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初夏が来たら 思い出す

初夏が来たら思い出す。あの胡瓜の青々とした匂い。エンドウ豆のさやからはじき出る時の指先の感覚。そして、冷やし中華。

小学校の頃、私は デパートに買い物に行く母によく付いて行ったことを憶えている。    デパートの近くに住んでいたので、買い物といっても「つっかけ」程度の軽い気持ちで付いて行く。もちろん、「おだちん」が目当てだ。

買い物が済んだところで「おだちん」タイム。デパートの最上階の大食堂での休憩。それが一番の楽しみだった。おやつの時間であるにもかかわらず 甘いものに目がいくことはなかった。 育ち盛りだったせいなのだろう。 初夏にはその大食堂に「冷やし中華」を見つけたのだ。その頃、まだ冷やし中華が珍しかった昭和の時代。毎回 おやつに「冷やし中華」だなんて! なんて変わった子だと母は口には出さねど、思っていたに違いない。

デパートの大食堂の「冷やし中華」は 酸味と甘味の丁度いい塩梅に効いたなんとも言えないさわやかさが麺とからまって 口から夏を運んでくれる。細切りのピンクのハムや緑の胡瓜そして金糸玉子が 色あざやかに食欲を そそった。 今では素朴な冷やし中華が消えようとしている。 なぜだか、ブームが豪華なエビや中華くらげや金糸玉子でさえピータンに変わろうとしていたが、 私は断じて昔のままの冷やし中華を好む。

「中華そば」の汁も そうだが、今はトンコツだの白湯だの 和だしも飛魚など 凝りに凝った汁が出て来ているが、私は昔のままの鰹節と鳥スープの、もちろん醬油味の澄み切ったシンプルな汁がいい。「なると」と「しなちく」そして「薄切りのチャーシューと刻み葱」が少々。それが私の中の「中華そば」 なのだ。

「ソフトクリーム」も 何時この味を覚えたのか記憶にないが、やはりデパートの大食堂だったのでは? アイスクリームより柔らかく シャーペットよりミルクの味が濃く、私の中の遠い祖先から好きだったような幸せな思いが よみがえる。

「鳥モモステーキ」は クリスマスの唯一肉らしい肉の料理として 堂々としていた。寒くなると、私は 大食堂ではいつでも食べられる「モモステーキ」を注文してもらった。足の骨を持ってかぶりつくのが 快感だった。が、その姿は なんとも野蛮で 娘の親としては目をつぶりたくなる姿だったに違いない。よくぞ、じっと我慢の母で食べさせてくれたものだ。

私が生まれた昭和18年は 終戦2年前の最も食糧難の時代。 「あんたがお腹に入ってた時、妊婦にりんご2個が配給されたけど、目の前に兄ちゃんや姉ちゃんの6つの目で見つめられたら、おかあちゃん自分で食べられへんかったんや。そやし、あんたが体の弱い子になったんや。かんにんな」  そんな母の気持ちが私の大食堂での野蛮な食欲を じっとがまんの母で見ていてくれたのだと思う                        

中学時代、思春期の貧血で学校を一週間休むことになった償いとして、母が私にだけ許してくれた最高の肉料理だったようだ。

貧血と言えば、とてつもない貧血に悩まされた思春期。         病院の帰り、母と入ったうどん屋で そのころ贅沢と思われていた「鍋焼きうどん」に 寒さとひもじさを癒やされたあたたかい味が 忘れられない。

私と母との 「おいしい思い出」が 今よみがえり、感謝の気持ちを重ねるばかりである。


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