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ゆうやけこやけ

コロナ禍 わたしのお腹の廻りには しっかり脂肪がつきはじめていた。 月一回の主治医の先生は「散歩してるか?」と 毎度 おたづねになるが いつも首を横に振り二ッ!と笑って ごまかしていたけれど、桜が咲き始め季節が良くなると さすがの私の体も重い腰をあげはじめて「最初は2000歩から!」と歩き始めた。 出不精な私だが、家を出てしまえばなんともない 家を出る迄の気合が並大抵でないのだ。 言い訳がましくなるけれど、朝早くの散歩は「起きる時間」と「少々の家事」に差し支える。昼は なにがしかの用事がなければ出かける気が起こらない。それなら、と 言うことで「夕方の散歩」になった。

毎年、温暖化のツケなのか、「いい季節」が 短くなるようで、なんとも やるせない! 今の季節が最高なのは 「湿度」にあるようで、さらり!としてさわやかな風は 西陽がどれだけ厳しくても耐えられる。しかし 温暖化現象は日本の最もいい季節を 取り上げ、四季を無くしていってるように思う。  四季ではなく二季? 

本来、厳しい「冬」から 目覚めて行く時間の流れの中に 季節は花を咲かせながら そして 人はそれを愛でながら「春」にいざなわれていた。  しかし、こんなに一日の寒暖差が激しくなると、否応なく、今どき季節は 一時に どかん!とあらゆる花を咲かせて「春」から「夏」へ移ったことを知らせることしかできないのかも?知れない。 「昔」私たちの子供の頃には「冬」から「春」へ、「春」から「夏」へ。そして「夏」から「秋」へと変わっていくのに「時の流れ」があった。 季節ごとの風物詩。人は五感で感じ、楽しませてもらっていた。それが、すこしづつ感じられなくなってきていることに危機感をおぼえる。 

今週は 初夏か?と思われる暑さがつづいた。夕方の散歩には打って付け!と、家を飛びだす。と、久しぶりにご近所さんに出くわした。「久しぶり!元気やった?」で はじまる会話が長くなり、すっかり、西日が落ちてしまっていて慌てて「ごめん、ごめん!」の声を後に「ほな 行ってくるわ!」になる。歩きながら 沈みゆく夕陽を見ていて フッと姉の話が思い出された。

私の幼き頃の家は 京都の真ん中で商いをしていてその頃の従業員は 通いもあったが住み込みもあった。人の出入りが多くて煩雑ながら、夕食時の忙しさは半端じゃなかった。 上の姉達は お手伝いさんと共に夕餉の準備にかりだされる。それを察してか、邪魔をしないように 一人で散歩に出かけたそうだ。私がまだ幼稚園児の頃だったらしい。                            その頃「一丁廻り」といって、京都の町を碁盤の目のように仕切られた一角を回って帰って来ることだった。幼稚園児の足にしては 遠いのか近いのかしかし、時間も距離もそして安全面も ほどほどよかったのだろう。そんな思い出話は 一番上の姉がよくしてくれた。母は?といえばそれどころで なかったのだと思う。こうして、我が家の台所が慌しくなり始めると 私は決まって「ゆうやけこやけを 歌いながら 散歩に出かけた時期」があったという。                               一人で「ゆうやけこやけ」を歌いながら…。              私はどんな気持ちだったのか?                    そのころから独立心があった?いやいや、そんな立派なことではない。  ただ、姉の言うには「手のかからない子だった」そうな。

そんなことを 思い出しながら歩いていると、フッと 「ゆうやけこやけ」を 口ずさみたくなった。今日という日は もう、とっぷり暮れていたのに…。

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