小説 冬の訪問者 スミレの恋人 第7話
明かりに浮かびあがった顔をみて、一郎は息をのんだ。
言葉を発しようとしたが、声がかすれてしまい、息を吐くように、その名を呼んだ。
「ユリ‥‥‥」
ユリは一郎のそばに歩み寄った。彼はユリの顔に向かって手を伸ばした。
「夢なのか‥‥‥ 君は少しも変っていない」彼はあえぎながら言った。
可憐な美しさは、あの当時のままだ。華奢で白い手が一郎の手を握った。
「一郎さん‥‥‥」
ユリの温かさが伝わってくる。
「ユリ‥‥‥ どうして今なんだ‥‥‥ここにどうして」
ユリは一郎がかって愛した女性だった。だが、彼女にはフィアンセがいた。ユリはそれを最後まで隠して、彼から去って行った。
「花屋の名前はモデスティ‥‥‥ 君はそこの店員だった」
今も、鮮明によみがえる。ユリとの出会いから別れまで。
「君をあんなに愛していたのに‥‥‥ スミレの花を残しただけで去って行った。ずいぶん恨んだよ」
「ごめんなさい‥‥‥ フィアンセがいるなんて嘘だったの」ユリは涙をぬぐった。
「嘘‥‥‥ なぜそんな嘘を‥‥‥」一郎の顔が苦痛でゆがんだ。
「私は、あなたとは結ばれることはできない。私は人間じゃないの」
「だから歳をとらないんだな‥‥‥ やはり‥‥‥ 君はどこか、違ったものを感じさせていた」
彼は震える手で、ユリの手を自分のほほにあてた。
「君は魔女だね‥‥‥ だからこうして来ることができた」
ユリは答えることなく、彼を見つめていた。
「だが、なぜ現れた‥‥‥俺がもうすぐ死ぬからか?」一郎の呼吸が荒くなった。
「そうでないの。あなたが苦しんでいるのがわかったから‥‥‥」
「お‥‥‥ 俺が、まさか」
「遠くに離れていても、私にはわかる」
「君は‥‥‥ 俺を見ていたのか‥‥‥」
「見ていた。あなたの結婚式も‥‥‥ ハナミズキの花がいっぱい咲く美しい教会で、幸せな二人を見ていた」
「あのときに‥‥‥ いたのか」一郎の目から涙がこぼれた。
「あなたは、自分から逃げている。とても優しい人なのに、そう思われないようにしている」
「そんなことはない。もう、優しさなんてどこにもない。汚いものを見すぎて、疲れてしまったんだ」
「嘘‥‥‥」
「俺は強くない人間なんだ。なにも感じないほうが楽なんだ」
「そんなことない。あなたはとても強い人よ」
「どこがだ‥‥‥‥」彼は悲哀に満ちた目をユリに向けた。
「本当の強さを持っている人だから、私は愛したの」
彼は苦しさの中で、顔を持ちあげると、ユリの唇にキスをした。
哀しいキス。涙の味がする。
「君がいたら強くなれるんだ‥‥‥ そばにいてほしい」
ユリは涙を流すだけで、なにも言わなかった。
「お願いだユリ、君を愛しているんだ」
ユリは少し彼から離れると、言った。
「遠く離れていても、いつもそばにあなたを感じている」
一郎は、彼女がこのままいなくなるのではという恐怖心から、声をひびかせた。
「まさか‥‥‥ また行ってしまうのか。行かないでくれ」
しかし、ユリは少しづつ、後ずさりすると、徐々に闇に消えて行った。
一郎は、ユリを追いかけようとしたが、体に痛みがはしり動くことができない。
「待ってくれ‥‥‥」彼の声も次第に小さくなっていった。
もがきながら、一郎は深い眠りに落ちていった。
次話へ続く
作品掲載 「小説家になろう」
華やかなる追跡者
風の誘惑 他
「エブリスタ」
相続人
ガラスの靴をさがして ビルの片隅
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