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井口高志著『認知症社会の希望はいかにひらかれるのか ケア実践と本人の声をめぐる社会学的探究』(晃洋書房)の概要と抜き書き(勉強ノート)

○実践を批判的に理解する
 何とか社会学者という立ち位置を捨てずに、現在のムーブメントの中で何かできないか、[略]この流れを反省的に、これまでなされてきたことの中に位置づけていくことだ。実践のなされてきた文脈を明らかにし、その実践の中で生まれてきた葛藤や困難を抽出していくこと。そうした作業を通じて、新しく生まれてきているムーブメントの中にも、同じような形式の葛藤や困難を見出し、将来の構想や意図せずして引き起こすことに対する敏感さを生み出すかもしれない。また、現在のムーブメントに対する「無理解者」「批判者」のように思える人たちとの何等かの議論の接点を見出していけるかもしれない。これらの作業が、社会学が認知症と向き合う「臨床の場」に対してできる重要なこと9

○社会学的批判の方法
 目指す姿は、ある実践がいかなる意味での批判だったのかを、文脈を示したらり他の実践と関連づけたりして明確化することや、現在は「常識」となっている実践が、何かへの抵抗であったことをあらためて掘り起こすこと。逆に、あたかも特別で先駆的に見られる実践の中に、それまでの実践の中でずっとかかえられてきた問題意識とのつながりを発見すること10

 現在なされ始めている諸実践の展開の先に予想される帰結を見通す13

 認知症にまつわる問題の解決ではなく、問題がどのように成り立っているのか、いかなる問題としてっ理解すればよいかの解明に役立つことを目指す13

○本書の構成
 第1章
 1980年代から2000年代中頃までの変遷。認知症の理解と包摂。どのように認知症は、私たちの社会のうちにいる、私たちが働きかけるべき対象とされてきたのかを描く。以下の3つの視点から。①その人らしさによりそうこと、②疾患としての積極的対処(医療化)、③本人が「思い」を語ること。これらは2000年代に入り明確化する3方向。
 第2章
 1980年代、1990年代の認知症ケア実践を、実践者の文書(第2章)、テレビ番組の映像の書き起こしデータ(第3章)を基に検討
 新しい認知症ケアの原型とみなされてきた、いくつかの先駆的な認知症ケア実践を、当時の医療の論理に対して、どのような意味で批判的だったのかに注目
 医療に向き合うケア実践をどう見ていけばよいのかに示唆
 第3章
 
1980年代からのテレビのドキュメンタリー番組がとりあげた先駆的認知症ケア実践で、本人の「思い」がどのようにとらえられ、どのように扱われていたのかを検討
 いくつかの「思い」のあいだに葛藤や対立が生まれが、いかなる「思い」のよりそっているか
 第4章
 2000年代中頃の、あるデイサービスでの実践を、インタビュー調査と観察から得られたデータを基に検討
 2000年代に、本人の「思い」への寄り添いと、疾患としての積極的対処という2つの流れの影響を受けたデイサービスのケア実践を、高齢者に対する介護・ケア労働の性格の歴史的変化という文脈に関連させ描く
 達成しようとしたもの、その困難は何か
 第5章
 第5章、第6章は、本人の「思い」の語りの現れについて
 第4章のデイサービスにおいて行われていた本人の「思い」の聴き取りが目指していたもの、発見される課題を明らかにし、本人の「思い」の語りの登場の意義を理解 
 第6章
 ローカルな場で生まれた本人の声が、より一般的に認知症の人の「声」や「宣言」として発信されていく過程を描き、それが一般化した現在における課題の検討 
 明確な語りとともに認知症の本人というカテゴリーが成立していった結果として生まれる、その内部での線引きやリアリティの分断の可能性
 終章
 
本書で見てきた3つの方向での理解と包摂の実践が突き当たった困難を踏まえ、現在盛り上がりを見せている認知症をめぐる新しい諸実践が、いかなる意義を持つのかを検討、その先に考えていくべき課題の提示
 補論
  認知症のっ本人によって書かれた本の特徴、本人による発信としての意義を出版の時期ごとの特徴に注目して検討
 認知症の「本人による語りや思い」とはそもそもいかなるものなのかを考えるうえでの示唆
  

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