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やっと会えた喜びと不安の狭間の中

5月5日。こどもの日。
朝から雨がしとしとと降っています。

本当であれば今日は母が居る施設に窓越しでの面会に行く日でした。


前回は4月16日。

初めての窓越しでの面会でどんな感じなのか?と思いながら約束の時間に行きました。
案内されて行くと、1階の食堂の大きなガラスのスライドする扉が。
こちら側は小さなテントの屋根、その下にテーブルと椅子が置いてありました。少し待っていると、車いすに乗った母を職員さんが連れてきてくれました。ただそれだけでも泣けてくるんです。

職員さんが会話ができるようにタブレットを持ってきてくれて、母の方にもタブレットがあり、それで通話を繋ぐ。
母は目が不自由です。状況がまったく分からないのは当然で、わたしの「お母さん!」と呼びかける声に不思議そうな顔をして手を伸ばしていた。
きっとそばに居るんだと思ったのでしょう。
「窓があるから私は外にいるんやで」と言うと一瞬涙ぐみながら「そうなんか?」と。

途中わたしの声が聞こえにくいと言う母に職員さんがイヤホンをつけてくれた。音量が大き過ぎたせいか、母は「もうこれ大きいわー」としかめっ面。
「そんな怒ったらあかんやん」ってわたしが言うと、笑ってた。
この日は肌寒くて風も強かったので、こっちの風の音が邪魔してたのかな?

窓越しでもこうして会えること。話が出来ること。元気そうな顔を見れたこと。ただただ嬉しくて、帰り道も泣き通しだった。


そして今日... 約束の面会は実現できなくなりました。


*****


日曜日5月2日。

午前10時過ぎたぐらい?に電話が鳴りました。
母がお世話になっている施設の担当の方の声。ふと嫌な予感が。

やっぱり...。

前日から食事がとれていなくて今朝も嘔吐があったと。便秘も続いていてお腹もはり、腸が動いていないようなので、病院で診察を受けた方が...という連絡でした。
わたしは動揺し受話器を握る手も身体も声も震えました。


ただ、この日は休日。しかもGWの連休がはじまったばかり。今はコロナで受け入れてくれる病院がまずあるかどうかという所だと。病院までわたしも一緒に付いて行ってもいいですか?と聞いてみると「うーん、今はコロナもありますし...職員が行きますから...」と。

わたしは「遠く距離をとった場所から車に乗るまでの間でも母の姿を見て声をかけてあげたいんですけど駄目ですか?」と聞いてみました。職員さんは優しく「とにかく病院をいくつか当たってみますので待っていてくださいね」と言われ電話を切りました。


ちょうどシャワーから出た所で髪も濡れたまま。涙は溢れてくるし、早く準備しないといけないし、動悸も治まらない。ただでさえお薬を飲んでいるのに。
とにかく慌てて髪をドライヤーで乾かしてると、すぐまた電話が。
病院が決まりましたから、出られますか?と。一緒に車に乗って病院まで連れて行ってくれることになりました。もちろん感染予防をしっかりして、職員さんとの距離をおける大きいワンボックスカーで。

窓越しの面会の予定から、実際に会って車の中でも一緒に居れる時間に変わりました。会えてよかった。本当によかった。でも、、、

入院になるということは、そうなればもう窓越しからの面会も出来なくなる。声さえも聴けなくなる。もしかするとこれが最後になるのかも?と悪いことばかりが頭をよぎり、こころがギュッと痛くなった。
なんとか、なんとか、冷静に。無理やりこころを落ち着かせるのが精一杯。

病院までの道のりが 唯一母のそばに居れる、触れることもできた時間でした。
母はとてもしんどく辛そうで車が揺れる度に、「まだか?もうしんどい」と。わたしは「だいじょうぶ、もう少しで着くから心配ないからがんばって」と励ましました。

*****

病院に着いてすぐ運ばれて検査。熱も37度あったのですぐPCR検査も。結果は陰性。...よかった。

CTなどの様々な検査の後に告げられたのは、やはり腸閉塞。母の場合子宮体がん(7月でもう丸12年)で全摘しているため、腸の癒着があるとのこと。
小腸が詰まって胃の方まで上がってきているので、今は鼻から管を通して吸い上げている状態だと言われました。
「手術になるとは思いますが、連休明けに主治医からの連絡を待っていてください。急変の可能性もゼロではないのでそれだけはお伝えします」と。

病院側は万が一のこと、最悪のこともしっかり言わないといけませんからね。ただ、わたしは辛くて辛くて涙を堪えるのに必死でした。

その後、先生からの問いに答える。
職員さんからは今日までの経緯と状態をお話され、わたしは施設に入るまでのこれまでの長い経過を記憶を辿りながら伝えました。

検査、入院、となるとたくさんの記入しないといけないことがあります。これは何度も何度も経験してきた事。
同意書だけでも何枚あるの?っていうくらい。これは仕方がありません。持ち帰って記入する書類もありました。


話が終わるともうお昼もずいぶん過ぎていました。職員さんには本当に申し訳なく思います。ひとりじゃなくて心強かったので有り難かったです。
ここで、職員さんには先に帰っていただきました。わたしは全ての検査と処置が終わって出てくる母を待つことに。これが長く長く感じる不安の波が押し寄せる時間。まわりに気づかれないように涙を拭いました。



*****


扉から出てくる母を見て、またあの時の光景が目に浮かぶ。
鼻から管を通したまま、点滴などの管だらけ。。細い細い身体に。
声をかけても朦朧としたままでした。

一緒に病室に向かうエレベーターに乗り、5階まで。少し行った所までで母に声をかけ見送りました。
その後、病棟の看護師さんとのお話を終え、帰宅に。
もう夕方になっていました。病院の中にいる間に雨が降っていたみたいです。施設の車で来ていたので、わたしは電車を乗り継いで帰りました。

その時の空。明と暗。これまでとこれからを感じるほど切なくなりました。

どうか、明るい光へと導いてくれますように。。


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もう高齢でもあるので覚悟をしないといけないのかもしれません。
そばでずっと付き添ってあげたい。でも今はコロナの影響でそれはできません。コロナさえなければ...

明日、連絡を待ち また病院へ向かいます。
母には会えないけど。

次に会えるまで生きていてよ。

わたしもがんばるからね。



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