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川田亜子、腕の表情と「末期の目」

うっかりしてたけど、昨日が命日だったんだな。あれからもう、二年もたったのか。ちょうど今頃の時間、車の中で亡くなっているのが発見されたみたいだ。
古いDVDを見ながら、生き生きと輝いてた頃を懐かしく思い出しつつ、やはり、死のあとさきについて考えてしまった。ブログに遺された、数々の謎めいた言葉。あえて言えば、フリー転向後、業界でもかなり有力な事務所に所属してしまったがために、その死について語ることへのタブーが生まれ、生前の映像を見ることすら、難しくなったことが惜しまれる。

彼女は痩せてることがコンプレックスだったようで「もう少し太りたい」という発言もしてた。そのせいか、女子アナの「制服」ともいうべき、腕を露出させる服を着てると、どことなく、ぎこちなさげに見えたものだ。(こちらが、彼女の気持ちを勝手に想像するせいかもしれないけど…)
そして、身長(163センチ)のわりに、長めの腕が、ともすれば、アンバランスな印象も与え、少し神経質そうな顔立ちともあいまって、元気だった頃から、やや不安定な存在感を醸し出してた気もする。
たぶん、僕はそこに惹かれていたんだな。単純に「細い腕」といっても、その表情はさまざま。彼女の場合、なりたい自分となれない自分とのギャップに悩み、どこか不器用にしか生きられない精神性が、腕の表情にもあらわれていた、のではないだろうか。

「昔は本を読んだりお茶をしたり、ぼーとしたり、楽しかったのに…今はせつないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めながら、移りゆく季節に胸がぎゅーとしめつけられます」
川田亜子が、ブログで最後に綴った文章。
「唯自然はこう云う僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑うであろう。けれども自然の美しいのは、僕の末期の目に映るからである」
こちらは、芥川龍之介が友人宛ての遺書に記した文章。

彼女もまた、芥川のいう「末期の目」で、季節の移ろいを、自分自身の移ろいのように見ていたのかもしれない。


(初出「痩せ姫の光と影」2010年5月)




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