ソーラー発電開始!

 梅雨入りしてから真夏日が続いていた。毎朝梅雨とは思えない空を見上げ、庭の植木に水をやりながら考える。

今年も天気予報の予想は難しいのか? 朝から紫外線の強い日差しを横目にソーラーを停止したのはいつだったか?と 時々考えるようになっていた。あれは、娘の病名がわかる何年か前のこと。売電48円を後3年程残しての停止だった。

「一時的にソーラーを止めてられますよねえ。このまま止めるのであれば契約解除させてほしいんですが…」と電話があったのは 数週間前だった。 それから、発電開始を本格的に考えることにした。

 ソーラーパネルを付けた会社に電話して 詳しい見積もりを出してもらうことにする。「ベテラン社員を伺わせますので、何でも相談してください」と受付の女の子が明るく言ったので、年齢のいった人が来るのか!と思っていたら若い人だった。

見積書を出してもらうと やはりかなりの値が出てきた。「断り」を前提にして「なんで発電中止をしたのか?」という話になった。 

あれは… 娘の体調がすぐれず、年毎に振動に敏感になって行った頃のこと 不眠を訴えていた娘が「裏の家のエコキュートの低周波が 一晩中する」ということで、二階の部屋を転々と代えたが、余り変わらなかった。そうこうしているうち、我が家のソーラーのコンプレッサーも音を出してるんじゃないか?ということで 一時止めることにしたのだ。

「多発性骨髄腫なら 痛みがものすごいですからねえ」と その人が言ってくれたことで、一気に長話になった。

 首や肩の凝りから始まって、最初は貼り薬からマッサージそして整形外科へ行くも治らず、挙句の果てペインクリニックを受けるも一時的な痛み止めで、その内 年一回春になると高熱が出て「インフルエンザか?」と思いきや「インフルエンザでない」という。最初は 内科でもらった薬で治まったので「?」がついたままその年が過ぎそして何年かが経っていた。「これはおかしい?」とマジで思ったのは病名がわかる1年半前のこと。    「総合内科」という科があることを知り、そこで 初めて「多発性骨髄腫」と判明した。それから1年の間 特急プレミアムを使って週一で 遠い京大病院に通い、新薬を使い果たすも 副作用が出るばかりで ついに緩和ケア病院に転移した。亡くなる2か月前の8月7日のことだった。       やはり、緩和ケアだけあって細やかな痛みの調節は 娘を明るくしてくれ、9月17日53才の誕生日を 緩和ケア病棟のお世話になっている方々で迎えることが出来、秋が深まろうとしていた良い季節11月7日に 穏やかに終焉を迎えた。

 その話を 黙って聞いていたその人が、いきなりうしろを振り返るようにして汗を拭きながら「今、お話を聞いていて 余りにも共通点が多くて、なんだか呼び寄せられたような気がしました」と、おっしゃる。「うちの父が同じ緩和ケア病院で8月6日に肺がんで亡くなり、私の娘次女の誕生日が9月17日なんで、今 会社で使っている車のナンバーにしてるんです。後で見てもらったらわかりますんで!」本当に私の家の車庫に入っている車のナンバーは「917」だった。長女さんの誕生日は 自分の家の車のナンバーにしているとのこと。 二人で目をパチクリしてみ合った。

「娘さんの引き合わせのように感じて、これは何としてもご希望に添いたいと思います。今から上司と相談させてもらいたいので、ちょっとお時間いいですか?」と、携帯を持って席を離れていく。

 その間、私は思い返していた。娘の病名はまだ分からなかった時期だが、私はソーラーを止めることに抗わなかった。「痛み」というのは 本人でないと分からない。 娘は「痛い」という言葉を使わなかったから私は娘の痛みをわかっていなかった。色々なことに 暗黙の了解のように受け入れていたことを 今更のようによかった!と思った。「おかあさん、私の都合でストップしたんだから再開して!」と言っているように思えた。

 案の定、その人がパンフレッドを開きながら「コンプレッサーは新商品でなく一つ前の新品でいきましょう。性能は余り変わりません。それで、家の中で発電量が見られるのは お客様の楽しみみたいなものですので、一度使ったもの例えば展示会場で使ったものなどは 売り物になりませんからお値段は大幅に下がります。これならお客様のご希望金額を少し下回ると思いますが…」と 値段を示した。「これって、全てですか?」「そうです。職人さんも消費税も全て入ってます」さすが、受付の女の子が言っていた「ベテラン社員」だけあって、感動した。そして、私は承諾した。

娘が逝ってから、いや、今までも不思議な夢やご縁があった。今迄そんな話は「まゆつばもの」とばかり思っていたが、実際おこってみると信じることになる。「note」に何度か不思議なことを書いてきたけど、今回も偶然とは思えないことがおこり、私は また「ありがとう!」と、手を合わすことになった。


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