている。しかし、今は文章を書くことが楽しくてたまらない。



長期の休み明けに担任の先生はきまって私たちに作文を書かせた。
自分の書きたいことは決まっていたのだが、あの時の私はどう表現したらいいのか、どうして文章にしたらいいのかまったくわからなかった。
だから、いつも最後まで教室に残されて、苦し紛れの短い作文を長い時間をかけて書いていた。 

そんな私だが喋ることと本を読むことは好きだ。本や人との会話で得た知識をネタに喋るのだ。あるとき自分の会話に一つの疑問を持った。

「話したいことを相手に伝わるように言語化できているのだろうか」

学生時代はバカ話やちょっとした雑学だけである程度の会話は成り立っていた。小難しい表現は必要ないし、特別に気を使うようなこともなかった。
しかし、社会人になったとき、少しだが、周りの人の質が変わったんだなと感じた。これまでの自分の表現の仕方で通用するのだろうか、という疑問が生まれたのだ。
だから、今一度、自分の言語化能力をたしかなものにしたいと思いnoteを始めた。

 noteを始めて最初のタイトルは書きたくても書けないだった。
小学生から10年以上時は流れているが、まったく自分は進歩していなかったのだ。自分も他の方みたいにカッコよく日常を伝えたかったのに何も書けず、3行書くのに30分ぐらいかけてしまった。そして書いたもののタイトルが、書きたくても書けないのだから救いようがない。
しかし、一つ二つと書いていくうち楽しくなっている自分がいることに気が付いた。今日あったことを書こう。だとか、こんな内容で書いてみよう。みたいなことがどんどん湧いてきて、自然PCの前に座っている自分がいたのだ。10数年前からしたらありえないことである。

自分の投稿にスキが付くのがものすごくうれしい。こんな好き勝手に適当に書いた文章を読んでくれる人がいて、さらに評価してくれる人がいる。こんなにうれしいことはない。こうなると、もっと投稿の頻度をあげよう。とか、もっといい文章を作ろう。という気分になってくる。

肝心の言語化なのだが、まだ変化を感じてはいない。語彙力がついたようにも感じない。もしかしたらなにも変わらないかもしれない。言語化と文章を書くことは関係ないのかもしれない。
しかし、“文章を書くことを楽しく感じている自分”に出会うことが出来た。これは大きな収穫だ。もっと良い文を書いて、たくさんの人に読んでもらいたい。

 「明日の自分は今日の自分より書くことが好き」
 これが私の“書く“理由なのだ。

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