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高校生からソフトウェアエンジニアに至るまで

山に囲まれた田舎の祖父母宅にて、おじいちゃんにぐちゃぐちゃに破かれた饅頭のパッケージを見て、おばあちゃんがイタチの仕業だと勘違いしたことがある、ふじです。

コーチングを始めたきっかけを書いたエントリで、"なぜ経営学を選び、そこからソフトウェアエンジニアになったか"の経緯を割愛したので、ここでその経緯を書きます。

いつ経営学を選んだのか。

高校生


経営学を選んだのは、高校生の時です。
高校生の頃、クラスや部活の友達と近くのコンビニでよく買い食いをしていました。
常にお腹をすかし、限られたお小遣いの中でのやりくりを求められていた当時の僕には、最小のコストで最大の満足度を得られるものを購入することが何よりの関心ごとでした。
105円(税込)で買える500mlのリプトンや、1000mlにもかかわらず105円で買える薄いカルピスのような味のコーラスウォーター(ホワイトウォーター?)をよく買っていました。
山崎製パンのチョコチップスティックパンやマイクポップコーン(バター醤油味)もよく選択肢に上がっていました。

そんな僕が、自分の買い物を済ませて友達の買い物を待っているとき、お菓子コーナーに陳列されているとあるお菓子に目が止まりました。
そのお菓子は"ガルボ ミニ"で、このお菓子こそが経営学部を学ぶきっかけになったお菓子です!
薄いベージュを基調とした、中身がぎゅっと詰まった美味しいチョコレートです。5、6個入って120円前後だったと思います。
胃袋を満たす容量を最大化することが至上命題だった当時の自分にとって、そのお菓子を誰が求めているのか、とても気になりました。
どこの誰が、誰をターゲットに、どんな意思決定の果てにこのガルボはここにいるのか。
そして実際に誰がどういう意図でそのガルボを買っているのか。コンビニのお菓子コーナーにガルボが陳列されて手に取られるまでにどんな紆余曲折あって、この先どこにいくのか。

大学での研究


そういったことを考えて学ぶのは面白そうだと思い、海を望む六甲台の山の上で経営学を学びました。
在学中は、ビジネスコンテストに参加したり、懸賞論文に応募したり、経営戦略ゼミで本の執筆に携わったり、とても充実した日々でした!
時計業界や企業の寿命、自動織機(ウォータージェット織機)を研究したり取材したりしたことは今でも鮮明に覚えています。
他にも、アイス工場やJohn Deerという農業機械メーカーの工場見学もすごく楽しんでいました。年間数十万〜数百万本ものアイスを製造する工場をたった十数人で管理していることに驚いた記憶もあります。
そんな自分がソフトウェアエンジニアに興味を持ったのは、オペレーション研究で、航空会社の収益最適化シミュレーションを行ったことがきっかけです。

航空チケットの価格は、予約のタイミングや軽油の有無、見込みキャンセル数、季節等、さまざまな要因(制約)が絡んで決定されます。
例えば、直前でキャンセルが出たら空席になった数だけ収益が下がります。
だから、座席数200席に対して210席のように、航空会社は座席定数よりも多めに予約を受け付けるのですが、例えば5席分しかキャンセルが出なかったら5人のお客様にサービスを提供できません。
5人のお客さまには便の振替を提案してなんとか200人にしようとしますが、溢れてしまう場合もあり、その場合はお客様に賠償金を払ってお詫びします。
つまり、座席数に対して多すぎても少なすぎても損失が発生してしまいます。
目的地ごとに、どのタイミングで航空券の価格を変動させ、どれだけのキャンセルを見込めば航空会社の収益が最大化するのか、紙と鉛筆で答えを出すには時間がかかりすぎてしまいます。
だから、シミュレータ(計算機)の力を借りるのです。その研究を通して、計算機と数学がなくてはならないものだと実感しました。
(余談ですが、『イミテーションゲーム』という映画で、イギリス政府は当初ドイツの暗号エニグマを紙と鉛筆で解こうとしていました。そこで活躍したのがアラン・チューリングです!)

そんな経緯があり、ソフトウェアに興味を持った自分はソフトウェアエンジニアとして仕事をしています。

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