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究極のホラーゲームのように

最近「小学生の頃から美容整形をしたがる」という。

主に「二重まぶた」にしたいと言うのが はじまりのようで

小学4年生までのアンケートで「やった17%」「やりたい46%」

なんと、半分以上の子供が「二重まぶた」に興味を持っている。

私たちの子供の頃は 顔にメスを入れることなど、とんでもないこと!

どうしてこのような風潮が出て来たのか?

それは「SMS」が原因だろう

「化粧した顔しか写らない動画で その人の全てを評価してしまう怖さ」

最近の流行りの顔に仕立てあげた 同じような顔…!

最近の「かわいい!」には 知的なものを 感じない。


古代から美人の基準は時代と共に変わってきている。

奈良時代は「ふくよかな丸顔」

平安時代は「切れ長な目鼻立ちでおもながな顔」

当時は整形外科なるものはなく御簾や扇で顔を隠し

「文(和歌)」をやり取りするにしても

梅の小枝や桔梗の花など季節の植物に文を結び

「情緒」を添えて、人の心を動かした

「文(和歌)」や「そのような情緒あるやり方」には 知的なものを感じる

古代から人はより「深味のある」物を探求することを求めて来た

それが「哲学」なるものだ。しかし

現代は表面的なことだけに囚われてしまって内面を見られないようだ

いや、見ようともしない

私たちの時代には「男は度胸、女は愛嬌」という言葉があった。


NHK「あさいち」の情報の中に

<娘が「整形したい」と言い出した理由>に

3人姉妹の長女が「二人の妹にはかわいい!といっている母なのに

私にはかわいい!と言ってもらったことがなかった」という。

母親は「同じく可愛いと思っていてそんなことはつゆも知らなかった」

やはり、第1子と第2子以降の「親の心のゆとり」にあるのだろうか?

私にも身に覚えがあることだった。

「女の子は特に可愛がって育てよ!」と聞いたことがある。

それは「子供を育てるには自分が育ったようにしか育てられない」からだそうだ。

さもありなん!

でも、その親の親が 愛情いっぱいに育てられていたか…?は わからない 

子供を育ててみて はじめてわかることなのだから・・・

アダムとイブの子供:カインとアベルのように

人は元々「原罪」を背負って生きているのかもしれない

最近、つくづくそれを実感する

しかし、人は一度 深く井戸を掘り下げた時期もあった

知的な者たちの時代

それは どこに行ってしまったのだろう?

今は 上っ面だけで判断せざるおえなくなってきてしまっているのか?

いづれ気づくことがあるとしても 何時なのだろう?


振り返ってみると 時として

人は よろこび溢れている時が 一番うつくしい

内面を磨かなきゃ 人形と一緒じゃないか!

内面から出る美しさこそ 本当に美しい!と思えない

上っ面を変えたところで いいのは「最初だけ!」

つくりものの「美」は いづれ壊れて来る

壊れてきた時、又「つくりものの美」を求め

次からつぎへと追求したくなる「魔物」なのだ。


それはAIを発見した時と同じで

最初は驚き感動もしたけれど 

次から次へと創り出して 天井知らずで

後はこわ~いことが待っているのでは…?

やり始めたら もう止められない

究極のホラーゲームのように!



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