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”大好きな ワルツ” 作曲者不明

今まで絶え間なく「note」に向かって 書き綴れていたのに私の中の「文」が消え去ってしまった。 それは「巡礼の旅」が終わったからだろうか… 

思い切って「note」を離れ 気分を変えてピアノに向かうことにした。

夫が亡くなった時もそうだったが、私は難しい曲に挑み続けた。坂本龍一の難解な楽譜を青息吐息でようやくそこそこで 弾けるようになると、又次の難解な楽譜に挑んでいた。そうして気を紛らわしていたのだと思う。   今回も 黄色くなってしまったピース版のショパンの「黒鍵のエチュード」や先生に習っていた時のシューベルトの「アムプロムプチュとモーメントミュージカル」に挑んでいる。疲れた時はドビュッシーの美しい曲だが いくつも「♭」や「♯」の付いた曲 いえ楽譜を読むことに挑んでいる。そう、今私は楽譜に挑んでるのだ。美しい曲を弾くのでなく、もちろん楽しむのでもなく挑んでいるのだ。そうして私は私なりの悲しい気持ちを紛らせているのだ。

本棚の奥から取り出したピアノの本。その中に 手書きの娘の字で「大好きな ワルツ」が出てきた。二年三組と懐かしい自筆の娘の名前。二年三組は千葉の習志野東小学校の時だ。小学校の先生に教えてもらっていたのだろうか?赤い鉛筆の丸や「ながめに」とか「タイ」や数字が書き込まれている。そして 娘の字で「フォルテつよく」「メゾフォルテすこしつよく」とか「ひだりて れんしゅう」「あんぷ」など…いつ練習していたのか?私には記憶がない。学校で練習していたのだろうか…

私はこの曲を弾いてみた。可愛い曲だ。なんで、覚えていないんだろう?

大阪に引っ越して一年経って私は毎年のように外科手術をすることになった。そして 脳腫瘍の手術の時点で、大部分の記憶が失われているのに気づく。その時は 脳腫瘍の袋の中に いやな苦い思い出なんか一緒に切り取ってしまえばいい!と思っていたのだけれど…こんなすてきな記憶も 捨て去っていたなんて…

悲しまないでおこう!娘が楽しみに弾いていたピアノ曲なんだから、私も一緒に弾いて楽しむようにしよう!

やっぱり「note」は 娘が教えてくれただけあって、この想いで「note」がかけました。娘よ、ありがとう!また 書けそうですよ。

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