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ラジオ編成の歴史(ちょっとお勉強)

写真のお方、若い人はご存知ないでしょうが…ワシら以上の世代なら誰もが知ってる深夜ラジオの”神様”DJ:糸居五郎さんです。オールナイトニッポン初代メンバーの1人。50歳の時、50時間連続DJを達成したお方です。

小学生の皆さんの夏休みも終盤戦の時期になってきたので、おっちゃんも少し”ラジオ”について…掘り下げた自由研究をしてみました。

■編成

これまでラジオ制作、DJの現場のノウハウについて述べてきましたが…ラジオ「編成」について触れませんでした。「編成」とは番組を「編成」する部門。鉄道で編成というと5両編成とか言いますね。どんな車両を連ねるか…ラジオなら、どんな番組をどういう並べ方するか…ということです。
朝ワイドがあって、昼のリクエストタイムがあって、午後ワイドがあって、夕方は報道番組、続いてナイター中継、夜が深まりアイドルゾーン、深夜は人気タレント…っていう”並べ方”を考える部署ですね。

今触れたのは、全国だいたいのラジオ局で標準的な編成の一例ですが、昔は全く違ったんですよね。

■テレビ以前のラジオ

終戦の日:8月15日(土)文化放送で特番が放送されました。
玉音放送を探して」(radikoタイムフリー ※8月22日まで聴取可
当時、日本にはNHKしか有りませんでした。もちろんラジオのみです。
前の晩から「明日の正午、重大放送があるので全国民ラジオを聞くように」という事前告知が何度も放送され、誰もが訳も分からず聞いたといいます。

なので、1925年の東京放送局開局以来、ずっとラジオといえばNHKだったんですね。それが一変したのが戦後6年。1951年(昭和26年)の民放ラジオ開局。なぜか東京ではなく名古屋(今のCBC)と大阪(今のMBS)でした。
スポンサーを付けて、CMが流れる放送がスタートしました。

当時のラジオは今のテレビ。(え?!)
いや本当(笑)。
さっきの玉音放送を聞く姿をドラマで見た事あるでしょう。
木製キャビネットに入った大きな箱!あれがラジオで、家の茶の間にデーンと置かれていて、家族みんなで座って聞く…そう、今、リビングでTVを見るようなスタイルです。当時は娯楽の王様でした。

今、TVの電子番組表を見てみてください。
ゴールデンタイムには、バラエティやドラマ、クイズ等が並びます。
昔のラジオもそんな感じだったんですね。
ドラマやクイズ、歌謡バラエティ、ニュース解説、教育番組、知恵袋、演劇(歌舞伎)中継、落語・漫才などなど…。誰もが家族みんなで楽しめる番組が目白押しでした。人気番組の時間になれば、家族がラジオの前に集まって…じっと黙ってラジオの音に耳を傾ける。そんな聴取スタイルでした。

ところが、そんなラジオ黄金時代は長くは続きませんでした。

■TV出現

昭和28年(1953年)東京でNHKと日テレが開局。そこから5年間で民放TV局が全国で17局生まれました。翌年には皇太子ご成婚パレードをきっかけに、全国でTV受像機が一気に普及します。お茶の間の主役は、あっという間にラジオからテレビに替わった訳です。それでも、まだ高価なTVだったので「うちにはラジオしかない」という世帯も多かったようですが、商売としては、広告費がラジオ離れするのは当然。ラジオの現場は相当焦ったようです。

その辺の状況は、こちらのページのpdf資料をじっくりご覧ください
(NHK放送文化研究所 「テレビが登場した時代のラジオ」)

なんだか今、ネットに広告費を奪われ「地上波が面白くない」と言われ焦るテレビ現場を見るようですよ。

■ラジオは生まれ変わらなくてはならない

というのが、当時のラジオ現場の焦りでした。
ハード面でも、トランジスタラジオが登場し、お茶の間に”鎮座”していた大きなラジオを家族で囲むスタイルから、ラジオを持ち歩いて個人で聞く…ながら聞きする…というスタイルに変化しつつありました。
なので、それまでの総合編成では聞いてくれない!実際、聴取率も夜のゴールデンタイムはTVに奪われていったそうです。

ネットで検索したら面白い資料が見つかりました。
ラジオ関西(JOCR)(兵庫県神戸市)さんが紹介している過去の番組表の画像。その中から、そんな過渡期:昭和35年の番組表です。

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びっくりするくらい細かいですね。朝は5分~10分の番組がひしめいています。午後になると音楽番組が増えます。そう。総合編成から個人聴取の「ながら聞き」に合わせてBGMとして聞き流してもらう番組が増えていく過渡期です。それでも、左端の料金設定は…ゴールデンタイムが一番高いA。現在では「ラジオのゴールデンタイム」と言われる朝の通勤タイムは7時台はAですが8時以降は特B、B…となっています。

この当時、もう1つの傾向が…東京を中心に登場しつつありました。
それが「生ワイド」です。上の画像にあるように細分化された録音番組中心ではなく、生放送で「今」を意識した内容を、キャラの立った(パーソナリティ)司会者が届ける番組が少しずつ出てきました。昭和32年(1957年)TBSラジオ(当時はラジオ東京(JOKR))で始まった「東京ダイヤル」が初の生ワイド番組だとか。ワイドといっても、午後4時20分~5時までの40分。それでも夕方にニュースや交通情報をコンパクトにまとめた画期的な番組だったとか。

生ワイドの利点は…細かい録音番組をたくさん作るより制作費が掛からない事。10分位の番組×4本と比べれば、ディレクターだけで4分の1ですもんね。
どんどんTVにお客を取られる状況での生ワイド化は必然だったのかも知れません。また親しみやすい司会者が、色んなコーナーを総合的に語り掛ける事で、1つ1つの番組(コーナー)でなく、そのワイド全体を聞いてくれる…という利点も有ります。

■オーディエンス・セグメンテーション

1960年代、もう1つ出てきたラジオ編成の考え方がコレです。
オーディエンス…つまりリスナーを、セグメント:分割して考える…
それまでは「家族みんなが聞く」事を前提に総合的な内容の番組を1日ズラッと並べていましたが、「その時間帯に一番聞いてくれるのはこんな層の人たち」と絞り込む事で、営業マンが売り込む際、企業にも効率良くアピール出来る…という考え方です。ニッポン放送が提唱して、いち早く取り入れました。たとえば…
朝は通勤する人たちが多いからサラリーマン向け。
9時を過ぎれば、家事をしながら聞く主婦向け。
午後は配達に回るクルマで聞くドライバー向け。
夕方は再び帰宅途中のサラリーマン向け。
夜は、部屋で勉強する若者向け。
基本、今もこの流れですよね。朝は自動車メーカーのCMが多かったり…
午前遅い時間帯は洗剤、コスメ等。夕方は酒造会社。夜遅くなるとアニメ雑誌とか…。

ニッポン放送の成功を見て他局もこの理論を採り入れ、ラジオの広告費も上向きになりました。

■ビバ!ヤング

この2つの潮流、生ワイド(パーソナリティ化)とオーディエンス・セグメンテーションが一番効果的に発揮されたのが”深夜放送”です。それまでは、眠る前の人たちへの安らぎの番組や、女優さんが語り掛けるお色気番組中心だったのを、夜更かしして受験勉強する若者にターゲットを絞り込んで、ラフな語りと最新の音楽で…制作現場は極力少人数で長い時間放送する…全く新しいスタイルで、営業面でも新規開拓出来ました。昭和42年(1967年)ニッポン放送の「オールナイトニッポン」、TBSの「パックイン・ミュージック」、2年後、文化放送の「セイ!ヤング」と各局参入して成功を収めます。この当時、テレビに倣う形でラジオでも全国ネットワークが出来た事もあって、全国で深夜放送が聞ける事で、市場が一気に拡大しました。
地方局も、深夜1時の全国ネットへ繋ぐ意味で、夜12時台を中心に独自の深夜ラジオを始め、若者に人気が出たローカルDJが各地で登場しました。

今現在、ラジオを聞く人たちの中心層が50代~70代ということは…この深夜ラジオブームをきっかけにラジオを聞き始めた世代…と言えますね。

■ここへきてNHKが革命を起こす!?

ずっと民放ラジオの歴史を追ってきましたが…90年代、NHKが革命を起こします。若者王国だった深夜ラジオに、お年寄り向けの「ラジオ深夜便」をヒットさせたんですねー。きっかけは昭和天皇のご容態悪化…1988年です。
それまでNHKというと、夜中はお休みしていました。ところが、24時間体制で報道スタンバイする必要に迫られ、オールナイトで放送する事になったんですが、その時、ターゲットにしたのが高齢者の皆さん。実はお年寄りでも夜更かしする人も居たし、早起きする人は、無茶苦茶早起きだった!ということでニーズがあったんですね。一応、臨時編成扱いだった深夜便ですが結局レギュラー化。さらに1995年の阪神淡路大震災もあって「安心ラジオ」というコピーと共に定着しちゃいました!

■TBSもやりました

オーディエンス・セグメンテーションを崩す動きは、まだ出てきます。
それまでナイター後の深夜といえば若者向け生ワイドがお決まりでしたが、そこにニュース番組を持ってきたんですね。「バトルトークラジオ アクセス」(1998年~)「ニュース探究ラジオ Dig」(2010年~)、今は「荻上チキ セッション22」(2013年~)。他の時間帯でもTBSは、ニュースを噛み砕いて分かりやすく解説するスタイルの生ワイドを展開して、独自の道を歩み出します。21世紀になって首都圏での聴取率トップを取り続けて勢いづき、それまでお馴染みだった”スペシャルウイーク”もやめます。さらに、ラジオの夜といえばお決まりだったナイター中継も、2017年を最後に撤退しちゃいました。
当時「ナイターやらずに何やるの?」と思いましたら…なんと、カルチャー路線!ヒップホップユニット:ライムスターの宇多丸による「アフター6ジャンクション」を3時間の帯生ワイドで開始(2018年~)。それまで「ウイークエンドシャッフル」で人気だった宇多丸を起用し、映画、音楽などのカルチャーを…仕事や学校を終えた層へ当てる事で、新規リスナー開拓に成功したわけです。

■局の「色」で勝負する時代

オーディエンス・セグメンテーション編成が生まれて50年余り。今や、その当たり前も崩れつつある21世紀、恐らく今後は…ステーションの持つカラーが物を云う時代になるんじゃないでしょうか。
たとえば、現在唯一1社で2波を持つFM802. もう1つのFM COCOLOは、懐かしい曲中心の選曲でシニア世代をターゲットにして、若者向け最新ヒット中心の802と棲み分けさせています。
個人的な感触でも、コアターゲットを設定していても、メールをくれる人たちを観察していると、老若男女結構幅広く届いています。
いくら高齢でも最新ヒットが好きな人も居れば、若くても演歌に魅了される人もいます。そういう意味では「どんな嗜好を持つ人」に向けて打ち出すか?を考えた方が良いし、ステーション自体の明確なコンセプトを打ち出す方が、お客が付きやすくなってるのではないでしょうか。

ポート閉局の際、残念がるリスナーさんは…
「あちらは、ガヤガヤ賑やか過ぎて聞く気になれません。ポートの落ち着いた感じが好きでした」とメールをくれる人も居ました。
そう”あちら”は、だいたいのワイドでツインDJで会話形式で進め、リスナーのネタを紹介して盛り上がる…その賑やかさがそのままカラーでしたしね。

色んな番組があるバラエティ豊かな編成も、編成の1つですが…それは大昔、TV出現前のラジオ同様、その番組を聞く為にチューニングを合わせて、それが終わればさようなら…です。自分のカラーに合う、色がハッキリした編成だと、お気に入りになって丸1日聞いてくれる可能性が高まります。

TBSラジオが無敵になった理由も、その辺にあるような気がするのですが…如何でしょう?radikoのエリアフリーがある今、全国100局すべてがライバルですから、生き残る為にも、独自カラー打ち出し作戦を是非ご検討下さい(笑)。

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