ミスコミュケーションの始まり



自分以外の誰かが何かをしている時、大抵そこには理由があるものだ。自分から見ると変わった行動、見慣れない行動に見えたとしてもその人からすればちゃんと理由(ワケ)がある。そのはワケは人それぞれ違う。。自分にとって正しいと思うことか?間違っているか?あるいは常識か非常識か?などの判断をする前に相手を理解しようという優しさと他人から学ぼうとする謙虚な姿勢が相手とのコミュニケーションの明暗を分ける。

例えばこんな事が先日あった。
電車の中で中国人と思われる人が、中国語で
大きな声で電話をしている。
周りの人は迷惑そうな表情をしているが、
相手に何か注意する様子もなくただ嫌な気分を我慢してる様子だった。
あなたならこういう時どう感じるだろう?

私はこう考えた。
「この中国人はおそらく初めて日本に来て何やら興奮して母国の友達と話してるかもな、いやもしかしたら日本にいる友達に到着の連絡をしてるのかな」

そんな予想が当たっているかどうかは
わからないけど、とにかく日本のルールをしらない感じだったので簡単な英語で「日本は電車の中で電話はしちゃダメなんだよ」と教えたら
すんなり「I'm sorry」と言って電話を止めた。

日本人からすれば当たり前のようなこんな小さな事でも外国人からすれば全く違う常識だったりする事は海外経験者ならよく理解できるだろう。これは外国人と日本人のわかりやすい実例だけど、日本人同士、恋人、家族、親子の1番近くの人でさえこういった常識の思い込みで互いが不愉快になることは往々にして起きている。

これは全てミスコミュケーションという行為が問題の始まりである。喧嘩や問題を発生する多くの原因は相手を理解しようとする考えより、自分の考えを理解させようとするのが先になってしまうからだ。お互いがまず自分から理解するように接すれば衝突ではなく和解の道が見えてくるはずだ。そのために多少時間はかかるだろうが関係を破綻させ費やした時間を無駄にするよりはよっぽど有効だ。

台風の目の中にいるように情報の風が世の中に吹き乱れている現代は同じ日本人であっても1人1人が持っている情報は違うし、この違いはどんどん大きくなっている。これまでの日本人特有のあいまいな言語とアウンの呼吸はこれからだんだんと通用しなくなり、意思の疎通がスムーズにいかない事で問題が益々起きてくると予測できる。

だからこそ書店にはコミュニケーションの書籍が並び時代を反映している。便利さと引き換えに時間に追われるようになっている世の中で幸せや充足感を得たいと思っているなら、人とのコミュニケーションを軽視してはいけない、自分さえ楽しければいいと思う間違った個人主義的な考えが若者達の間でもてはやされているようだが、それでは持続的な幸せを得る事ができない。

人として魅力的になり、幸せな人生を願うのであれば、相手をまず自分から理解しようと努める事が何よりも最初にマスターすべき心構えだ。

謙虚さが大切なのは誰もが知っているが、
謙虚の意味は「他人から学ぶ姿勢を忘れないこと」だとはっきり説明できる人は驚くほど少ない。

世の中には知らない事ばかりだという素直な気持ちで今を生きれば色あせて見えていた景色もまた輝きを放つようになるものだ。
人と人がどんな科学反応を起こし、世の中を明るくできるかはコミュニケーションが大切なカギになっている事はあなたも理解できるだろう。他人に対して違和感を感じた時、心地よい思いをした時、そこには必ず言葉を使った会話がある。そして、人との問題を発展的に解決するには「上質な会話」が必須である。科学やテクノロジーという分野は目覚ましい発達を見せているが、私達が1番の道具として使う言葉のコミュニケーションという分野も科学やテクノロジーと同じように進化する必要を迫られている。今自分が使っている言葉はいったいどんな伝達力レベルだろうか?相手を理解できる器量レベルはどれくらいだろうか?考えてみてほしい。。
自分の人生をコントロールする方法があるとすれば、それはあなたの使う言葉と間違いなく深く関係している。

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