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昨年までの 風景(16)

<千葉県習志野市大久保屋敷>

結婚してすぐ、私達は千葉県に住んだ。新婚時代は北小金という畑を住宅用地に開発された大きな区画地に小さな家が六軒。千葉県なのに緑もなく、バス停から見えるゆるやかな傾斜に区切られた一画一画は 緩い壇斜に赤土が剥きだしになって 延々とつづいていた。今 思い返せば、こんな所にも高度経済成長の影響が現れていたのだろう。開発ブームだ。  只ただ 赤土ばかりの中に 私達の社宅はあった。社宅といっても、習志野に建築中の大きな社宅が出来るまでの間の仮住まい。そこに同じ会社の人はいなかった。 新築したばかりの六畳と四・五畳と小さな台所。六軒の間に垣根などなく 六軒中 私達を入れてまだ三軒しか住んでいなかった。向かいの家は新婚さんだが、共働きとのこと。もう一軒は母親と娘さん二人の三人暮らしで三人とも働いて、日中だれもいなかった。もう一軒は、何処かで飲み屋をやっているとのこと、昼ご在宅でも睡眠中らしく 物音ひとつしなかった。そこでの生活は関西を出て初めての関東暮らしとあって、なかなか大変だった。 私には有り余る時間があったので、窓にかけるカーテンは 自分で作った。手作りのカーテンの房は横糸を一本一本抜いて飾りにした。 だだ広っろい敷地の中で落ち着かなかったので、せめて、垣根だけでも!と思い、嫁入り道具として送られてきた冷蔵庫の木枠で、私は猫の額ほどの庭を確保するため、垣根をこしらえた。木枠を外して鋸で杭の先端を三角に切り 真っ白なペンキを塗り、アメリカ映画に出てくるような素朴で可愛い垣根を作った。それを見て、プロパンガスの配達のお兄さんや大家さんが驚かれたのを覚えている。けれど、北小金での生活は7か月半でおわり、私たちは転居することになる。 習志野市の社宅に転居した時 娘が宿って7か月だった。

習志野の社宅は30軒入居できる大きな社宅だったが、まずは半分。   その入居者全員が ほぼ新婚さんだった。子供のいない新婚さんか、又は お腹の中に子供がいるかの違いだった。だから、一年すれば小さな子供を ちらほら見かけるようになり、社宅も少しづつ活気づいてきた。 

大久保の社宅は屋敷という地名なので屋敷があったのかはわからないが、一番高い所に建っていて、少し歩けば小さな沼があり京成電車の「大久保駅」まで、延々ピーナツ畑が広がっていて自然が豊かというより、関東平野の大きさを実感するところだった。 


<芹とホタル>

私達は社宅の一番端の3階に住んでいた。ある初夏のさわやかな夕方、ドアをノックする音に気付いた。「は~い!」とドアを開けると、そこに一階下のご主人が立ってらして何やらビニールの袋を差し出され「これ、芹なんやけど…」とおっしゃる。「いや~、どこで~?」と袋の中身を見ながら感動した。そこには青々としたまだ根っこに泥の付いた芹が わんさか入っていた。「坂を下って行くと沼があるの知ってはる?」とご主人。ここの社宅の方は皆 本社採用の転勤族だったので、ほとんど関西弁だった。それで、言葉のイントネイションの壁がなかったので、同郷の好みなのか すぐ仲良くなれた。「あ~、一回も行ったことないんですけど、沼がありますの?」「小さい沼やけど、いっぱい芹が生えていたんで、取ってきましてん」「へ~、芹なんて珍しいですねえ。これ香りがスキなんです。ええ匂いでしょ」と言って、ビニール袋の口を開けると、泥の臭いがした。「けど、こんなに いただいてもいいんですか?お宅で…」と言ったら、待ってました!とばかりに「家内が出産で 大阪に帰ってますもんで…」頭を掻きながらおっしゃっる。私も はじけたように「いや~、それはそれはおめでとうございます!ちっとも知らなかったんで…。それでいつ予定日ですか?」「6月なんですけど ちょっとタンパクがおりているので 早い目に帰したんです」と ご主人。「それはご心配ですねえ」そこで、はじめて下のお宅に子供さんが出来ることがわかった。

七月も 入ったばかりの夕方、またドアのチャイムがなった。のぞき窓からのぞくと階下のご主人だった。 ドアを開けると 又ビニール袋がにゅう~と差し出される。今度は?と思ってビニール袋を覗いてみると、黄緑色の光がゆっくりと点いたり消えたりしている。「え!?」 と言って二度見をすると、袋の中に一匹のホタルが入っていた。「ホタル?」ご主人の顔を見上げると、満面の笑みで「あの沼に散歩に行ったら ホタルがいてたんですよ~。それも、ゲンジボタル!」とおっしゃる。「へ~、珍しいですねえ。 どうして捕まえたんですか?網かなんか?」「いえ、もちろん、素手で! ホタルがいるなんて、思わなかったんで、何にも持ってないので…」と、 しどろもどろで おっしゃる。そうでしょうとも!ホタルなんて、最近見たことがなかったし あんなところにいるなんて想像外でしたもんね。それにしても、素手で?すごい!その思いはすぐ言葉になって「あら~、すごい!素手で~?」と言っていた。ご主人も「めずらしいやろう!」と言って娘の目の前に ビニール袋を突き出して見せてくださっている。「このホタル、いただけるんですか~?」と聞いていた。「もちろん!」ご主人の顔が娘に近かづけ「ほら!きれいやろ~?ホタルやで~!」と抱っこされた。その愛し気な感じに思わず「奥様、出産…?」と言った私に「生まれましたあ!」と、人懐っこい顔をむけられる。「いや~、おめでとうございます!どちらでした?」の問いに「はい、男の子です」頭を掻きながら満面の笑顔が印象的だった。私は「男の子さんですかあ。おめでとうございます!」と言って手を叩いていた。そして、このご主人のお子さんはきっと幸せだろうなあ!と直感した。 娘2才半の時だった。



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