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リズム 【短編小説】



リズム I

 二の腕にしっとりと汗が滲む。足取りは軽くも重くもなく、胸が上下しない程度に息が弾んでいる。体の調子はまずまずといったところ。これは良い傾向だった。体調が良すぎると走りすぎてしまい、次の日に不調を抱えることになる。ほどほどに、そこそこに、毎日走れることが今の私には必要だった。
 月が灰色の雲に隠れてはまた姿をあらわす。雲の薄いところから漏れだす弱々しい光は私になにも力を与えない。地上では生暖かい空気が私にぶつかって、しばらく体に張り付いてから流れ去る。商店街に入ってからずっとこんな感じだ。そんな風でも肌から汗を運び去り、私は喉が渇いてペットボトルの水に口をつける。蓋を閉める時、走りながらなのもあるが注意を怠ったせいでキャップが斜めになっていて、指が滑ってキャップはコトっと音にならないような音をたてアスファルトに落ち、しばらく横に立ったまま回転していたがパタリと倒れた。私は立ち止まり、キャップを拾おうとしゃがんだ時に、すでに私はピンクの靄に包まれつつあった。
 
 ピンク色の靄。水蒸気でしかない靄には色はないはすだ。なにか光が差し込み、水の粒に当たって散乱しているのだろう。深夜2時半。ジョギングするには早すぎて遅すぎる時間。すぐそこに終夜営業のバーがある。いかにもジャズを流しているのがわかる小さな窓の内側から店の名を灯したネオンの光は青色で、靄にわずかなブルーが混じり汚らしい緑色の染みを作りだしている。それ以外に半径25メートル以内に光源となるようなものは10メートルほど先の煙草の自動販売機2台と街灯しかない。他の店はどこもシャッターを下ろしている。自動販売機はボタンを押された時に息を吹き返すようで、今はわずかな明かを残して眠りについている。こちらは靄にはほとんど貢献はしていないようだ。街灯は自動販売機のことなどお構いなしに、LEDの無遠慮な光をピンク色の靄に投げかけている。
 私はシャッターの閉まった煙草屋のベンチに腰を下ろす。錆が目立つシャッターには、この町で一昨年にコンサートを開いたバンドのポスターがまだ貼ってある。紙とビニールテープは薄茶色に変色し、右下の隅がめくれて今にも飛んでいきそうだ。故郷に錦を飾ったバンドに煙草屋はまったく興味がないことだけは伝わってくる。
 私の左斜め前には街路樹が植えられている。桜や銀杏でないことは私でもわかる。もしかしたら名前を書いたプレートがかけられているかもしれないがそれを探す気にはなれない。ともかく葉が大きくて分厚くて、暑苦しいくらいに盛大に茂っている。下の方の葉は焦茶と黄色が混じり合ったような色に枯れて垂れ下がっている。幹には硬そうでわりと長い毛がびっしり生えている。木に毛が生えるなんて不思議だけど、実際に生えている。この毛がうにょうにょと動いている。目の錯覚でも風でもない。目を逸らさずにじっと見ていると動いているのがわかる。このピンクの靄はこの毛から発生しているのではないかという気がしてくる。
 街路樹を見上げると蔦植物が絡みついている。こちらも寄宿主に負けず劣らず盛大に葉を茂らせ、ついには街路樹の先端から飛びだし、30〜40センチほど月に向かって手を伸ばしたものの、諦めたように先端を垂らしている。
 それだけではない。街路樹の根本には背の低い雑草が生えている。あまり陽にあたらなくても育つと思われる種類の草が這うように生えていると思えば、その間を縫ってイネ科の草がピヨンと飛びだし、先端には小さな穂をつけている。細く尖った葉になにか虫がいる。甲虫なのはわかるが種類まではわならない。カナブンではない。体調1センチあるかないか。平べったくて固そうな艶消しの黒い鎧を身に纏っている。こいつはピヨン草の葉を食べるのだろう。葉に齧られた跡がある。
 街路樹と蔦植物の葉の上では、蝶や蛾が羽を休めているかもしれないし、幹に穴をあけて虫が寝ぐらを作っているかもしれない。それを狙う食虫生の虫もいて、さらにそれを狙うトカゲやらカナヘビやらがどこかに身を隠しているかもしれない。
 きっと草の下にはダンゴムシが這っていて、土中にはミミズが住み、蟻の巣がまさに蟻の巣のように広がり、何かの昆虫の幼虫が蛹をつくり、菌糸が張り巡り、それ以外にも名前も知らない微生物で溢れているはずだ。何かで読んだのだが、地下数キロメートルほどまで細菌だか古細菌だかが生息しているらしい。
 つまりは、そういう全てが総体としてこのピンクの靄を作りだしているという気がしてくる。植物と菌糸と土が吐きだした酸素と胞子と水蒸気に、昆虫や爬虫類や微生物の息や排泄物が混ざりあい、弱々しい月と無遠慮な街灯に照らされることでピンク色に化学変化を起こしているんだという想像をすると楽しくなる。
 ともかく私はベンチに腰を下ろし、土埃がついたペットボトルのキャップを指でぬぐう。湿気か汗か、ぬぐったところが黒ずんで気持ち悪い。ボトルにハメるか迷ってやめる。水はここで飲み干してしまえばいい。


リズム II

 私はウエストポーチから煙草と100円ライターと200mlの小さな水筒を取りだす。煙草はアークロイヤルのホワイトという手巻き煙草で、ミルクティーのような仄かな甘味がある。それを2本、スライド式の小さなキャンディ缶に入れてある。この缶は、もともとはキャンデが入っていたわけだが、私は手巻き煙草を持ち歩くのにぴったりだと思って購入した。ムーミンのキャラクターのミィがデザインされた赤い缶で、もう10年ばかし使っているのでだいぶ塗装が剥げ、ボコボコになって蓋がうまくスライドしてくれない。
 水筒には熱々のミルクコーヒー。ウエストポーチは伸縮するタイプで、煙草入れとライターと水筒を入れても中で揺れたりしない。速乾性の茶色いハンドタオルも折り畳んで入れてある。
 ランニングパンツの左ポケットには家の鍵。荷物はこれだけ。iPhone8は家に置いてきた。この時間に連絡してくる知り合いはいない。スマホを持ってくるとポーチが膨らみ過ぎて走る邪魔になるし、ついついTwitterやInstagramをチェックしてしまい休憩が休憩でなくなる。だからいつも家に置いてきている。それに私は街のリズムに同調して走るのが好きだ。だからイヤホンで音楽を聴くこともない。
 私は顔と首すじの汗をハンドタオルで拭い、キャンディ缶から煙草を取りだしライターで火をつける。口に甘さと酸味が一瞬広がりすぐに消える。煙を吐きだした時、ミルクティーのような甘い香りを感じる。その煙もすぐに靄と判別できなくなる。缶とライターをベンチに置き、水筒のキャップをひねり、キャップのネジ側を上に向けてベンチに置いて珈琲をひとくち啜る。熱い。唇を火傷しそうなくらい熱い。熱い珈琲が喉を通る時に感じる熱が私好みだ。キャップを閉めようと右手を伸ばした時、中指になにかがとまる。蚊より大きな蚊のようは虫。左手に持った煙草をひとくち吸い煙をその虫に向かって吐きだす。その虫は迷惑そうな顔をして羽を広げてピンクの靄のなかに姿を消す。実際には表情なんてないし、仮にあったとしても私には判別できない。蚊のような虫は、蚊のような耳障りな羽音はたてない。あの子もこの靄の成因のひとつかもしれない。

 私が座っている歩道のベンチの左斜め前には街路樹があり、その前には1段下がって側溝がハメられていて、車1台分の道路が走っている。朝7時から夕方7時までは二輪を除く一方通行だと示す標識が立っている。道路を挟んだ向かい側は、こちらと同じように側溝があり、1段上がって歩道がある。同じ種類の街路樹が植えられていて、ベンチがあって、理髪店がある。トリコロールの回転ポールが立ったまま眠っているように立ち、電気が消えたウインドウには髭にパーマ姿のおじさんが描かれているはずだ。
 ”はずだ”というのは、ピンクの靄で向こうの奥までは見渡せないから。向こう側の街路樹とベンチはなんとか見えるから視界は3メートルくらいだろうか。靄は滞留しているわけでない。よく見るとゆっくり動いているのがわかる。わずかだが風があるので、靄が濃くなった場所があると思えば薄くなっている場所もある。

 向こう側のベンチに誰かが座っている。座っている気がするがよくはわからない。ほんのさっき前は誰もいなかったはずだ。私には靄が集まってその誰かが形成されたように感じられる。暗黒星雲のなかで星間物質の重力の偏りができて原始星が生まれる姿を想像する。たしか偏りの引金となるのは近傍の超新星爆発かなにかだ。爆発のエネルギーで星間物質が押しやられることにより重力の偏りができるとそこに自ずと星間物質が引き寄せられ、それによりさらに重力を増して雪だるま式に星間物質が集まりいつしか原始星が生まれる。
「おはようこざいます」
 私はそんな想像を振り払い小声で挨拶をする。相手の顔は見えないけど、もしかしたら知り合いかもしれない。礼儀として。いや、こんな時間に商店街のベンチに座る者の同族意識からかもしれない。だけど会話をする気分ではないので、親しみのこもった声と突き放す声の中間くらいの声で挨拶した。向こう側のベンチの誰かはコクんと頷いたようにみえる。私の声が届いたのは確かなようだが返事はない。勝手だけど、すぐに立ち去ってくれればいいのにと思う。やはりこの時間に顔もよくわからない誰かと向かい合うというのは気持ちがいいものではない。私の方がベンチを立ってこの場を立ち去ろうという考えが浮かぶ。でも、今日はそうするわけにはいかない。そう思うとお尻のあたりがムズムズとしてくる。だから、お尻を1個半左にそっと動かしてベンチの端にお尻がくるようにする。こうすると私の左半身は相手側から見て街路樹に隠れたはずだ。

 シャーシャーという高周波の回転音が近づいてくる。日焼けしてくすんだ黄色とオレンジのシャーシのロードバイクが1台通りすぎる。その自転車を漕ぐ男のウェーブかかった茶色く長い髪がピンクのなかでなびいている。彼は自転車と同じくらい使い込んだ革のショルダーバッグを肩からたすき掛けにしている。そのバッグにはお守りが揺れている。わずかな頬の赤みのせいか女の子の家から帰る途中に見える。自転車が靄を払ったのか連れて行ったのか、わずかな時間だが靄が晴れた。向こう側のベンチには確かに男が座っている。私は唇に咥えたまま消えてしまった煙草に火をつける。煙を吐きだす。すぐにまた靄が戻りはしたが、その男は確かに知っている男だった。


リズム Ⅲ

 小説を書くものや、脚本家、マンガ原作者など、およそ作家と呼ばれている者でこの男のことを知らない者はいない。この男が提供するサービスを買ったことがあるかないかは問わない。みんなが毛嫌いしているし、サービスの提供を受けたことがあったとして間違ってもそれを口に出したりはしないが、この男のことを知らなければ業界ではモグリだ。
 この男はあらすじ屋と呼ばれている。たしか乳井というのが本名のはずだが、誰もそう呼ばない。月から木曜の午後3時過ぎから陽が沈むまで、商店街から海沿いの道路へと縦に伸びる片側一車線道路の途中の五叉路にある古着屋のカーブミラーとペプシの青い自動販売機の陰にあらすじ屋は座っている。雨の日はいないと聞いた。 
 古着屋の前の道はゆるい下り坂で、古着屋の建物の土台は平行になるようにコンクリートで嵩上げされている。コンクリートの土台には、古着屋の入り口付近では10センチばかりのぼるだけだが、自動販売機のところまでくると50センチほどの腰掛けるのにちょうどいい高さになっている。
 古着屋は商売が上手いのか若い男女がいつもたむろしているが、あらすじ屋が自動販売機の陰に座っていても誰も気にしない。年齢は40代と思われるが、もしかしたら若く見える50代かもしれない。後ろ髪が肩に届きそうで届かないくらいで、四角いフレームの眼鏡をかけている。背丈は170センチくらい。痩せているが痩せすぎというほどでもない。真夏でも襟に鋲の打ち込まれた革ジャンを着ているが不思議に暑苦しさは感じさせない。その下はボーダーのTシャツ。いつも何かの文庫本を読んでいる。その小説は彼が売ったあらずじが元になっているという噂だった。動きといえばペプシの自動販売機で買った缶コーヒーを飲むか、たまに黒いリュックから煙草を取りだして吸うくらい。通行人には暑さに堪えて休憩している人くらいにしか映らない。
 あらすじ屋が提供するサービスを買うには、彼の横に無言で座ればいい。ちょうど人ひとりくらい座れるスペースがある。そして書きたい小説または脚本のジャンルを告げる。そうすると彼は黒いリュックから煙草の箱を取りだして作家に手渡す。たしかミステリィはマイルドセブン、SFはセブンスター、ホラーはケント、冒険物はアメリカンスピリッツ、恋愛ものはマールボロだったはずだ。購入者は煙草の箱を受け取ると一万円札を2枚、つまりは二万円をあらすじ屋の手に握らす。これだけだ。その間に会話は一切行われない。作家仲間は誰も彼の声を聞いたことがない。喋れないんだと言う奴もいた。もちろん私も彼の声を聞いたことがない。煙草の箱には数本の煙草と共に紙切れが入っている。そこには物語のあらすじが書かれているというわけだ。
 作家というものは、いつだって着想を探している。着想さえ得られればあとはテクニックでスラスラと書けてしまうという人が多い。それほど着想というものが大切で、長く作家商売をしてる人ならなおのことそうだ。作家が自分でなにか着想を得たとしてもそれが過去に誰かによって書かれていないという保証はない。数ヶ月もかけて数百ページも書いてきた小説が誰かの、それも有名作家の作品と瓜二つだったら泣くに泣けない。その点、あらすじ屋は徹底的に既存作品との類似性を調べているから安心して購入することができるという。あらすじ屋は喋らないのだから誰がその話しを聞いたんだという話しもあるが、そこには誰もツッコマない。
 なんにしても、過去の作品を徹底的に調べあげるのは相当な労力だろう。そこまでしている彼が儲かっているのかはわからない。元はテレビ屋らしいと誰かが言った。私にはテレビの仕事をしていた方が儲かるのでははいかと思う。この街には作家と呼ばれる人間はそれほど多くないのだから。

 あらすじ屋はこんな時間にこんな所で何をしているのだろう? と思わない自分が可笑しかった。私はその疑問の答えを予めわかっている。彼も私と同じくそれを確かめに来たのだ。それでも訝しむことはある。
 私は何日も走ってこの場所を突き止めた。たまたまペットボトルのキャップが落ちたからここに座っているのではない。座るべき場所でたまたまペットボトルのキャップが落ちたのだ。あらすじ屋はこの場所を知っていたのだろうか。それとも自分が知っている場所をただ舞台に設定しただけなのだろうか。
 私にはどちらも違うように感じられる。恒星の誕生と同じように、靄が集まってこの場所にあらすじ屋をカタチ作ったという方がしっくりくる。その証拠に、肉体の実在感がほとんどない。自転車が晴らした靄もすぐに元に戻り、向こうのベンチには人がいる気配しかすでに感じられなくなっている。ただの澱み、ただの濃さに成り下がっている。
 1本目の煙草を吸い切った頃には、あらすじ屋が立ち会いたいなら立ち会わせてやればいいじゃないかという気持ちになっている。それよりも2本目の煙草に火をつけるかどうか、その方が私には重要に感じられる。まだリズムはやんでいない。その時がきたら、私は煙草を吸っていなければならないはずだ。そういうふうに私が書くのだから。

 タンっというスネアの音を最後にリズムが突然終わった。潔い終わり方。よくバンドがやるような、シンバルや太鼓を盛大に打ち鳴らし、それからタメを作ってせーので終わる終わり方ではない。8ビートの4拍目表のスネアを鳴らしてお終い。裏のハイハットもなかった。よーく耳を澄ませていたからわかる。
 これから12分あまりこの街のリズムは中断される。


リズム Ⅳ

 リズムの止まった街は肉を削がれてなお泳ぐ魚に似ている。ウネウネと動いていた街路樹の幹にびっしりと生えた毛は、まるで初めから動かないものだったみたいに垂れ下がっている。風が止まる。風が完全に止まると空気が押しとどめられて、さっきまで流動していた靄が自重で地面に降りてきてより濃さを増す。
 それでも街は泳ぐことをやめない。ジャズバーは相変わらず青いネオンと漏れ音を靄に提供しているし、煙草の自動販売機は歯軋りのようにジジッ、ジジッと電気音を立てている。無遠慮な街灯だって消えていない。でもそれは、ただ生きている、まだ生きているというだけの状態でしかないのかもしれない。リズムの再生がなければいずれ泳ぐのをやめ、横たわるように浮いているだけの状態になるだろう。その先は死だ。

 私のふくらはぎに何かが触れる。ぐいぐいと頬や頭を押し付けてくる。猫だ。商店街の人たちがケメ子と呼ぶガリガリに痩せた三毛の野良猫。左耳の先っぽが三角に切り取られている。もう充分だろうと善意の人が避妊手術を受けさせるまでにこの子は11匹の子供を産んだ。生き残った子もいれば死んでしまった子もいる。飲食店の従業員に刺身やら唐揚げやらをもらってはいるものの、この子はガリガリに痩せている。アスファルトから陽炎が沸き立つほどの暑いなかを力なく歩く姿を何度も見た。その後を仔猫がついて回るのも。私はこれまでこの子を撫でれたことはない。例えば尻尾のひん曲がった図体ばかり大きくて臆病者のパンダ猫や、スタイリッシュな体型なのにお腹の皮が地面に着きそうなお茶目な茶トラ、尻尾がフサフサのフサオ・フサコ兄妹なんかは何度も撫でたことがある。
 私は右手を下ろしケメ子の頭を撫でてやる。全体的に固い毛で、耳の後ろの一部が濡れたのか血なのかわからないが固着している。手に振動が伝わるほどにググググと喉を鳴らす。それから私の手の甲に前足をかけ私の手首よりやや肘側の内側の柔らかいところに噛みつき、その後で2度ほどザラザラとした舌で噛んだところを舐めた。そうして満足したのか「ニャン」とも言わずに車道に降り、向こう側の歩道まで歩いていく。一段上った歩道に上がったところまではわかった。靄がさっきよりもだいぶ濃くなっているから、もう向こう側のベンチにあらすじ屋が座っているのかもわからない。

 ケメ子が登場し去って行ったのは私には意外だった。私の物語には猫は登場しない。猫は実在と非実在に線を引ける存在ではないからだ。物語に登場した猫はどんな猫だってちゃんと生きている。フィクションのなかの登場人物や街や街路樹がすべて作家の空想から生まれたものでも猫だけは違う。物語が書かれた時点で、その猫はすでにこの世にいるのだ。私はそれを身をもって知っている。私が小説を書き始めたころ、小説に登場した猫を何度も見た。帰巣本能みたいなものがあるのか、彼女/彼らはみんな私の前に姿を現した。もし私が何千光年と離れた宇宙の物語に猫を登場させたら? もし私が何万年も未来の世界に生きる猫を書いたら? 彼女/彼らはどうしたらいいのだろう。だから私は安易に猫を物語に登場させたりしない。無責任な餌付けにも似て、猫が困ることになるから。
「どこまでが現実で、どこからが物語なのかキミにはわかるんですか?」向こう側に座ってるはずの姿の見えないあらすじ屋が言った。
 あらすじ屋は坊主頭が1センチほどに伸びた頭から眼鏡に垂れ続ける汗を手拭いでぬぐっている。サイズが2つは大きい黒い長袖シャツを着ている。シャツにはしっかりとアイロンをかけてある。下はこちらもサイズを間違えたベージュのスラックスで、サンダル履き。便所サンダルやビーチサンダルではなく、革製の履きにくそうなサンダル。目と目の間が狭く、というより顔の幅が極端に狭い。30歳は超えているはずだが、肌や髪に使われた痕跡がないという不思議な印象がある。痩せすぎでオドオドとしていて声に微かな震えが混じっているが、眼鏡の奥の瞳はこちらを射抜くようにこちらを見つめている。
 私にはあらすじ屋の姿が変わった理由がわからない。さっきまではテレビ業界マン崩れのような姿だったのに。私にはこの30代の男もあらすじ屋であるという確信がある。むしろさっきまでの姿の方が違和感がある。私が書くあらすじ屋は、この肌や髪に使われた痕跡がない不思議な印象の男しかありえない。
 でも、そんなことはどうでもいい。あらすじ屋は「どこまでが現実で、どこまでが物語なのかわかるのか」と言った。その質問は私にひらめきをもたらした。そう、このリズムのない時間では、世界は作家の空想を易々と超えることができる。ケメ子を登場させることだってできるし、あらすじ屋の姿も変えたではないか。私はだんだんと理解しはじめている。
 理解しだしたところで私は水筒のキャップを開けて珈琲をひとくち啜りキャップをしめて、もう1本の煙草に火をつける。世界が私の空想の範疇を超えようが、私はこの物語を書き終えるために、この物語を最後まで見届けないといけない。もう2分くらいで世界は再び動きだす。あとは待っていればいい。


リズム Ⅴ

 街にリズムを与えていたドラムのビートが止まった。それが合図だったみたいに、ついに雲が弱い月をかき消し、ジャズバーのネオンも自動販売機の明かりも街灯も消えた。あらゆる光源が消えてもピンク色の靄は色を失うことなく、ますます濃度を増している。
「いよいよだな」向こう側の歩道のベンチからあらすじ屋が言う。
 私の胸の高鳴りを察知したのかのようにその声は鋭い。あらすじ屋は黒髪をポマードでオールバックにしたゴツゴツとした顎を持つ痘痕面で、眉間に深い皺が刻まれ、あらゆる光源が消えてもその眼光が消えることはない。革ジャンの襟に打たれた鋲すらも自ら光を発しているように鈍く銀に光っている。
「この後どうなるの?」
「お前の物語が完成する」
「あなたの物語ではなく?」
「俺はあらすじを考えただけだ」
「でもあなたはここにいる」
「見届けに来ただけだ。お前がどんな物語を書くのかを」
 私にはあらすじ屋がどうしてこの日、この場所に辿りついたのかわからない。私だって辿りつくのに苦労した。初めからあらすじ屋は結末を知っていたのではないか? そう思うと、これは本当に私の物語なのか疑う気持ちにだってなる。私はいいように操られていただけなんじゃないかと。
「煙草を分けてくれ」車道の向こう側から姿の見えない声だけの声が言う。「2本巻いてきたんだろう」
「煙草なんていくらでも持ってるじゃない。それとも、これも物語の一部なの?」
 
「キミが疑うのはキミの自由だけど……」
「自由だけど?」
 私はあらすじを買ったことを後悔しているのか? きっと後悔している。それならこの場を立ち去ればいい。原稿用紙は全て捨ててしまおう。煙草だって熱い珈琲の入った水筒だって、全て捨ててしまえばいい。そうして、私は新しい物語を書く。自分だけの物語を。
「そうするのもキミの自由だよ」
「そうしたらこの物語はどうなるの? また誰か可哀想な人に売る?」
「そうだね、それもいいかもしれない。ボクだってこの先がどうなるのか知りたいんだ」
 あらすじ屋は「ボク」と言った。さっきまでの「俺」ではない。声自体もオドオドとしたものとなって、30歳も若返ったように感じる。ロック・ミュージシャン崩れの格好からヒップホップ調のベースボール・ユニフォーム姿になり、テカテカとして臭うオールバックはいつの間にか坊主頭になっている。鼻の下と顎には生意気にも髭を生やしているが、どちらも産毛がちょっと硬くなったくらいで生え揃うという状態には程遠い。背伸びしたい自分と少年性を失いたくない自分が対立することなく混ざりあっている。
 あやすじ屋の変化が私をここに押し留める。この少年となら物語の終わりを見届けてもよい、私はそんな気分になる。私は錆びてスライドしなくなったキャンディ缶をこじ開け、手巻き煙草を取りだして火をつける。そして、対岸、そう対岸と言っていい。私と彼との間には狭いが深い急流が流れている。対岸のあらすじ屋にライターと煙草の缶を一緒にアンダースローで放り投げた。
「ありがとう」
 乾いた金属音と少し遅れて鈍いプラスティックの音がする。缶とライターは対岸のベンチよりも私から見て少し右に落ちたようだ。ライターの方がより右に落ちたと思う。あらすじ屋は対岸のベンチから立ち上がり、缶とライターを拾った。
「ありがとう」
 あらすじ屋は缶を開けるのに少し手間取り、煙草に火を付けてからもう一度「ありがとう」と言った。その「ありがとう」を最後に辺りから音が消えた。ジャズバーのネオンのジジ、ジジっという音も、自動販売機の静かな唸りも、風が商店街のシャッターを揺らす音も、虫たちの寝息も聞こえない。セミやスズムシみたいな虫が鳴いていたわけでもないのに、夜は賑やかだったということに気づく。リズムが止まった世界ではみんな息を潜めているんだ。

 ドラムが止まっているのは約12分。それは日によってマチマチで、11分台の時もあれば13分を少し過ぎる時もある。だけど、だいたいが11〜13分の間で収束する。だから12分というのは平均した数字なのだが、この12分の停止が何を意味するのか私にはわからない。ただ、推察はできる。日によってドラムが聞こえてくる方向が変わるのだから、ドラムを移動させていると考えてしかるべきだ。


リズム Ⅵ

 今夜の天使は神社の長い参道でドラムを叩いている。むろん周囲をピンクの靄に包まれているから誰の目にも留まらない。天使が1、2、3、4の1の位置でドラムを停止させると、10メートルほど斜め右奥に待機していた新聞を印刷所から各新聞配達店に運ぶ「PRESS」とバックに印字されているトラックから別の天使が数人わらわらと艶消しのケースを抱えて降りてきて、ドラムセットを解体し始める。ドラムを叩いていた天使は椅子から立ち上がり、スティックを持ったまま首を傾げて突っ立ている。みんな背丈が2.5メートルくらいあって、背中に羽があるわけでもないのにどうして天使だとわかるかというと、まず背丈が2.5メートル近くもあり、街灯があるのに地面に影を落とさない。どことなく外国人のように見えるけどどこの国とは特定できない顔をしていて、みんな笑っている。だけど、この笑いが私たちの笑いと同じ意味なのかは私にはわからない。私には天使に性別があるのかすら判断できない。天使たちは手分けしてドラムやシンバルをケースにしまい、スタンドを畳んで、バケツリレー方式でトラックの幌つきの荷台に乗せていく。
 ドラムを叩いていた天使がズボンのお尻のポケットにスティックを突っ込み、ドラムセットが動かないように敷くゴムのシートをくるくる巻いて荷台に仕舞い込むと、その天使から順に荷台に乗り込んでいく。最初に乗り込んだ天使は腕を外に出して他の天使が乗り込むのを助けている。最後に残った2人の天使が大きさはいたって普通の大きさのトラックの運転席と助手席に2.5メートルの体を折るように押し込み、運転席の天使は差しっぱなしのキーを回してエンジンをかける。ヘッドライトがピンクの靄を切り裂くというより、光の粒子ひとつひとつがピンクの靄のなかに浮かんでいるように見える。光と靄は対立していないし、融合もしていない。
 そして、トラックはそろそろと動き始める。神社の参道を抜け、コンクリート色の鳥居をくぐり、曲がりくねった急坂をブレーキを効かせてゆっくりと下り、右手2〜300メートルくらいに24時間スーパーの煌々とした看板が見える海に面した通りをスーパーとは反対方向に左折し、南に向かって車を走らせる。信号は全て黄色く点滅している。これは天使の仕業ではなく、交通量の少ない道路の深夜はどこもこうなっている。生暖かい海風が開けっぱなしの運転席側ウインドウから入り、カーステレオから流れる深夜ラジオのおしゃべりを助手席側のウインドウから抜けてどこかに運び去っていく。
 3分ほど走ってセブンイレブンの角で左折し、100メートルもしないで小学校跡地の手前で右折する。しばらくすると道の両側の民家にポツポツと八百屋だの酒屋だの焼肉屋だのが混ざりだし、アーチをくぐるとそこから商店街になる。私のジョギングコースと一緒だ。商店街の中は朝7時〜夕方19時までは一方通行だが、この時間はその指定がない。だからトラックはゆうゆうとアーチをくぐり商店街を走っていく。そして、商店街に入って1分と経たずにピンクの靄に突入し、私が座っている煙草屋の前にトラックを停止させる。
 キキッというブレーキ音がしたかと思うと、トラックの荷台の後ろ扉が金属の擦れる音を立てて開き、幌から天使たちが飛び降りてくる。運転手の天使はギアをパーキングに入れ、キーを回してエンジンを停止し、ライトを消す。運転手も加わりまたバケツリレーでスタンドやらケースやらを運びだす。私とあらすじ屋には気づいているのかいないのか、まったく気にする様子はない。
 天使たちはまずはシートを敷き、その上にバスドラムとスタンドを組み立て、シンバルや太鼓類、椅子を設置する。その間、助手席から遅れて降りてきた天使はスティックを2本重ねて持って、腕を頭の上で伸ばしたり、アキレス腱を伸ばしたり、屈伸したり、足首をくるくる回してストレッチをしている。この間も天使たちは神社と同じ笑顔を顔面に貼り付けている。
 セットが完了すると助手席天使はクッションの効いた丸椅子に座って、まず椅子の高さを調節し、次にシンバルや太鼓類の高さや角度を微調整する。他の天使たちは空になったケースをそれぞれもってトラックの荷台に戻っていく。最後の天使がトラックに乗り込むと、ドラムセットの前の天使がカウントもなく8ビートを刻みはじめ、約12分ぶりに世界がリズムを取り戻した。
 
「それがキミの物語なんだね」
 音が消えた世界の対岸から聞こえてくるあらすじ屋の声は奇妙に遠い。その声に街路樹や地面を這う虫たちがビクッとなったのがわかる。
「そう」
「キミの物語を聞けてよかった。ありがとう」
「どういたしまして」
 私がそう言い終わる前に、対岸からあらすじ屋の気配が消えた。私の右手の煙草の灰がランニングシューズに音もなく落ちた。そんな音も立てない音すらもリズムの止まった世界では何かを揺らがせるには充分な気がした。灰が煙草の先から落ちるのを待っていたように、ピンクの靄に車のヘッドライトが差し込んだ。これから起こることがどんな風だったとしても、私の物語はすでに語られたのだ。


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