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熊野古道・歩き旅【2周目】① 天満橋〜鳳 

そんなこんなで歩き旅2周目を記録してゆきます。
2021年3月21日(日)に熊野本宮大社に到達した1周目の旅は、全9回に分けて歩きました。

それから僅か6日後、2周目を始めました(笑)。なんでしょうね?すっかり気分が上がってたんでしょうかね?達成感と、スルーした所が有った後悔からかもしれません。
1周目の最初、10キロ少々歩いただけで筋肉痛が酷かったですが、3日間で55キロ以上歩いたラストの旅は本当に回復が早かったです。自信も付いちゃったんですね。並行して山登りも始めた頃でしたから。

▪️2周目① 天満橋→大鳥大社 2021年3月27日(土)晴れ

朝7:20自宅を出発。先ずは北上、天満橋を目指しました。

京阪天満橋駅、土佐堀通を挟んで南向かいに老舗の昆布屋さんが有ります。その店先にこんな石碑が。
八軒屋浜は江戸時代に有った船着場で、その跡地です。豊臣期以前は渡辺津と呼ばれました。

皇室の熊野詣は本来、京都・城南宮を発ち、淀川を船で下ってこの渡辺津で上陸しました。だから本当は京都出発の方がイイんですが、こちとら庶民(笑)。地元大阪だからココでいいんですっ!

近年、八軒屋浜は整備されましたから、取り敢えず水辺を見に行きました。気分的に上陸したかったし(笑)。

朝日が降り注ぐ朗らかな3月末の週末、青空ヨガのグループがいたり、イベントステージの設営をするスタッフたちで結構賑わってました。桜の花も綺麗。
さて、では。午前8:00 歩き旅開始!

▪️天満橋→四天王寺

八軒屋浜から土佐堀通を渡った角に大きな案内板が有ります。コレが熊野街道の出発点です。いきなり20%位ある急坂を20m程上がります。が、寄り道。北浜方向に1ブロック行って労働センターの角を左折した所に坐摩(いかすり)神社行宮が有ります。
現在本町にある坐摩神社ですが、移転前はココに有り、ココこそが第一の王子=(1)窪津王子だったと言われています。

船を下りた人々は川沿いに歩き、ココでまず旅の無事を祈ってから、上町台地を登って歩き旅を始めたんでしょうね。
さぁ、先ほどの急坂へ戻り、公園沿いに南下します。朝日も当たらぬビル陰のフツーの道ですが、れっきとした熊野街道です。暫く歩き、本町通、中央大通を渡ると面白いスポットが有ります。
太閤下水見学施設。

大坂城築城した秀吉は、城下町の整備の一環で下水道を作りました。その当時の水路が地下に発掘され、それを覗き見出来る場所です。が、殆ど放ったらかしみたいで透明アクリル板は曇りきって何も見えません。市役所に予約すれば、地下の見学も出来るらしいです。
では、諦めて南下!(笑)。数分で右手に広い公園に出ます。南大江公園。桜の花が綺麗です。広い公園には子供たちの歓声が響いています。
ココが2つ目の王子=(2)坂口王子跡と言われています。元々は朝日神明社という広い神社が有り、そこに王子が設けられていたようです。

いかつい木の根っ子をパチリ。1週間前に歩いた中辺路の木の根の階段を思い出しちゃいました。
なんか、250キロ繋がってる気がしたんです。

ベンチに座り、程よくかいた汗を拭いて歩き再開!公園を出てすぐ、軽く坂を上がったら角を左折です。

正面に見える高い木、その根元にある小さな祠が榎木大明神。大阪大空襲の際、この神様のお陰で周辺が焼け残ったと言われていて、この松屋町近隣の人々に愛されている神様です。小説「プリンセストヨトミ」の中でも「巳さん」として紹介されています。
実は、ココを左折せず直進すると高津宮が有ります。その境内には3つ目の王子=(3)郡戸王子跡が有ります。

ガイドマップ通り左折して東へ進むと。。。
谷町筋の信号を渡ってスグ、コンビニの角を右折、長堀通の信号を渡って南下します。

200m位で通りが突き当たると次は左、スグに右!坂を下ってまた南下します。

この辺り、分かりにくいのでご注意下さい。

街自体は豊臣期の物ですから、藤原定家の時代は野っ原だったんでしょうね。こんもり高い上町台地の脇を歩き、高みに上がるウネウネの坂を上がったのが、整地されて角をカクカク曲がるようになったんじゃないでしょうか。

上町台地の尾根部分に上がる訳は?

今はあべのハルカスがそびえて見えていますが、大昔、何も無い大地の遥か南には、四天王寺の五重塔が望めた筈です。そう、「あそこへ向かって歩こう」と目指すにはイイ道だったと思います。

千日前通は中央分離帯が有るので歩行者しか通れない信号ですが、歩行者なので渡れますw
生國魂神社の参道を渡って数分。左手に公園が現れます。上汐公園です。

実は、またメインルートと外れますが4つ目の王子=(4)上野王子が少し東の外れに有ります。

公園手前の角を左折、上町筋を渡り、一つ目の角を左折。数分進んで上宮高校の向かいにある古いマンションの玄関脇に石碑が有ります。

メインルートに戻りましょう。
上汐公園前を南下、突き当たりの天王寺警察の角を右折、谷町筋に出たら信号を南へ渡ります。地下鉄の四天王寺前駅の脇、斜めに入る道が四天王寺の参道です。暫く南へ。

聖徳太子の飛び出し坊やにニッコリしたら、国道25号に出る手前、左に向くと石の鳥居が見えます。枝垂れ桜が綺麗でしたね。
多分、ココまでで1時間位経過してると思います。休憩しましょう。でも実は休憩だけじゃ無い重要ポイントです。
南大門の前にソレは有ります。

熊野権現礼拝石です。
熊野詣に向かう人々が遥か南方、熊野本宮大社へ向かって旅の無事をお祈りしたポイント。1週間前まで250キロ先へ行っていた事を思い出すと、なんとも言えない気分になりました。

▪️四天王寺〜大和川

って事で、大阪府のマップでは、もう少し西側:あべの筋の広い道を南下するようになってますが、平安の人々気分で南大門を出て、そのまま南下しました。振り返れば五重塔が見守ってくれてます。

国道25号を渡ってすぐ右手にある庚申堂もお参りして、真っ直ぐ南下すると天王寺駅。コンビニ前の信号を渡って進むと阪和線のホームを潜る地下道が有ります。そこを出て階段を上がると今度は環状線・関西線を跨ぐ橋。次は近鉄。上下動激しいw  まぁこの辺は、変なこだわりなので、普通はあべの筋を歩く方が楽です。


辻調の専門学校のある裏道を抜けて阪神高速の下に合流、阪堺電車が走るあべの筋を南下します。

暫く歩いて、阪堺電車が専用軌道に逸れるのを見守りつつ、もう少し行くと、松虫交差点!

分かります?スーパー玉出の看板の下に、斜めに向かう細い道が見えます。こっちが熊野街道です。足元に大阪市の熊野街道の案内も埋められてます。

数分で左手に安倍晴明神社、さらに阿倍王子神社が有ります。ココが大阪市内で唯一現存する王子=(5)阿倍王子です。王子なので、社務所を覗くと八咫烏のお守りが有りますよ!御朱印にも八咫烏。

神社を出て暫く行くと右側から阪堺電車が来て再び路面電車になります。


北畠、姫松の停留所を過ぎたら左手に注目。小さな不動産屋さんの脇に入る小道が!ココが熊野街道ですよ。

4、5分南下すると左手に広い池のある公園が出てきます。万代池。

池の南端、右手の電車道に戻ります。さらに南へ。帝塚山四丁目で電車は右手に逸れますが、正面の道をそのまま歩きます。阪堺電車は築堤に上がり右へ曲がりますが正面に南海高野線の踏切が現れ、渡ったら左手に行きます。

住吉東駅を左手に見つつ進み、老舗の葬儀屋さんの角を右折して坂を下ると住吉大社です。
実はこの境内にこんなスポット。

(6)津守王子のお社。場所は第一本殿のお社の裏、楠珺社の北隣、摂社の小さいお社が並ぶ一番右端です。

さて、住吉さんの裏口から出て街道に戻りましょう。ひたすら南下です。気付けば天満橋をスタートしてから3時間半経ってました。
ついに突き当たり。土手を上ると大和川です。道なりに西へ行くと、府道30号線、遠里小野橋。

ココからは堺市です。4枚目の写真。
空洞からゴーゴーとクルマの走る音が。
阪神高速大和川線が地下を走っています。
ココでちょうどお昼12時。府道向かいに見つけた定食屋さんで鯖味噌の昼飯を食いましたー。

▪️浅香山〜仁徳天皇陵

実は堺市内は熊野街道の難易度が上がります。
以前、ボヤく記事も上げました。

恐らく、中世に環濠都市を開発する際、古いモノを追いやったからでしょう。いにしえの街道、目印などは消えたと思います。
そんな訳で、大阪府のガイドマップ表記もややこしくて大変。
取り敢えず、府道30号線から南海浅香山駅を目指してください(苦笑)。

踏切を渡ったら右手、手前から2本目の道へ入ります。

緩い坂を上がると浅香山病院が左手に見えてきます。その先、高い塀が出てきます。少年院です。手前の角を右折です。

右側に珈琲会社、その先に小さな公園が見えます。そしたら左向け左っw
(7)境王子の石碑です。
堺市でも確かな位置は不明で、推測からココに碑を置いたそうです。ただ、この先真っ直ぐ行けば、方違神社も有るので、大体この辺で合ってるのでは?

方違神社にお参りしたら、裏口から出て手前の細い道を進みます。反正天皇陵沿いに歩くと、住宅街を抜けた所に、府立三国丘高校が現れます。校舎の間を結ぶ渡り廊下が跨ぐ細い道が1本有ります。そこを南下して下さい。

昨年ココでエラい迷子になったポイントです。
府のガイドマップ、ここら辺に何も目安が無いんですよ。何かに忖度したのでしょう。イイ迷惑です。迷惑はこの先にも。住宅街の中、道が迷路です。右手に小さな公園が出てきたら。。。斜め右の道を進みます。その先、公文式の教室が見えたら手前の角を左折です。不安な時は、少し先に高野街道との道標石が有ります。

南海高野線を跨いだ先は、国道310号線の広い道、歩道橋を上がって渡って下さい。しかし、阪和線も高野線も畏れ多いと堀割にして潜る場所、上から見下ろしてイイんでしょうか?(苦笑)そう!仁徳天皇陵です。広大な森が広がってます。
歩道橋は向かって右側に下りて下さい。古墳の濠沿いの細い道を、古墳をなぞるように進みます。ラブホの横を通過w  

▪️仁徳天皇陵〜大鳥大社


ガイドマップ通りだと、延々古墳沿いの公園の道を進み、突き当たった御陵通を、今度は海へ向かって西側に延々坂を下ります。
前回、この区間が辛くて辛くて。都市的な広い真っ直ぐな道を黙々と歩く辛さ、分かりません?

その御陵通を西へ。府道30号線、国道26号線を渡り、阪堺電車の御陵前停留所が遠くに見えてきたら、スーパー玉出の手前を左折です。
ココからは今度は延々と南下します。
面倒くさいのは、さっき渡った26号線、再び山側へ渡るんですが、歩道橋を使わないといけません。

という仁徳天皇陵からのルート、ウンザリでしたから、今回は御陵通に出ず、独自に住宅街の道をジグザグに進み、26号線を海側へ渡らず、国道の歩道を進んで熊野街道に合流しました。

そもそも中世以前、この辺りは海でしたからね。
本当は仁徳天皇陵以降はもっと山側を真っ直ぐ南下したと思いますよ。

さて、例の斜めに進む熊野街道の道、暫くすると高架の道にぶち当たります。さっきの26号線です。ココを左折するとスグ、石津神社です。

この神社、今の境内は小さいですが、昔は広大な敷地を持っていたそうです。熊野へ向かう人たちもきっと参詣したでしょうね。
日本最古の戎宮と由緒書に有ります。

さて、道に戻りましょう。
26号線は右側へカーブしますが熊野街道は直進、橋を渡りパチンコ屋の裏に出ます。この先、広い神石市之町交差点です。

取り敢えず信号を渡ってファミマで休憩ですw
1枚目の写真は来た道を振り返って撮りました。

2枚目はこの先向かう道。
広い府道30号線の裏、病院側の細い道が熊野街道です。暫く歩けば向かう先の風景が開けます。
正面の丘の上が大鳥大社です。もう少し!頑張りましょう。

大鳥大社は広大な敷地が有ります。
だんじりも宮入り時、そのまま潜る大鳥居の先、石畳は右に直角に曲がり、更に左に直角に曲がった先に白木の鳥居が出てきます。

午後3:00到着。30キロ歩きましたっ。

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