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2024.03.30 沖の島・鵜来島

宿毛ドライブ

 宿毛新港で車中泊していた。5時に起床し、フェリー乗り場へ向かう。

 高台にある宿毛市役所。津波対策のため2022年に移転した。

 時間があるので宿毛市内をドライブする。一宮鹽竈神社に立ち寄った。

 宿毛の大島へ。

 桜公園というのがあったのだが、道幅が狭く車ではとても入れそうにない。徒歩で行く必要があるが、時間がなく行けなかった。

片島港

 片島港に到着。駐車場は満車、フェリーターミナルも多くの人で賑わっていた。地元の人は「30年前に戻ったような賑わいだ」と話していた。フェリーターミナルにはなぜか若い人が多く、「観光・ダイビング体験で来たのかな?」と思っていたのだが実際は違い、教職員の異動の関係だったようだ。

 客室に入れられない自転車や大きな荷物は船の最後尾に載せる。車も大きなカゴに入れてクレーンで吊り上げて船に載せられるようになっている。この車は宿毛の整備工場での車検が終わったので島に戻るもののようだ。

宿毛市営定期船:片島→弘瀬

 AM7:00片島港を出発。 多くの人が手を振っていた。

 朝の宿毛湾を進む。

 車中泊した宿毛新港の前を通過。

 愛媛県との県境の山が見える。

 鵜来島までは景色があまり変わらない。船酔いした。

 7時50分、鵜来島に到着。鵜来島での乗降は少ない。

 鵜来島が遠ざかっていく。

 しばらくして沖の島が見えてきた。

弘瀬港

 8時20分、沖の島弘瀬港に到着。

 狭い土地に民家が密集している。

弘瀬集落散策

 弘瀬集落南側へ。集落を出るといきなり上り坂。

 道は行き止まり。未成道のようだ。 側溝は続いていたがそれもすぐに途切れた。

 なぜ、あの山は凹んでいるのだろうか。気になった。

 小中学校のスクールバスはスズキのソリオ。 島では珍しい普通車。

 再び、弘瀬の集落へ。

 弘瀬集落内に土佐と伊予の国境がある。江戸時代まではここに人が住んでいたのだろうか、自由に往来できたのだろうか気になった。

 弘瀬の簡易郵便局に寄り道。

 「建物からコンクリが落ちてきています 注意してください」

 弘瀬集落唯一の商店。 店で話していると「島の魅力は何だと思う?」という話になった。自分は景色が一番の魅力だと思う。

 弘瀬の集落内を散歩。 船で一緒だった家族に会って話していた。日帰りで高知県内の自宅から島に帰省したとのことだった。
 松山から来たと言ったら「すごい都会から来たんですね!」「エミフルなら行ったことあります」と話していた。

 階段を上がって弘瀬集落上の神社へ。

 弘瀬の集落を一望できる眺めのいい場所を教えてもらい、行ってきた。

 再び自転車に乗る。母島に向けて出発。

弘瀬→母島

 宿毛市立弘瀬小学校・弘瀬中学校へ。この学校は2004年に閉校している。校舎と体育館は高低差があり、渡り廊下が階段になっていた。

 母島までは山道が続く。 道路開通を讃える?(内容はあまり読めなかった)石碑があった。

 弘瀬と母島の間の道路は標高100mほどまで上がる。断崖絶壁の上。

 「四国最南端の灯」とキャンプ場。


 道路沿いに大きな岩があった。

 母島方面へ下っていく。

 かなり急なヘアピンカーブがあった。 島を走っている車は軽自動車ばかりなのでこの曲線半径でも問題ない。

 これは工事用の建物。道具やセメントを置くための倉庫として使われていた。

 ダンプやセメント車がバックで入り、荷物を積むための機械もある。

 案内標識も設置されている。

 2024年は桜は遅かったのだが、沖の島は温暖な気候で、桜も3月30日時点で咲いている。

 ※個人の感想です。時間を約束するものではありません。

 沖の島は保育園も小学校も中学校も1つの場所にまとまっている。学校前の桜も咲いていた。

沖の島東側

 島の東側へ。

 再び土佐に入国。ここでコンビニで買ったパンを食べる。本当は島内の店で食べたかったのだが、時間の制約があり仕方ない。

 沖の島はスズメバチが多く、刺されないように注意が必要。

 サイクリング観光に力を入れている宿毛市らしく、ここにもサイクルラックがあったのだが使う人はいるのだろうか。

 現在では使われていない集会所。窓が壊れてキッチンの中が見えるようになってしまっていた。

 アップダウンの激しい道を進む。桜も咲いている。 廃車を多く見かけたのだが、船で持ち出す場合は高額な運賃がかかるのが理由だろう。
 現在では「離島対策支援事業」という名前で島から廃車を本土に定期船で持っていく場合は8割を上限とする補助が出る制度(自動車リサイクル推進センターHP)があるのだが、2005年まではその制度がなかったのもあり、そのまま置きっぱなしにするのも一般的だったのではないか。

 高知県道358号は島の東側の行き止まりに向かう。最後のヘアピンカーブ。

 集落でも何でもない中途半端な場所で道路が途切れる。

 行き止まりで引き返し、先ほど通ったヘアピンカーブへ。前に見えるのは柏島?去年のこの時期に自転車で旅した場所、また行きたい…

 住民の方に「この下も行けるよ」と言われたので県道から離れて下る。

 狭い道を下っていく。なぜか大交北部バスの「バスのりば」の看板があった。

 民家で行き止まり。来た道を引き返して県道へ戻る。

 何の車種か全くわからなかった廃車体。ジムニー?かとも思ったのだが、車高が低いので違うか。

 沖の島を周回する県道沿いには車庫も見かけたのだが使われていなさそうだ。大きな蜂の巣も道路の下にあった。

 沖の島には、県道の他にも車が通れる幅の林道があるようだが、今では使われていないようだ。県道は標高150〜200mのところを通り、木がなく眺めが良い場所もある。

 沖の島には小中学校の向かいに建設会社もあるそうだ。プレハブの建物や建設機械が置いてあった。

 右折して久保浦海水浴場方面へ。ここもヘアピンカーブで一気に標高130mから0mに降下する。

 急坂の途中には小屋や民家もある。木の枝で道路の半分が覆われていた。

 久保浦海水浴場で道は行き止まり。ここも県道に指定されている。海水浴場にはトイレもあり、3月でもトイレットペーパーも補充されており、施錠もされていないので問題なく使うことができた。誰もいないかと思っていたら軽トラに乗った人を見かけた。

 来た道を引き返す。沖の島小中学校の交差点までは上り坂。25kmほどしか走っていないのだが、それでも獲得標高は700mもあった。この島の道路には坂しかない。

 NTTの母島電話交換所。

 学校を過ぎると母島集落に向かって下り坂が続く。

母島集落

 ヘアピンカーブを走って母島の集落へ。時刻は14時55分、船の出発まで25分しかない。母島の集落を見て回る時間がない…。

 弘瀬集落と同様に狭い土地に民家が密集している母島集落。斜面上に土台を造り、その上に建てている民家も見かけた。弘瀬集落と違い、石垣の色は茶色になっている。わずか5kmしか離れていないが、取れる石の色が違うのだろうか。

 20分で足早に母島集落を見て回る。3階建ての建物は学校のような建物だが、宿毛市の沖の島支所と沖の島開発総合センターが入っている。

 谷間に民家が建っているように見える。歩いているとヤギも見かけた。

 母島の郵便局。ここに行くまでの道はとても狭い。民家の軒先を通った。

 時間が来てしまった…。15時20分、船に乗らなければ。もう少しゆっくり見て回りたかった。道路脇の小さな小屋で切符を購入。鵜来島までで大人380円、自転車284円だった。

宿毛市営定期船:母島→鵜来島

 3分遅れで船が到着し乗船。人が集まり賑わってきたので何かあるのか、と聞いたらこの春の異動で島を離れる先生のお見送りに来たらしい。そのために島民の方々は紙テープを用意していた。

 船内に入れられない特大荷物は自転車1台のみ。

 島を離れる先生は島民の方々が見えなくなるまで手を振り続けていた。紙テープでお見送り、初めて見た。

 船はスピードを上げて弘瀬港に向かう。自転車で走っているとき見えた断崖絶壁は海からも見ることができた。

 母島から弘瀬までの途中で崖が洞窟のようになっていた。学生の頃に訪れた石川県の巌門を思い出した。

 弘瀬港にも多くの人が船を待っているのが見えた。

 弘瀬港に接岸し、再び出港。午前中に集落で会った人も見かけた。手を振ったら気づいてくれた。ここでもカラーテープを準備していた。

 午前中に会った親子と鵜来島までの船の中で話していた。とても仲が良さそうな家族だった。日帰りで島に帰省し、これから高知県内の自宅に戻るらしい。子どもは自分と同世代だったのもあって、話が弾んだ。初対面なのに、デッキでなぜか一緒に写真を撮った。

 鵜来島へ。途中には姫島と水島という2つの島があった。一緒に乗っていた親子に教えてもらった。

 沖の島に上陸、宿へ自転車を押して歩く。

鵜来島

 16時08分、鵜来島に到着。自転車で移動しようとすると「この島は自転車が走れる道はないよ」と島民の方に言われた。その通り、鵜来島は車や自転車が走れる道路は全くない。徒歩でしか移動できない島だ。

 かつての鵜来島の小中学校は集会所や定期船待合所として再利用されている。

 集落の中を歩いて鵜来島最高所の龍頭山に向かう。

 舗装はされているのだが、道幅は狭い。港は工事中?だった。

 龍頭山に行きたいのだが、地図上にあるはずの場所に道が見当たらず。先に鵜来島灯台に行ってみよう。

 道を間違えたようだ。

 階段を発見。「運輸省」(現:国土交通省)と書かれた境界標があり、灯台(海上保安庁所管)に向かうのはこの道で間違いなさそうだ。境界標を頼りに進む。

 山道を歩くと遠くに灯台が見えてきた。ここまで険しい道のりだと維持管理が難しそうだ。

 鵜来島灯台に到着。すぐ来た道を引き返した。

 尾根からは愛媛県側の島々が見える。鵜来島もかつて伊豫国だったのもあり、愛媛は近い。

 来た道を戻る。間違えそうになったがGARMINのGPSの移動軌跡を参考に戻ることができた。

 龍頭山への道らしき場所を見つけた。これで行けそうだ。地図で確認しながら進む。

 かつてはこのあたりも農業が盛んで、木は少なく段々畑が広がっていた。しかし今では高齢化で農業をする人はいない。

 道は当たり前のように崩落、どちらに行けば正解かわからない分岐、地図があっても使い物にならない。難しい。

 穴が掘ってあった。水をためていたのだろうか。

 しばらく歩くと開けてきた。キャンプ場にあるような水道らしきものを見かけたのだが、これは何の建物だったのだろうか。周りにはレンガが散らばっていた。

 石垣が積んである。この先は道がなく、遭難の危険があったので龍頭山には行かずに宿に戻ることにする。

 18時20分、日没まであと10分。最後に鵜来島の水道施設を見に来た。ここの建物は地理院地図にも記載がある。

 薄暗くなってきた中で集落に向かって歩く。ここで18時半、日没の時間になった。

 鵜来島にはこの1箇所しか集落がない。この狭い範囲に民家も(廃校になった)学校もある。

 夕食。初めて食べた亀の手が美味しかった。1時間近くかけてゆっくり食事を楽しんだ。

 食事が終わると周りは暗くなっていた。お風呂は学校の中にあるので歩いて向かう。

 入浴のため夜の学校へ。怖かった。

 夜10時頃の鵜来島。人口減少が進み、2023年の人口は12人。電気がついている民家は少ないのだが、学校の教室は1部屋使われていた。

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