ヒトミシリ

「私、人見知りなんです」
「あー、あの子は人見知りだからね」
人見知りとコミュ障があふれる現代に私は嫌気がさしている。


某スポーツサークルにて。
「きみ、○○さんが怖いって言ってるよ」
ありがたくもなんともない言葉をかけてくれる人がいた。

どうやら私のスポーツに取り組む姿勢が怖いらしかった。別に何もしたわけでもないのだが、少しだけ勝ちに行って引かれたようだ。それは私が悪いのだが、別に技術で人を判断したわけではない。
勝つためにはシビアなコーチングを入れるし、危ないプレーがあれば危ないとはっきり言う。でもそれらにも反応がなかったし、他愛もない話にも反応がなかった。だからそれから関わらないようにしていた。

言い訳みたいだが、これには理由がある。私が汚くて嫌な奴なのはもちろんのことだが、ファーストコンタクトのコミュニケーションが上手くいかなかったからだ。
後から聞いた話だが、この子は人見知りらしい。
チームスポーツのプレー中に片側からだけのコミュニケーションだけでどうにかなるわけないし、何よりも危ない。接触すれば即ケガに繋がるわけだ。社会人としてケガをするわけにはいかないのだ。だったら関わらないほうがいいだろう。何もわざわざ片側からだけコミュニケーションを取ってあげる必要はない。

「そういう時はこちらからコミュニケーションをとって心を開いてあげればいい」
試合後にこんな文言で怒られた。全くを持って意味が分からない。
なぜ、コミュ障のためにこちらが労力を使わないといけないのだ。心を閉ざしているのになぜ開いてあげる必要がある。
だから、プレー中はできるだけ関わらない。良いプレーをしても、悪いプレーをしても特にフォローするようなことはしない。なぜならコミュニケーションが成立しないのだ。意味がない。

そうこうしていたら、怖いと言われたのだ。
こちらのほうがだいぶ怖い。どうしてほしいのか、わかるがわかりたくない。
このタイプの人は若い大学生ぐらいの女性に特に多い。
自分を人見知りやコミュ障だと良い周り、自分からアクションを起こすことなく、ただひたすら待つのだ。
新型鬱に似ている症状だと思う。自らを鬱だと周りに申告し、人付き合いのハードルを力で下げる。自分が鬱であることが少しかっこいいと思っているようにさえ感じる。ファッショナブルでスタイリッシュな他人とは違う特徴だととらえているのかもしれない。

これからはこれを新型コミュ障と呼ぶことにしたい。
女性に多い理由は可愛いと思われる場合があるからなのではないだろうか。
引っ込み思案で少しモジモジしていて、声は小さく、はっきりモノを言わない。
どうだろう、おとなしくて可愛い子に見えてしまうのではないか。ファッショナブルなおしゃれポイントとして使えてしまうのではないだろうか。しかもものすごく楽でいい。こちらから行くことしなくても、向こうから来てくれるし、ある程度人を選別することもできるだろう。人見知りアピールをしていれば周りは気を使ってくれるし、ちやほやもしてくれる。
だから、私は関わらない。
コミュ障の心をわざわざ開いてあげるほど善人ではないし、そんなに暇でもないのだ。その分しっかり両側からコミュニケーションが成立する人のために労力や時間を使いたいと思う。


就活性の皆さんは今が一番熱く暑い時期なのではないだろうか。その今こそ自分のコミュニケーションを見直してほしい。

自分からアクションを起こしていますか?
自分で人見知りだと公言していませんか?
ずっと誰かが来るのを待っていませんか?

人と関わるなら、自分から行かないとだれも来てはくれないし、片側からだけだと何も生まれない。



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