見出し画像

ほしになるひ(2)

「街の郊外に大きなホームセンターが出来たみたいなの、ねえ、アーク、 今日は仕事休みでしょ、行ってみない?」ベランダからデボラの声がした。洗濯物を干す衣服の間から朝日がデボラの顔を照らしていた。その化粧っけのない顔はもう見慣れてしまったとはいえ、アークは彼女の素顔にいつも変わらない笑顔に安心感を覚えるのだった。

アークトゥルスとデボラは結婚して12年になる夫婦だった。二人暮らしでお互い仕事を持ち、子供は望んでいたが結局、12年たっても授かることはなかった。今となっては 二人が子供のことについてあまり話題にすることはもうなくなっていた。だが、時が経っても二人は変わることなくお互いをアーク、デボラと呼び合う仲の良い夫婦だった。            「そうだな、天気もいいし、ドライブがてらに行ってみるか」      そう言って、彼は読んでいた新聞を畳むと、朝食の残りのコーヒーを飲み干して席を立った。                           アークが席を立った椅子の音で私は目が覚めた。

夢を見ていた。                            カペラが死んだ時の夢だった。何度となく私は彼の夢をみる。      アークとデボラという家族がいて今を幸せに生きていても、私はカペラの夢をみるのだ。北の大地でいつも彼の傍らにいて森に入り、日暮れまで仕事を手伝い、森での仕事が終わると共に家路に着くのだ。ときに森で狩りをしたり、川ではボートに乗って釣りをし、遠出をするときはカペラと共に出かけ雪深い季節には 私がカペラをソリに乗せて走った。家では一緒に食事をし寒い冬の夜には身を寄せ合い、お互いの体温でその存在を感じ、彼とともに生きていることを感じながら並んで眠った。              長い冬が終わりようやく春になると、雪解けとともに凍っていた川が流れ始め世界が動き始める。青く茂る草の香りに可憐に咲く野の花に囲まれ、待ちわびた春がやってくる。森の仕事が休みの時には、カペラは私を山に連れ出してくれる。野山を歩き、この土地の一番高い山へと続く白樺林の道を登り歩き疲れた時には木陰を見つけて、彼の持って来たラズベリーのウオーターを分け合って飲む。そして、その山の頂までくると、カペラと共に日が暮れるまで時を忘れて、その頂きから眼前に広がる北の国の大地を見守るように眺めている。                             わたしの仲間が時折、遠くから合図を送ってくる声が聞こえてくる。わたしは遥か遠い先祖の血を感じ取り、その声に応える。すると又しばらくして別の仲間から合図がくる。そして、わたしも合図を送る。お互いの無事を祈りながら、この土地が平和であることを確認するのである。 わたしはそんな世界を感じるのが好きだった。                   「わたしはここにいる。カペラという人と幸せに暮らしているよ。だから、安心してね」と、まだ出会ったことのない仲間たちに向けて…      今となっては、遠い遠い昔話になってしまったけれど…。

「スピカ、お利口に、お留守番をしていてね。アークとお買い物に行ってくるから」と、デボラはわたしの顔にキスをした。玄関からかれらが出ていくと彼らを見送るためにわたしは庭先に回り、車庫からする車のエンジン音を聞き、二人の乗る車が小さくなるまで見届ける。

 芝生の若く蒼い匂い。黄色い花はかつて見たタンポポ。芝生の間からオレンジ色のナガミヒナゲシはすっくと太陽に向かって春の風にゆられている。見上げると青い空にうっすらと霞がかかり、庭に植えてあるマグノリアの花が咲いている。春がここにもやってきていた。

 ここでわたしは何度目の春を迎えようとしているのかしらと思いながら、アークが作ってくれた庭用の小屋に行き、古びてくたびれた、でも、一番 安心できる毛布を引っ張り出して気持ちのいい木陰をさがしてその上に横になった。

最近、わたしはよく眠るようになってしまった。もう年のせいかもしれない。

 私がこの家に来たとき、あのマグノリアの木はもうすでにこの庭の住人だった。今では見上げるほどのりっぱな木に成長し、毎年、春が来たことを知らせてくれる。

 アークとデボラと出会うまでは、わたしはある保護施設で暮らしていた。そこへやってきたのが彼らだった。一回目の面会はたくさんの仲間たちと 一緒だった。そのとき、わたしたちの世話をしてくれる施設の担当者のリゲルという、もう年も70は越えていると思われる腰の曲がった老人がわたしについていった言葉を覚えている。                  「この子は特別な子なんですよ。目を見てくださいな。青く透き通るような目をしている。この子の先祖はおそらくシリウスという北の国で そこを流れる大河の青い水の色と同じ色をしている。血統ですよ。北の国にいるはずなのに、夏になると灼熱の地になるこんな土地に連れてこられて、結果、今ここにいる。誰が連れてきたんだってんだ。かわいそうに、この子たちには罪は何一つないんですよ。いったい、この世界はどうなっちまってるんだ。狂っている…」                           怒りでリゲルの声が震えていた。しかし、自分の発した言葉はアークやデボラに向けられたものではないことに気づき、我に返ったリゲルは     「いや、申し訳ない。あなたがたが悪いんじゃないんだ。むしろ、感謝しなければならない。この子たちを助けてくれる人たちなのに、気分を害するようなことを言ってしまってすまない」と謝った。           「気になさらないでください。わたしたちも同じ思いですから…」とアークがリゲルに言った。 そして、数日が経った。

 いつものように各部屋の鍵の束を腰にぶら下げながら ルゲルがわたしの入っている部屋の前で立ち止まり、鍵をあけるとわたしだけを連れてロビーまで連れて行くとそこにアークトゥルスとデボラが待っていた。

 面会時間は15分だった。アークとリゲルと何かを話している間、ずっとデボラは私の頭を撫でたり、鼻先に指をかざして、わたしがデボラの指を 甘噛みしたるするのがうれしいのかずっと笑って「いい子ね」と言っていた「この子の引き取りは明後日の10日までに必ずお願いします。10日以降にはもうここにはいませんので、よろしく頼みます」ルゲルは深々と頭を下げてそう言った。                          彼がなぜそんなことを言ったのか、それまで無邪気だったわたしはその意味を知らなかった。でも、ようやくそのことを理解したのは翌日の朝だった。リゲルがいつものように腰にたくさんの鍵をぶら下げながら隣のグループの部屋を開けて、ひとりひとり丁寧にブラシをかけながら、最後のひとりまでかけ終わると、首にかけていた十字架を手に握りしめ祈りをささげていた。そして、それが終わると悲しい目をして仲間たちを連れてどこかへ行ってしまった。そして、そのグループが帰って来ることはもうなかった。    午後になって戻って来たルゲルはその空っぽになった隣の部屋をきれいに掃除をすると、今度はわたしたちのグループをその新しくぴかぴかになった部屋に移してエサをくれたのだった。

 その翌日、アークとデボラはわたしを家族に迎え入れてくれたのだった。

 なぜ、わたしを家族に迎え入れてくれたかって? どうなんだろう、その理由はよくわからない。ほかにも保護されている子はたくさんいたのに、どうしてわたしだけが生き残ったのか?そう思うと心が痛む。「なぜ」というその問いがわたしの心をいつも苦しめるのだった。もし、わたしが隣の部屋に先に入っていたら、あの日リゲルに丁寧にブラシをかけられた後、連れられて再びあの部屋に戻ることはなかっただろう。わたしは年老いたリゲルのことを思い出していた。彼は十字架のついた紐をいつも首から下げていた。  彼はとても愛情深く、わたしたちの面倒を見てくれた。ご飯もくれたし、部屋の掃除もしてくれた。体が汚れていたら体をふいてくたりもした。時間があれば、話しかけてもくれたし、一日の大半をわたしたちの世話のために時間を使ってくれていた。

リゲルのことを思い出すとき、いや、彼の夢を見るとき、リゲルの愛情で 大切に扱われていたと思っている。けれど、わたしはあの首から下げられた十字架のことや、仲間を連れて部屋を出ていく前に、彼が誰にも知られることのない場所で十字架を握りしめて祈りを捧げている姿を夢にいつも見るのだった。


 庭の車庫に聴き慣れた車のエンジン音が聞こえたとき、私は夢から覚め、アークとデボラの帰宅を喜び、それを全身で表現し彼らに抱きつくのだった「ただいま、スピカ。おりこうだったね。おみやげを買ってきたよ」と留守番をしていたわたしにアークはいっしょに遊べる鈴のついた太い綱を袋から取り出した。アークと綱引きをして遊ぶと「ころんころん」と鈴がなる。その遊び道具を通して彼と引っ張りっこをしていると、一本の綱を通して伝わって来る力が 彼と力強く繋がっていることをわたしは感じた。      「やっぱり、このおもちゃをおみやげにしてよかったわね」とデボラは言いながら、「ねえ、スピカ、わたしとも引っ張りっこしようよ。アーク、代わって」と今度はわたしと彼女が引っ張りっこをして遊んだ。 そして、同じくデボラと遊びながら 彼女の握っている綱の強さから「あなたを話さないわよ」という愛情が十分に伝わって来たのを感じるのだった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?