フォローとセクハラの境界線
帰省した時、父がふと、
「会社の年下の子(女の人)に『パパはね、って言っちゃいそうになったよ〜』って言ったんだよ、そしたらすごい目で見られちゃって……」
なんて言っていた。パパ活のパパだと思われたのかなぁ、とぼやいていた。私は、
「お父さんは悪くないよ、そういう地雷みたいなものはその人の過去によって決まるものだから」
と、答えていた。
私にはすごく好きな塾の先生(男性)がいる。出不精の私が、今でも塾の手伝いに行くほど、だ。
それでもその人から「信頼してる」みたいな好意を向けられると「気持ち悪いですよ笑」と笑って返す。
それを許してもらえているから、今のままの関係があるのだと思うけれど。
それほど怖いものなのだ。女の人にとって過去のトラウマというやつは。私にとっての教職ほど離れた年上男性というものは。
だからもし、意外にもセクハラだ!と思われた時(もちろん度を超えた話は発言した側が悪いと思うが)、その行為がセクハラに分類されるほど、彼女に何かあったと考えるのも一手なのである。
そして、私がいくらトラウマでも、世の中から先生と生徒モノの映画や小説、ドラマは無くならない。別にそういうものだと思っている。
見れないが、無くそうとも思わない。
私にとってトラウマなだけであって、世間からしたらエンターテイメントなのだ。もちろん純粋に先生に恋をした人もいるだろう。
だから表現を糾弾するのも不思議な話だなぁ、とよく思う。
世間は誰でも発信できる時代だ。そして同時に何もかも受信できる時代でもある。
表現を否定することは難しいが、回避することを身につけるべきだと思う。
そして相手の身体のこと、恋愛事情のことはセクハラになりがちなので気を付けたいところだ。
もちろん、女性から男性へも。
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