越前万葉の旅 味真野編
私は2週間前から 天気予報に釘付けになっていた。
クルクル変わる天気予報に 嫌な予感がする。
だって、いつ頃からか 週末になると崩れるお天気!
悪い予感は的中した。
11月17日(金)「越前万葉の旅」味真野編
交野ヶ原万葉学級 岡本 先生と行く バス日帰りツアー
バスツアーなんて、何年ぶりだろう!
いつも春と秋の年2回、遊歩で巡る【万葉の歌碑巡り】は 歩くことに自信がない私にとって、皆さんに迷惑をかけるとして「行けない!」と決め込んでいた。
このクラスに誘っていただいたご近所さんはまだお若いので
「『歩き』に自信がないんで私は行かないけど、気使わずに行ってね!
『バス』なら行けるんだけど・・・」と言って、残念だけど諦めていた。
ところが、今回は「日帰りバス」と聞いて 飛びついた。
お世話役の方々は 大変でしたでしょうに・・・
そこで、気になるのが【お天気】
木曜の夜から降る雨は お天気つづきの故か、翌日つまり出発する日の朝迄カミナリを伴ってかなり激しく降るらしい。
私の「晴れ女」の自称は 年齢と共に消えるのかなあ?!
私は レインコートなるものを持っていない。いや、あることはあるのだけれどファスナーが壊れていて、雨の日のゴミ出しには使ってはいるものの、この際、カッパなるものを買って来て万全を尽くすことにした。
出発の朝、かなり激しい雨の中 呼びたい時間の1時間前に電話しても、タクシーの予約が出来ない。
「予定の15分か20分前に もう一度電話してください」と言われて
面食らった。が、一度電話をしていたせいか 20分前に電話をすると、
こちらが慌てるくらいすぐに来てくれた。
「もう一軒寄って欲しいので お願いします」
運転手さんは快諾してくれた。
集合場所は芸術文化センターの裏
雨除けの庇の下で 男の方が一人先着、私たちは二番目だった。
雨は少し小降りになって、人が三々五々集まり、バスが来る。
お世話役の方のテキパキした采配で 私たちはバスに乗った。
添乗員さんと共に先生のご挨拶
先生も「晴れ女」らしく、出発するときには雨は止んでいた。
しかし、日本海側に向かうので「弁当忘れても傘わすれるな!」の諺どおり
降っては止み 止んでは降るお天気の中 ラッキーにも虹も見られたのだ。
スケジュールはこうだ
交野が原万葉学級
越前万葉の旅 2023・11・17
バスに乗って、最初に「聴琴亭」で食事をするまで3時間10分。
先生のハリのあるお元気な講義がはじまる。
スケジュールの説明と「味真野」に伝わる狭野茅上娘子(さののちがみのをこめ 1巻15-3770)の歌が説明された。
味真野に 宿れる君が 帰り来む 時の迎へを いつとか待たむ
当時国府のあった「武生(たけふ)」では日野山北方に広い盆地をつくっている。「あぢま野」は武生の東方8キロ武生市味真野町(もと今立郡)一帯の平野で農村が多かった。
この付近に昔、継体天皇が 隠れ住んだという伝説がある。
余談になるが、継体天皇は樟葉の宮に居られた時の話を「コラール」という合唱団に入っている時、丁度継体天皇が即位されて2000年の記念として交野市と枚方市合同のお祭りがあり、交野神社の奥様と息子さんが中心になって「オペラ:継体天皇」をやったことがあった。勿論私は農民のその他大勢の一人だったが、枚方市の広報の表紙にでかでかと顔写真が載ったのを思い出した。それ故なんだか なつかしく万葉ごととは思えなかった。
『謡曲』によると、官人中臣宅守(なかとみのやかもり)がこの地に配流されていた。天平10年(738)ごろのことか、宅守は蔵部司(くらべのつかさ)の女婦(下級の女官)の狭野茅上娘子をめとった罪であろうことなのか、この地に流された。万葉巻集十五には 越前の宅守と都に居る娘子との熱烈な恋愛贈答歌63首を収めている。この歌は都に居る娘子が味真野に居る宅守を思い描いて『何時になったらお帰りを迎えられよう』と待ちあぐんでいるのだ。天平12年の大赦があって流人は都に帰ったが、宅守はゆるされなかった(『続紀』)
帰りける 人来れりと 言ひしかば ほとほと死にき 君かと思ひて
はその時の娘子の落胆の心であったろう。 宅守にしても
今日もかも 都なりせば 見まく欲り 西の御厩(みまや)の 外にたてらまし
と都での思い出は はなれないのだ。
(御略)
(先生の資料から)
その後、参加者の自己紹介が うながされた。
自己紹介は苦手だ。ご近所さんも同じことで、「いややなあ!」とつぶやく
先生も気遣って「名前と出身地とそれから…好きなものを 言うてもらおうか? じゃあ、うしろの方から!」
私たちは前から4番目の席だったので、待ちくたびれて返って何を言ったらいいのかこんがらかってしまった。井戸端会議ならなんでもしゃべれるけど
いざ!となったら、頭が真っ白になる。ま、白髪はもうとっくの昔にまっ白になってるけど・・・
そうこうしている間に聴琴亭に到着した。
聴琴亭(福井県鯖江市):福岡家(庄屋 旧三田村八高跡)のもので、間部 詮勝(まなべ あきかつ:江戸幕末老中首座を務め、越前鯖江藩第7代藩主)が遊興されたと伝えられる鳥越山の風景が広がり、その美しい景色とともに地元越前蕎麦の【越前そばの新鮮ランチ】をいただく。はずだったが
あいにくの雨で お屋敷のみ鑑賞し、舌つづみを打った。
私は 夫が写真好きだったせいか、写真をとることを忘れる
今回も雨ということもあって、それにまだ ガラケーの携帯だったので、
バスから降りる時に持って降りるのを忘れるのだ。
だから、ご近所さん(お友だち)にお願いして 写真を送ってもらうことにした。おかげでとても立派な写真を載せることが出来ました。感謝です。
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味真野(万葉苑・万葉館)
バスの移動中 おおきな雨粒がバスに叩きつけるが、見学の時点で雨が小降りになるのは ラッキーだった。
雨傘をさしての味真野の里も 考えようによってとても風流だ。
万葉の歌の悲恋の多くは 国の役目(防人等)もあり、道ならぬ恋(重婚等)によって二人を引き裂かれる歌によって成り立っているのが、多いような気がする。
古今和歌集は 恋愛のさ中 君(男)が離れていく悲しさを詠んだ歌が多いのではないか?と
真剣に勉強していない私がチラッと思ったけど、どうなのかしら?
こんど、先生に聞いてみよう!
万葉館には中西進先生が来られた写真が 掲げられていた。
犬養孝先生は主に関西方面に万葉の歌を広められ、中西進先生は 主に関東方面に万葉の歌を広めらている。
犬養先生は京大で、中西先生は東大だからなのか、広がるエリアが 違うのも面白い、けれど、なんで福井県に本部があるのかなあ?
以前から、不思議に思っていたけど、そんな疑問も吹っ飛ぶくらい楽しかったんで、また、今度先生に聞いてみよう!
「令和」という年号がつけられた由縁の歌が 紹介されていた。
そこから、猫が多く飼われているご誕生寺へ
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御誕生寺
小ぶりになった中 いっぱい毛布を積み上げてあるところで、猫たちは
のんびりと昼寝をしていた。
雨足が強くなってきたので、とりあえずバスにのりこんで次の場所へ!
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紫式部公園・紫ゆかりの館
そこで、「おみくじ」があった。2,3の質問に答えて「おみくじ」が出る
私は珍しく挑戦してみた。そしたら、 こんなんが出ました!
いや~、 恥ずかし!
全くもって、こんなんが 出ました!
あんまり 本気にせんとこ!
しゃあ~けど、100円の値打ちは あるな!!
もう、おばあさんなのに、おめでたい 私でございます
それから 最終の場所へ
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道の駅「越前たけふ」へ
ご近所さん2軒の「紫式部羽二重餅」と里芋
これが おいしいんだって! 誰かさんに言われて、買って葉物を一つ
生協を休んだので、野菜が足りない。
里芋を 帰ってすぐに、「衣被」にして食べた。
ほくほくとしてホントにおいしかった。
あつい「衣被」を頬ばりながら、雨でもこんなに楽しいバスツアーは初めてだった。
楽しい気持ちが やっぱり万葉の歌のようにじわっと心にしみわたるように感じられた。