【死生観】について〜希死念慮に苦しんだ自分が息子という愛すべき存在に出会って考えたこと〜


日曜日の朝に
すこし重たい話をします。

昔からよく考えてきたけれど
口に出すのを憚るような
そんな話です。


私は、22歳で鬱と摂食障害(過食嘔吐)、(当時分かっていなかったけれど)PTSDを発症し
23歳ではじめて「希死念慮」というものを体験しました。

希死念慮は、体験した人はわかると思いますが
如何ともしがたい、強烈な衝動です。

お腹すいた!食べたい!

よりも

眠すぎる!寝たい!

よりも

ムラムラする!やりたい!

よりも
遥かに強く、重く、えも言われぬ欲求です。

3大欲求の比じゃないくらい
強く、重く、泥のような、鉛のような欲求です。


当時の私は、これをひとりで抱えていては本当に死んでしまう!と思い
ブログで「死にたい」と呟きました。

マンションの部屋にひとりきり
目の前にある向精神薬とウォッカ、包丁を握っては置き
握っては置きを繰り返し

お風呂にお湯を溜め

死にたくて泣きながら震えていました。

そして、ウォッカを一気飲みし
包丁を手首に当てたところでなんとかその手を止め
最後の余力を振り絞り
ブログにその時の感情をひとことで綴ったのです。


とめてほしいわけじゃない
心配してほしいわけじゃない
でも、誰かに「今ここで生きている私」を見つけてほしい

そんな思いでした。

「死にたい」と文字にして外に出さなければ
言葉にして自分と分離して死にたさの濃度を薄めなければ
本当に死んでしまう

そんな思いでした。


震えながら綴った4文字に対し

返ってきたのは

「死ね」
「かまってちゃん」
「がんで生きたいのに生きられない人に失礼だと思わないの?」
「余命のない人を侮辱してる」

「死なないで!」
「死んだら後悔するよ!」
「生きてたらいいことあるよ」

という両極端な言葉でした。

死ねばいいの?
死んじゃだめなの?
なんでがんと比べるの?
なんで後悔するって言い切れるの?
いいことってなに?


希死念慮に占領されている頭には
数ミリの思考力も残っておらず

受容とは相反する言葉にパニックになり
そのブログを消して
さらに残りのウォッカを一気飲みし失神するように眠りに落ちました。

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