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あるあるないない

〈ないものはない〉
これは隠岐の島、海士町のキャッチコピーだ。

地方に住んでいる人、地方出身で都市部に出てきた人はよく言う
「この町にはなんにもない」「地元はなんにもない」

僕はこの言葉に違和感があった。

僕にとって、その場所は色々な興味を惹くものがある場所だったから

僕は旅で都市部を訪れたときに思っていた
「なにもないな」

一般的に都市部にはものが多くあり、地方にはものが少ないとされている。この感覚は違いは何なのだろうか。


そんな疑問がふと浮かんだり沈んだりしながら旅をする中で、三重県の答志島に行った。

島の人のおかげで、ものすごく充実した1週間を過ごせた。僕にとっては「たくさんある」島だった。



この「あるない問題」の答えを教えてくれたのは『宮本常一〈抵抗〉の民俗学』という本だった。

民俗学者、宮本常一の佐渡島に関する研究と著者自身のフィールドワークが書かれている本なのだが、島から戻り、図書館に寄って、なんとなくこの本を手に取った自分のセンサーを褒めざるを得ない。

この本にはこんな文章が書かれていた


"「何もない」は消費空間として魅力的な施設があるかどうかであって民家が並んでいるとか変わった形の岩がたくさんあるとか、タヌキを祀った神社がたくさんあると言ってもこの進化主義的な地域観からすれば「何もない」ことに変わりない。"


なるほど

地方を「何もない」と言う人は、オシャレなカフェや洋服屋、アミューズメント施設といった消費されるものが無いという意味で「何もない」を使う

しかし、僕は昔ながらの暮らしや風景、文化的なものという消費の対象から外れたものを求めている。だから僕が旅する先にはたくさんのものがある。


資本主義からすこし距離を置いた旅人という立場から思うことは、消費できないものを価値の無いものとすることは視野を限定しすぎているのではないだろうか。

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