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幸せな待ち合わせ

ぜえぜえと肩で息をしながら、坂道を登る。
いつもは車ですぐの坂道を、こんなに果てしなく感じたのは今日が初めてだ。

「何でぇ、若ぇのにだらしない」

前を歩くじいちゃんが僕を振り返って軽く笑う。

「ほれ、もうちょっとだ。頑張れ」
問答無用に坂道を大股で歩くじいちゃんが心なしか鬼に見える。

なんで、僕はこんなところにいるんだっけ?
歩くのを止めてしまったらもう歩き出せない気がして、足だけは一歩ずつ先に進めながら数時間前のことを思い出していた。


「隆雪!俺とゲームすっか?」
11月も末、本来であれば学校で勉学に励んでいるはずの午前10時半。1人ゲームで遊んでいた僕はじいちゃんの生き生きとした声に顔をあげる。
「・・・なんで?」
「たまにはじじいと遊んでくれてもいいだろう?お前が勝ったら今日の夕飯当番代わってやるよ。俺が勝ったら午後からちょっと付き合え」

それは嬉しい申し出だ。1人暮らしのじいちゃんと、居候の僕は食事を当番制で作っていた。今日は僕の番。でも、ここに来るまで料理なんてしたこともない僕のレパートリーは、カレー、スパゲティ、チャーハン、最近焼きそばが加わった位なもので、ローテーションしても飽きが来る。じいちゃんの作る料理はどれも簡単そうなのにどれも意外と美味しい。
「解った。なんのゲームにする?」
ゲームソフトをしまってある戸棚をあけて、じいちゃんを振り返る。
「これだ、これ」
じいちゃんの手の中にあるのは碁盤だった。頬が引きつる。
あっ、これ、今日の夕飯はカレーで決まりだ。

「って言うか、五目並べとか最初から負ける気ないやつじゃん。ずるいよ」
息を切らせながら、先を行くじいちゃんに今更文句をつける。
「お前の好きなゲームはじじいには無理だ」
「いや、トランプとかオセロとか、せめてもうちょっと勝負になるゲームがあるでしょ。五目並べとかもう一方的な暴力だよ」
実際、勝負は5分とかからず、じいちゃんの勝ち誇った顔だけが思い出される。

文句をつけながら、やっと坂を上りきるころには、足ががくがくしていてもう動ける気がしなかった。
「だらしないの。ほれ。じじいは先に挨拶してくるから、お前はそこで少し休んでからおいで」
じいちゃんはペットボトルの水を僕に放るとそう言って本堂に向かって歩いていってしまう。
「元気だな・・・」
足をひきずるようにして、一つだけ置かれている小さなベンチに座り、もらった水を少し飲む。落ち着いてくると余計なことばかり考えてしまうから嫌だ。

中学にあがり、最初の夏休み。部活にも入らなかった僕は学校に行くこともなく毎日のようにゲームをして過ごしていた。
父さんも母さんも仕事であまり家にいなかったので、昔から誕生日やクリスマスにはことあるごとに新しいゲームを買ってくれた。でも、そのすべてが1人用だ。だって、相手をしてくれる人間がいないのだから。だからオンラインで対戦できる機種を買ってもらったとき、意気揚々と勝負に挑んだ。ゲームの向こうに人がいて、一緒にゲームが出来るのは嬉しかった。でも勝っても負けても暴言が飛び交い、いつしかそれもしなくなった。
ゲーム三昧の夏休み。夏休み前の学校で特別何か嫌なことがあったわけではない。ただ、夏休みが明けた時、僕は学校に行けなくなっていただけだ。

気が付いたら9月、10月と季節は過ぎて今はもう11月になっていた。最初は黙って様子を見ていた両親も、だんだんと腫れ物に触るようになり僕の体たらくをお互いのせいだと言い始めてしまった。10月に入り、じいちゃんが畑で出来た野菜をもって遊びに来たとき、ついには僕のいないところで僕がじいちゃんの家でお世話になることが決まっていた。

両親のことは嫌いじゃない。感謝だってしているつもりだ。でもいつも仕事でいない2人にどう接してもらえばいいのか解らなかっただけなのだ。その点、じいちゃんとはなぜか自然体で話ができる。じいちゃんは優しい人だが、決して甘くはない。毎日、何かしらで怒られてばかりいるし、本気で怒った顔はマジで怖い。でも、じいちゃんの家に来てから、僕は一度も否定されたことがなかった。そういえば、最後に両親に怒られたのっていつだっただろう。もう思い出せないほど昔だった気がする。

「よし!」
息が整ったので、気を抜くと笑いだしそうな膝をさすりながら立ち上がる。途端に目の前の視界がぱっと開けた。
「えっ・・・?」
いつもは両親の車でやってきて、駐車場からそのまま墓地に入る。ここは木のたくさんあるお寺で虫嫌いの母さんはあまり好まない場所だった。何度も来ているはずの場所なのに駐車場からお墓までの往復しかしたことのなかった僕は初めての景色に腕をさすった。鳥肌が立ったのだ。

街を見下ろし一望できる景色と、鮮やかな赤と黄色のコントラストに。

「すごい・・・」
「綺麗でしょう?」
景色に目を奪われていて気付かなかったがそこには作務衣を着た住職が立っていた。
「こんにちは、隆雪くん」
「あっ、こんにちは」
住職のまわりにじいちゃんの姿を探すがその姿は見当たらない。会っていないのだろうか。
「おじいさんといらしたのですね。ここまで歩いてくるのは大変だったでしょう?」
にこにこと穏やかな住職からはほのかにお線香の香りがする。じいちゃんの家と同じ匂いにほっとする。
「・・・初めて、見ました。こんなにきれいな場所だったなんて、今まで全然知らなかった」
さっきまで目を奪われていた景色にまた顔を向ける。
「ここはお寺と言っても墓地の裏口で、途中からは車が入れない坂道ですからね。いらっしゃるのも檀家さんがほとんどで、紅葉の穴場だったりするんですよ」
住職はそう言うとさっきまで僕が座っていたベンチに座った。

「もう11月も終わりますからね。おじいさんがいらっしゃるとは思っていましたが、今年は隆雪くんもご一緒なのですね」
僕は一瞬ドキッとした。学校に行ってないことを遠回しに責められているのかと思ったのだ。だが、続く一言でそうではないらしいことがわかる。
「雪子さんが喜びそうですね」
「ばあちゃんが?」
「ええ、今日はおばあさんの月命日ですからね。きっと明日から3日とあけずにおじいさまに付き合ってこの坂を登ることになると思いますよ。・・・毎日かもしれませんね。ご覚悟を」
にこにこと住職が物騒なことを言う。毎日この坂を登ったら冗談抜きで死ねそうだ。
「マジですか・・・?何で?」
「おや?隆雪くんはご存知なかったのですね。おじいさんはおばあさんが亡くなってから毎年、11月の月命日の日よりこのお寺に毎日のように通って待っているのですよ」
「何を?」
「おばあさんがやってくるのを」
ばあちゃんの7回忌は去年やった。僕はばあちゃんのことあんまり覚えていないけれど、いつも笑って出迎えてくれていた記憶だけは残っている。
「本来、亡くなった方が帰ってくるのはお盆で、我々が亡くなった方の世界にいちばん近づくことの出来る期間をお彼岸と言いますが、おじいさんにはこれだけではきっと足りないのでしょう。おふたりはとても仲が良かったですから。少しでも早くと、天に近いこの場所で待つことに決めたそうなのです」
「ばあちゃんを?」
「ええ。この場所なら下の街より早く、便りが届く気がするそうですよ?」
じいちゃんが毎年家から離れない季節があった。そうだ、ちょうど毎年今頃からお正月を過ぎるころ。確か理由は・・・。
「・・・初雪?」
「ご明察です。隆雪くんは11月の異名・・・別の呼び方をご存知ですか?」
「確か・・・カレンダーによく書いてある・・・霜月?ですよね?」
「はい。よくお勉強されていますね。ですが他にもたくさん呼び名があるのですよ。その中の1つが”雪待月”。まだ、雪が降るには早い時期ではありますが、”雪”子さんが来るのを“待”つ”月”。おじいさんはそう考えて、毎年、この日から初雪の日までここで待ちながら私に説教を垂れることに決めたそうです」
「ん?」
「本来であれば、私が説法を行う立場なのですが、うちの檀家さんたちはなかなかどうして・・・。なので、この季節はここで黄昏ることに決めているんです」
「・・・じいちゃんがすみません」
「ふふふ。今年はあなたと一緒におばあさんの訪れを待ちたいのでしょう。どうか坂道にめげずに通ってください。私も楽しみにしていますから」
どこまでが本音で、どこまでが労りの言葉なのかよくわからない。でも、僕の中の何かがふわりと軽くなった気がした。
「・・・僕が来たら説教から逃げられますか?」
「さあ、どうでしょう?初の試みです」
いたずらが見つかったように笑う住職と一緒にじいちゃんのもとに移動し始める。

「今日、じいちゃんとゲームをしたんです。負けたらじいちゃんに付き合うって約束で。五目並べを」
「それはまた・・・」
住職は言葉を濁したが、じいちゃんの碁が強いことは割と周知の事実で、五目並べも同様であることを知っているようだ。
「しばらくは大人しく負けてあげようと思います。でも、僕、割とゲーム得意なんで、絶対にすぐ勝てるようになるつもりです。だから、僕がじいちゃんに勝つようになったら、今度は僕がじいちゃんを付き合わせて、この坂登らせてやる」
住職は優しいまなざしで微笑んで静かに言った。
「それは、素敵な目標ですね」

初雪が降ったら向こうに戻って学校に行こう。もっといろんなことを勉強して住職のように穏やかで、じいちゃんみたいに強くなるんだ。

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